この作品の著者は、昔の自分が小説に今の自分を十分に助けられたからと言って、もう満足だと仰られていましたが、そう思うのはとても勿体ないと思う。そして小説は絵空事と言っておられましたが、小説こそが自分のリアルな姿と映し出す鏡のような存在だと私は思っています。この作品の著者が御幾つなのかは存じませんが、何事にも挑戦していってもらいたいものだと思います。
あはは・・・・。わたしは芸術至上主義なもので。美学や美しいものを描いてみて。それをどうしようか悩んでいる最中なのですが。なぜ小説を書くのか?わたしは美そのものである芸術家として。なんとなく書いてました。がんばれー。
ただただ思いの丈を吐露するエッセイです。改行は一度もなく、びっしりと文字で埋め尽くされた光景に笑みが溢れます。そして改行しない理由でさらに顔がほころびます。何より、本作が素晴らしいのはなんと言っても最後の一言。これが全てでしょう。繋がり合えるから物語は生まれる。それ以上の理由は必要ないのかもしれない。だから僕も、渡されたバトンを受け取る事にしました。そしてこれがまた別の誰かへ届く事を願います。物語が結ぶ道が、もっともっと遠くまで広がっていく事を願って。
ここまでの強烈な読書体験はないけれど、物心ついたときから本は常にかたわらにあったし、影響を受けた作品は数知れない。そんな作品を書きたいと思うのは、書く動機の中でもとくに純粋なもののひとつだ。
この動機に、非常に共感を覚えた。これは知った人の世界だ。純粋な動機だけの世界だ。例えば、生半可な目先の金銭に眼が眩んで中途半端なエッセイストになるような『経験者・愚者』にだけは立ち入ってほしくない。僕らには自分たちの世界があり、吟持がある。
読者論的な立場から小説の意義について論じている。 今時珍しく、まったく改行なしに一つの作品が成り立っていて迫力がある。