アインザッツ!
放課後、学校の近くにあるカフェに入った私とあいちゃんは、今日あったことについてしばらくお喋りに花を咲かせていた。
「……へえ、『コンチェルト』なんて部活があるんだ。でも、その話の限りじゃあんまり活動してない感じなのかな」
「あいちゃんはどうだったの?」
「あたしのとこはね、作曲サークルなんだ。ピアノ曲からオーケストレーション、吹奏楽まで楽器にとらわれずにいろんな音楽の作曲を自由にできるっていうサークルでね? 音楽室の書庫を自由に使わせてもらえるから、資料が豊富で楽しそうなんだ……!」
「むかしから本、好きだもんね」
「えへへー、楽しい部活になりそうだよっ」
あいちゃんがカフェオレを飲んで、あ、なんか本格的な感じで美味しいね、って。私も自分のミルクティーにちょっと口をつけて、茶葉の濃厚な香りがびっくりするくらい美味しくて、思わず美味しい、って言ってしまって、隣にいた和歌山さんも湯気の立つココアをちびちびやって、ふむふむ、おいしいですね──って、
「あれ、なんで和歌山さんがこんなところに?」
四人掛けのテーブル席にあいちゃんと私で向かい合って座っていたはずが、気付けば私の隣に和歌山さんがしれっと座っている。和歌山さんはまた独特のコミカルなリアクションで、うえぇっ? みたいなよくわからない声をあげてあたふたし始めるけれど、今度は自分の前にあるココアのことを思い出したらしくまた一口飲んで無駄に大げさにホッとして見せた。
「こんにちはですっ! えと、せんぱいを見失っちゃって、そのかわりにれーげんさんをみつけたので追いかけてきたんですけど、もしかしてあたし、お邪魔でしょうか……?」
和歌山ことみ、どうやら神出鬼没の女みたいでなんとなく追いかけられているらしい草壁
「……いや、別にお邪魔じゃないけど、和歌山さんって追いかけることにこだわりでもあるの?」
ふざけた質問にもごく真面目に考え込む和歌山さん。うぬうぬ言いながら頭を抱えているので、ふわふわショートの片側にピンク色の髪留めで、小さく作られた
「うぬ、ぬぬ……? うん、考えてみたらそうかもしれません……確かに、昔からアリさんが歩いてたら追いかけたり、飛行機が飛んでるのが見えたら追いかけたり、何かを追いかける青春時代だったような気がしますっ!」
と思うと、ずばっと起き上がって晴れやかな顔になって両手でガッツポーズ。けっこう大きめの胸がゆさっと揺れて目のやり場に困る。ほどほど目をそらして、しみじみ思いのままに、
「楽しそうな青春時代だね……」
だんだんわかってきた。この子、ちょっと頭がアレなんだ。私が他人事なのに悲しくなってきていると、放置されていたあいちゃんが戸惑ったような声をようやくあげた。
「ごめん、あたし初対面なんですが……」
和歌山さんが驚いて慌てて自己紹介を始める。私にとっては二度目。
「あっ! ごめんなさい、あたし、和歌山ことみっていいますっ! えと、あいちゃんさん?」
「あー、逢野藍だよ。よろしくね、えっと……」
「あたしのことはお好きにっ! 逢野さん! がんばっておぼえます!」
やっぱりニコニコしている和歌山さんに、若干戸惑ったらしいあいちゃんが私に目配せをするので、私はまあ気持ちはわかる、と思って、小さく耳うちした。
「……悪い子じゃないの。これは絶対」
「……そうなの? なら、いいけど」
和歌山さんは小さな声で、おーのさん、おーのさん、と繰り返している。覚えようとしているのだろうけどそれを知らない人にとってはちょっと不気味だ。もしかして私の名前もああして呼んでいるのかと思うとちょっと──
「和歌山さんは部活、もう決めた?」
そんなことを考えていたらあいちゃんが先に声をかけて、和歌山さんはいつも通りもじもじしながら「雅楽部にはいりたいんです……」と言う。
「……嘘。ほんとにいたんだ、新入部員」
あいちゃんは軽いカルチャーショックみたいな感じでぽかーんとしていたが、和歌山さんは照れ隠しをするみたいに続けた。
「まだちゃんとはいれてないので、入部希望者なんですけどね……えへへ」
幸せそうな和歌山さんと呆然としてるあいちゃんはともかく、私は気になっていたことを訊いてみる。
「そういえば、なんで虚無僧の人は尺八部って名乗ってるの? あと、一人しかいない部活なのにどうして新入部員を断ろうとするんだろう」
それを聞いたあいちゃんも不思議そうな顔をし始める。すると和歌山さんが得意げな顔になって答えてくれた。
「雅楽部の創設者は草壁せんぱいなんです。せんぱいは尺八部をつくりたかったみたいなんですけど、学校は流石に尺八だけの部活をつくるわけにもいかなくって、部員もあつまらないでしょうし……そこで、生徒会長のひとが雅楽部としてつくったらどうかっていったらしいんです! それ以来、草壁せんぱいは雅楽部として活動しながら尺八部を名乗り続けているそうな……」
「い、意外に深い訳があるんだね……まあ、雅楽部にしても部員は集まってないみたいだけど」
呆然としたままだったあいちゃんがずり落ちそうになっていた眼鏡を直しながら言った。
「じゃあ、どうして和歌山さんは逃げられちゃってるの?」
私がもう一つの方の疑問を尋ね直すと、今度は本当に悲しそうな泣きそうな顔になって、
「それは……なんでなんでしょうっ! あたし、もしかして草壁せんぱいにきらわれちゃったんでしょうか……っ!」
たちまち今にも泣きそうになる。本当に泣かれたら面倒なので私は咄嗟に慰めようとして、
「いや、そんなことないよ! たぶん、草壁先輩は……そう! 和歌山さんに追いかけられたがってるんだよ! きっと!」
「……みかちゃん?」
あいちゃんがさすがに呆れた顔で私を見る。
──我ながら、支離滅裂だった。ぜんぜん慰めになってない私の言葉も虚しく、和歌山さんが泣いてしまっていないか恐るおそる見てみると。
「……そうなんでしょうか! あたし、追いかけ上手なんですか、もしかしてっ!?」
「……追いかけ上手?」
さっきまでの悲しそうな顔が嘘みたいに、ニコニコしていた。やっぱりこの子──
「みかちゃん、この人……なんかアレっぽい?」
「うん、私も同じこと思ってた……」
私たちの耳うちにも気付かず、目をキラキラさせている。和歌山さん、計り知れない──。
「あ、そういえばれーげんさんの部活はどうなったんですか?」
そんなことを考えているうちにふと、和歌山さんが尋ねた。私はさっきあったことに思いを巡らせて──整理も兼ねて説明してみることにした。
「ああ、そうそう……実はね」
◯
「はじめまして。うちは
「よろしく。えっと、君は……」
日浦先輩が二人分の紹介をしてくれて、立花先輩は握手していた手を離した。遅れて私も自己紹介をする。今日何度目かな。
「えっと、
「へえ、ピアニストかあ……! ありがたいよ。うちら、ピアノのソリストがいないから」
「だからまだ入部希望かどうかわからないだろ……っと、それで、改めてだけど黎元さんは何の用でここへ? もしかしてうちの部活に興味があるって考えてもいい?」
私は二人に話しかけられて若干、押され気味になりながらも答える。
「その……はい、いちおう。興味あります」
「そっか! よかった……ね、瑛二!」
「ま、まあな……」
初めて見たときから思っていたことだけれど、この二人が目を合わせると、なんとなく普通の人たちよりも視線が絡むような気がする。つきあってるのかな、と思いつつ、また二人の世界に入られる前に、私は気になっていることを尋ねる。
「その、それで、この部活って実際には何をしているんですか?」
日浦先輩は世にも微妙な顔になって、
「あー……そうだよね! たった二人でこんな部室棟の奥まったところにいれば、確かに活動内容疑いたくなる気持ちもわかるよ」
「仕方ないだろ、香奈……」
「……どういうことです?」
言い淀んで、けれど日浦先輩はちょっと申し訳なさそうに言葉を続けた。
「うちは名前の通り、協奏曲を演奏しようってサークルなんだけどさ? この通り、集まりが悪くてね……いつもはうちら二人だけなんだ。や、部員がいないわけじゃないんだけど」
日浦先輩が立花先輩に目配せして、立花先輩が頭を掻いて引き継ぐ。
「……だから、明日また来てくれるか? 明日の放課後には部員みんな呼んでおくからさ」
立花先輩と日浦先輩の申し訳なさそうな顔に、思わず頷いてしまう。別に入部を決めたわけじゃないけれど、とりあえず話を聞いてみるぐらいは悪くないだろう。
「わ、わかりました……それじゃ、明日の放課後にまた来ます」
「あ、よかったら興味ありそうな友達も連れてきてくれると嬉しいかも!」
「勧誘が露骨すぎるだろ……」
二人に手を振って見送られて、私はまた古びたドアをくぐって部室を出た。
○
入学式を終えて、翌日から授業開始。けれど大体どの授業もガイダンスばかりで、思ったよりすぐに終わってしまった。
「ほえ……数字みてるとねむくなります……」
前の席の和歌山さんが机に伸びて、間延びした声でつぶやいた。
「授業初日だよ? 数学って言っても、クラス分けアンケートとかガイダンスとかでほとんど時間終わっちゃったじゃない」
「へ? そうだったんですか? うとうとしてたからわかりませんでしたぁ……」
「それ、眠いの数学は関係ないと思うよ……」
和歌山さんは今日何度目かというあくびをしてまた机にだらりと伸びる。やっぱり学期末の成績も……アレ、なのかな。
「お疲れさま。みかちゃん、和歌山さん。今日は部活行くんだよね?」
と、私たちの席に近付いてくるあいちゃんが和歌山さんよりも少し控えめなあくびをして言う。
「あいちゃんも数字を見ると眠くなるタイプ?」
「なにそれ? ていうか、みかちゃんはあたしが数学強いの知ってるでしょ」
そうだった。あいちゃんは小学校の時から算数が得意で、中学でも成績が優秀だったとかメールで教えてもらったことがあった。
「うらやましいです……あたしは数字と仲良くしようとがんばってるんですけど、数字はあたしと仲良くしてくれなくて……」
と、和歌山さん。私も数字を見るとすぐさま眠くなるほどではなくても、数学は苦手なほうなので、正直ちょっと気持ちはわかる。
「数学なんて感覚だよ、感覚。それより、部室棟行こうよ。先輩待ってるかもでしょ?」
「あ、そうだね」
私たちは教室を出て、部室棟へ向かった。数学は感覚とか言う人いるよね。うらやましい。
私たちの教室がある校舎は新設されたものなのだけれど、部室棟の方はもともとあった建物を流用したものらしい。だから新設校でも部室棟だけは古くて歴史がある外観をしている。昨日のことを思い出しながら、私は二人を『コンチェルト』の部室まで案内した。二人を連れてきたのは、友達を連れてきてくれるとありがたいと言われたのもあるけれど、何より一人で行くことになんとなく怖気づいてしまったからである。だってあの先輩二人、事あるごとに自分たちの世界に入り込んでしまいそうな感じがするから。和歌山さんが部室棟に入ってあたりを見回しながら、ほえ〜っとか声を漏らしていたので「部室棟は初めてなの?」と訊くと「雅楽部には活動場所がないので……」とかいう辛そうなことを言われた。まあ部員一人なら仕方ないよね。でもそうなると、あの虚無僧衣装はどこで着替えているんだろう。敷島音高七不思議みたいなのに加えられていそう。すでに虚無僧だけでも七不思議案件なのに。
「……ここだよ」
一番奥の部室について、二人に目配せした。昨日も来たとはいえなんとなく緊張する。昨日いなかった先輩も来ているだろうし、また自己紹介きちんとしなきゃ。あいちゃんが頷いて、和歌山さんが首を傾げて、私は木のドアを開いた。
──途端、分厚い扉の間から漏れ出したのはどこかで聴いたことのある静謐な音色だった。神々しさまで感じるその流動はすべての振動という振動を止めてしまうような、熱という熱を消し去ってひんやりとした空気に満たしてしまうような、そんな力を持っている。けれど、以前聴いたそれとは違って、その音色にはどこか金属的な質があって、何よりも柔らかい。重厚に包み込むような音に私は息を呑んだ。しかし──何だろう。この音、どこか悲しそうな、失ってしまって、二度と取り戻せないものを悔やんでいるような、そんな感じがして。不意に振り返ると、和歌山さんがごく普通の表情を浮かべたままありえないくらいの勢いで目から幾筋も涙を落として、ぼろぼろと泣いていた。私は咄嗟に我に返る。
「っ、と、どうしたの、和歌山さん?」
「…………へ?」
和歌山さんは呆然としていて、自分の頬をありったけの涙が伝っていることにさえようやく気がついた様子で、
「あれ……あれ? おかしいな、なんであたし……っ、あれ……、かなしく、て……っ」
そうして初めて自分が悲しんでいることをわかったような和歌山さんは、次第にぐすぐすとやり出して──さっきまで流麗に流れ続けていた演奏が止まった。開いたドアの向こうを見ると、立花先輩とは違ってきっちりと少しも崩さないで制服を着て、先ほどまで構えていたようにフルートを持った男の人が居た。しっかりと耳を出すように整えられながらもシャープな輪郭をつくる髪、日本男児といった風情に整った目鼻立ち。なんだか女の子にモテそうな、清澄な雰囲気を持ったフルート奏者の先輩。女子と違ってリボンが無いから学年がはっきりわからないけれど、雰囲気からして多分三年生だと思う。こちらに気がついて、何故だか少し苦々しいような顔をしている。練習の邪魔をしてしまったからかな。だとしたら、きちんと謝らなきゃいけない。私は演奏の余韻で静まり返るその場にちょっと萎縮しつつも、なんとか声を出して先輩に話しかけた。
「……あのっ、お邪魔してすみません」
先輩は私を見やると首を振って、
「いや、構わない。別に誰かに見られて困るものではないからな」
そう言って笑う。その笑顔の奥には私にはわからない複雑なものがあるように見えるけれど、きっとそれを人に見せないだけの強さがある人なのだと、それだけは私にもわかった。
だが、それはともかく、と先輩は続けて。
「……何故、あいつはその、泣いてるんだ」
その目線の先には、未だにぐすぐすやり続けている和歌山さんがいる。
「えっ……と、それは……」
私はあいちゃんに助けを求めるように目配せするけれど、あいちゃんも勢いよく首を振った。
「……何故なんでしょう」
先輩はその答えを聞いて、いっそう悩ましげにその目元を覆う。私が申し訳なくなって和歌山さんの様子を伺いに行こうとした時、思いがけない声が私たちを打った。
「──ちょっと! 何してるのよ、宗一郎っ!」
すらりとした長身に、ひとつのポニーテールにまとめられた長い黒髪。フルートの先輩に負けず劣らずきっちりと整えられた制服。声と共に部室に入ってきたのは、どこか見覚えのある凜とした女の人で──
「……あ、生徒会長」
と、あいちゃんの呟きで私も思い出した。目の前に居たのは、敷島音高の生徒会長、雪村沙夜香その人だった。と、フルートの先輩がどこか慌てたように弁解を始める。
「いや、待て待て、違うんだ沙夜香ッ! 俺は何もしていない! ただ、早めに部室に来てみればまだ誰も集まっていないものだから、少し吹いていただけで──」
「つくならもっとマシな嘘を考えなさいっ、何もしてないのに女の子が泣くわけないでしょ!?」
「……ッ、ぐ……、……
瞬殺だった。雪村先輩はきっと、宗一郎と呼ばれた先輩を睨みつけて、和歌山さんに近付いた。
「……大丈夫? 何か乱暴されたの? ほら、涙拭いて。もう恐くないのよ」
雪村先輩は和歌山さんの目元を薄い水色のハンカチで拭ってあげて、続いて和歌山さんがずびずびやりだしたのを見てティッシュを鼻に当ててあげる。それは女子高生としてどうなのかと思っていると、和歌山さんも遠慮なく、ちーんとか洟をかむ。子供か。
というか、さっきからなんとなく引っかかるような気がしているのだけれど、宗一郎って名前、どこかで聞いたことがあるような──と、不意に軋むドアの音。
「こんにちはー、って。沙夜香先輩っ! いらしてくださったんですね!」
「おお、会長。生徒会の仕事でお忙しいのに、ありがとうございます」
「こんにちは。香奈ちゃん、立花くんも。今日はいつもより早く仕事を終えられたから、来てみたのよ。宗一郎がまた妙なことしてないかも心配だったし……ま、案の定だったけど」
部室に入ってきたのは香奈先輩たちで、中にいたもの言いたげな先輩を見て、一言。
「あ、草壁先輩もいらっしゃってたんですか」
──頭の中で全てが繋がったような気がして、私は思わず声をあげそうになって咄嗟に口を手で塞ぐけれど。
「……草壁って! もしかして尺八で変な曲吹いてた虚無僧!?」
口走っていたのはあいちゃん。不意に立花先輩が「あちゃあ」と声をあげたのに気がつく。
「変な曲ではない。琴古流本曲、鹿の遠音だ!」
さっきまで雪村先輩に言われるがままだった草壁先輩が、かなり強く主張していた。びっくりしたらしいあいちゃんが肩をはね上げる。
「琴古流は都山流と並ぶ尺八二大流派の一。流祖黒沢琴古の残した三十六の本曲のうち例外とも言える描写的な曲だ! 古典尺八の中でも傑作と呼ばれる本曲だぞ!」
あいちゃんは完全に怖がってしまって、竦み上がっている。ようやくここでわかった。この人は紛れもなく
「決して、変な曲などでは──ッ!」
「──宗一郎っ!」
叫んだのは雪村先輩。途端に今度は草壁先輩が縮みあがるように黙った。
「…………済まん。熱くなった」
それだけ言うと、草壁先輩は部室の奥にある長椅子に座った。あいちゃんは、こわかった、なんて呟いてほっと息をつく。雪村先輩はそれきり特に何も言わないで、未だにずびずびやっている和歌山さんの面倒を見ていた。
──わかったことはひとつ。雪村先輩は、そうとうの
◯
「……えー、ごほん。それではそろそろ、我が部の定例会議を始めたいと思います」
「第一回だけどね」
「……香奈、それは言わない約束だろ」
しばらく他の部員が揃うのを待って、私たちはいくつかの机を並べて即席の会議用のテーブルを作った。あれ以来、草壁先輩は一言も口を発していない。和歌山さんはすっかり雪村先輩に懐いてしまって、先輩もまんざらでもなさそう。今も先輩がバッグから出したお菓子で和歌山さんを餌付けしている。最終的に泣き止んだのも口に飴をひとつ放り込まれたからみたい。子供か。
──そんなことより私には気になることがあるのだった。私はおずおずと手を挙げて、
「……あの、質問があるのですが」
「はい。黎元さん!」
元気に日浦先輩が私を指名して、進行役のはずの立花先輩がため息をつく。私は言っていいのか迷いつつも、訊かなきゃ仕方ないことだと自分を奮起して。
「部員さんって、これだけなんですか……?」
「……………………」
途端に、場が静まり返った。
「え、え……? すみません、やっぱりこれ訊いちゃいけないことだったんでしょうか……!?」
日浦先輩がため息をついて、立花先輩は頭を抱えている。草壁先輩は変わらず仏頂面のままで、雪村先輩は苦笑い。あいちゃんと和歌山さんは私と同じで戸惑った顔だけれど。
と、立花先輩が頭を上げて、申し訳なさそうに言った。
「……いや、黎元は悪くないよ。問題は、ちゃんと全員に呼集をかけたのに、集まったのがこれだけだってことなんだよ……」
「…………はい?」
立花先輩の言っていることが正直少しだけ察しつつはあるけれど、信じたくなかった。つまり、この部活は──
「きちんと言ってなくてごめん。けど、入部希望者も来たんだし、ちゃんと呼べばみんなまた集まってくれるって、俺自身が信じたかったところもあってさ。昨日は言えなかったんだ……」
「え、え……?」
「……つまりさ。うちの部活は、学内でも最大の幽霊部員の集まりだってこと」
──やっぱり、そういうことなんだ。うすうすそうじゃないかとは思っていたけれど、ここまでとは。だって、集まる部員が──たった四人だ。これじゃコンチェルトどころか、アンサンブルだってロクにできない。
「そう……なん、ですか」
とんとん拍子でやりたいことが見つかって、上手くいきすぎだとは思ってたけれど──やっぱりこういうところでダメになっちゃうのかな。
私はひとつ、ため息をつく。それから、少しの諦観と、現実を見つめて──
「……でも、大丈夫ですよ。お気になさらないでください。仕方ないことで……」
と言いかけて、立花先輩が私の言葉を遮った。
「それで、今回の第一回定例会議の議題なんだけどさ。……あー、えっと、なんつーか俺は、みんなで音楽がやりたくてこの部活に入ったんだよ」
「え、何の話なのー?」
日浦先輩がすぐさま茶々を入れて、私は戸惑いに首を傾げた。立花先輩は照れくさそうに頭を掻いて、続ける。
「まあまあ、とりあえず聞いてくれよ。うちは部室も部室棟の奥の奥にあるし、変なやつばっかり集まってるし、結局のところ他の部活よりずっと地味だけどさ、俺が一年生の頃は、今よりずっと人も多くて、何より音楽が本当に好きな人たちが集まった最高の部活だったんです」
さっきまでふざけていた日浦先輩が俄かに静かになる。きっと彼女にも覚えがあるのだろう。その、部活が活発だった頃の思い出が。
「だからさ、俺はもう一度、あの頃みたいに……いいや、あの頃以上に。ここをもっと盛り上げてみたいんだ。みんなでもう一度、音楽がやってみたいんです」
私がどう言うべきか迷っていると、雪村先輩が声をかけた。
「私も同じ気持ちだよ? 生徒会の仕事が忙しいから、毎日練習に出るわけには行かないけれど、合わせ練習とかそういうものには極力出られるようにするし。……それに、コンチェルトやってみたいんだ。最近はずっと、受験のためにソロ練習ばっかりでつまんないんだもの。宗一郎は受験もないし、暇なんだから出られるわよね?」
「俺は……いつも通りだ。尺八が吹ければいい。余った時間ぐらいなら、付き合ってやっても構わない……沙夜香には恩があるからな」
三年生二人がそう言って、日浦先輩が嬉しそうな声を上げる。
「沙夜香先輩が出てくれるならこんなに心強いことはないですよ! まあ、草壁先輩も、ちょっとアレ過ぎるところを除けばハイスペックだし」
「……アレって何だ。アレって」
「何でもないですよっ! っと、ともかく……うちはいつでも瑛二についてくからね」
草壁先輩を少し揶揄って立花先輩のほうに向き直った日浦先輩が、そう言って笑う。
「香奈……ありがとう。それで、なんだけどさ。もし、黎元が、うちみたいな弱小部でも、演りたいって言ってくれるなら……一緒に部員を呼び戻すところから、頑張っていかないか? 無茶な頼みだってことはわかってる……けど、黎元が居れば、なんか、今までにないような凄いことが出来そうな気がしてるんだよ」
「えー……何それ? ふふっ、面白いじゃん」
やっぱり日浦先輩が茶々を入れて、けれど立花先輩は変わらない真面目な顔で私を見ていて──私は、ずっと言いたかった、けれど言えなかったことが言えるような気がして。
「私……弾きたいです! どんなに大変でもみなさんと一緒なら楽しくピアノが出来るような気がしてる。弾きたい……弾きたいですっ!」
私は、今度は自分から立花先輩の手をぎゅっと握って、力強くそう言った。日浦先輩があーっとか声をあげたけれど、構わない。私は弾きたいのだ。あの日からずっと、私はピアノが弾きたくて仕方がないのだ。
「あたしも! あたしもれーげんさんたちと一緒にやっていいですかっ?」
突然、さっきまで黙ってうとうとしていた和歌山さんが声をあげて、
「もちろん。大歓迎どころか、有難いくらいだ」
雪村先輩が、偉いねーとか言って和歌山さんの頭を撫でる。子供か。
「それじゃ、新しい活動のスタートだ。当面は具体的な活動はできないし、アポイントを取れた部員から話し合っていく感じになると思う。……みんな、よろしく頼む!」
おー、とか、うん、とか、軒並み元気はそんなに無いけれど、みんながひとつになって目標に向けて頑張る。そんな風にするのが、きっと私にとって憧れだった。だから、私は──
きっといつか、
これが、私たちの
◯
「わお……何度見ても、綺麗だね」
雪のように舞い落ちる淡い紅色の花びらの光を反射して、黄金のトランペットが桃色に燦めく。放課後にはまだ早く、校門の前の桜並木には他に誰の影も無い。
──鳴らす! 何でもいい、吹きたい音楽を。
幻視するは青い炎──ジャズだ。魂だ。燦々と私が燃え盛っている。冷たい炎──身体はどこまでも熱く滾っている。昂りと共にスケールを駆け上がって──突き抜ける
──と、私が音楽の残り香に浸っているところに無粋な声をかける奴が居た。
「……おい、うちは一応、敷地外では演奏禁止なんだけど」
私は大きくため息をついて──
「ナンセンス。こんなにも美しいのに、どうしてそれを叫ばないでいられるの?」
「…………は?」
見るからに冴えない男は、私を見てぽかんとしている。これだからわからない奴は。
「ねえあなた、ジャズって知ってる?」
目の前の男は変わらない間抜けな顔で答える。
「そりゃ知ってるよ。ニューオーリンズで……」
はあ、と殊更に大きなため息をついて遮った。やっぱり、わかってないじゃん。
「そんなことを聞いてるんじゃない。つまらないなあ、ここには、少しくらい面白いのが居るといいんだけどにゃ……」
「お前…………」
呆然としている男を置いて、校門をくぐった。男が慌てて追いかけてこようとするのを、振り向いて威圧する。大きくウェーブするボリューミーな髪が強くうねる。気圧されて立ち止まった男に、私は至極つまらなく言い放った。
「ほら、はやく職員室に案内してよ。私はここに入学するんだからね」
──音楽は美しい。美しいものには、価値がある。音楽が美しいのは、それが瞬間にしかありえないからだ。たった一瞬──そのために私たちは死ぬまで血を吐き続ける。空間を、時間を、世界を真っ青な血溜まりで鮮やかに染め尽くしてやるまで、喉を裂き続ける。たった一秒後には放擲されて、何の意味もなくなってしまうとしても、その何よりも輝かしい一瞬のために私は命を懸けずには居られないのだ。それが──私、
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