7話 春の訪れ
「なんなの、あれは――」
シキは、暗雲の立ち込める城に、異様な風が絡み付いているのを見ていた。
それは城を取り囲むように渦巻き、ごく普通の風でないことは一目瞭然だ。
住人たちがざわざわと城門前に集まり、何事が起こったのかと城門の向こう側を見つめている。
こんなことは初めてだった。
リズたちがあの城へと向かってから、かなりの時間がたっている。
そして今、城には尋常ではない事態が起こっている。
頭をよぎるのは、よからぬ想像ばかりだ。
シキは耐え切れなくなったかのように、城門横のカウンターの窓へと頭を突っ込んだ。中に居た男が驚いた顔をしたが、シキは腕をハンドルへと伸ばしながら叫ぶ。
「門を開けて!」
「おい、何する気だ!?」
男の一人が、後ろからシキの肩を持つ。シキは真剣な顔で振り返った。
「決まってるでしょ! 助けに行くのよ!」
「バカ! 何言い出すんだ!?」
「あの中にはまだルネが居るかもしれないのッ!」
「だがもう地図も無いじゃないかっ。第一あの衝撃じゃ、迷宮の形すら変わっちまってる!」
「でも!」
「たどり着けたとしてもだ! あれを見ろ!」
男は城門の向こう側に目を向けた。
不穏な風が氷の城が取り囲んでいた。
城は今や、蔓延らせた氷を吹き飛ばされ、成されるがままに立ちすくんでいた。不意に人々の声があがる。風が一段と高く吹き荒れたかと思うと、氷と共に霧散した。
崩れ落ちるかのような轟音が響き渡った。
その時何人もの人間が、氷の城の上にかがやく二つの光を見た。
シキは男の両腕を縋るように掴んだ後、その手を離した。ふらふらと城門の前へと歩き出し、その奥で響くひどい音を聞く。そして、その手を胸の前で組み合わせ、その奥へと走り去った少女たちの名を呟く。
――二人とも、無事でいて!
その手をぐっと握り、目をつぶる。
「ルネ!!」
シキが祈るように叫んだ。
轟々と音をあげる城門の向こう側から、それに呼応するかのように、薄いが、しっかりとした声がした。
「呼ばれてるみたいだよ、ルネ君」
シキがはっと顔をあげ、門に近づいていた住人たちの顔にも明るいものが宿る。
「この声は!」
住人たちの一人が誰にともなく叫んだ。
「おい! 城門を開けろ!!」
「応とも!!」
住人たちが城門横のカウンターの窓へと集まる。
中に居た男の、せぇの、という声と共に、ハンドルが回された。
歯車の音が響き渡り、轟音と共に片側の扉が開き始めた。
向こう側から、蒸気のような白い霧が勢いよく入り込み、住人たちを襲う。誰からとも無く小さな悲鳴があがった。
シキも思わず目を閉じ、吹き荒れる風と霧を防ぐように足に力を入れる。
「う……」
ゆっくりと、腕の隙間から目を開ける。
白い霧の向こうに、黒い人影が立っている。
影は次第にはっきりと姿を現し、やがて薄灰色のコートと、赤い髪がしっかりと見えた。
リズはずるずるとミスラを引きずりながら、門の隙間から歩み寄ってくる。
下の方からは、ルネが咳き込みながら歩いてきた。
「リズちゃん! ルネ!」
シキの叫びに、住人たちは反応する。
「おおっ、あの子だ!」
「戻ってきたぞ!」
「ルネも一緒だ!」
「旅人のお嬢さんが、帰ってきたぞー!」
渦巻く風の音すら突き破る歓喜の声があがる。
シキが走り寄ると、リズはもう担ぎたくない、とばかりに、ミスラを城門にもたれさせた。
リズがいくら旅人とはいえ、自分よりも背の高い青年をずっと担ぎ続けていられるほどの体力は無い。リズは痛くなった肩をまわしながら、伸びをした。
ルネが、リズと同じように城門にカキをもたれさせたてから前を向いた。
「ルネ!」
シキは膝をついてルネを抱きしめた。
しばらく無言で抱きしめた後、シキはリズを見上げた。
「リズちゃん、ありがとう、ほんとに……」
「私は何も」
リズは笑った。
「ごめん……姉ちゃん」
「もういいのよ、あんたが無事なら」
「あいつらの言うこと……」
「そうね、ええ。わかったわよ」
二人は、何をどう伝えていいかわからないようだった。
それでもルネは暗い顔をしている。
「……でも。でも、結局……僕のしてきたことはっ……!」
「無駄じゃないさ」
「え?」
リズの声にルネが振り向くと、リズは麻袋からタルトを引っ張り上げているところだった。花の鉢を抱えたタルトが、ぷはぁ、と解放されたような声をあげる。やっぱり重要なのだ。
リズは片方の腕でタルトを抱え込むと、もう片方の手でその鉢を引き受けた。
ルネの前へ歩み寄り、その鉢の中を見せる。
「こ、これって……」
驚くルネを見ると、リズはしゃがんだ。
「ああ、そうだとも」
花の鉢に敷かれた土の中央。
そこに、とても小さいが、それでもしっかりとその強い生命を示す、緑色の小さな芽があった。
それは、長い長い冬の間、種という殻の中で眠り続けていた生命だった。
リズは人差し指を立て、口を開く。
「毎日欠かさず、愛情を持って、やりすぎでもなく少なすぎでもない量の水をあげること」
「え?」
「花の一番基本的な育て方だよ」
リズが笑うと、ルネは顔を明るくさせた。
「リズ……さん。ごめんなさい、ありがとう……!」
「うん。ちゃんと育てなよ」
「うん。絶対!」
「あああ、あのっ……!」
その下から、タルトが声をあげる。
「えええっと、なんて言ったらいいのかわからないのだけど……ふ、冬ばっかりより春が来た方がいいっていうか、気分が変わっていいっていうか、その、ご、ごめんなさい……」
「……いいよ。もう、気にしてない。僕もイライラしてたし」
ルネが頷き、リズの腕の中に隠れるようにしたのを見ながら、笑った。
「それじゃ、私も約束を守らなくっちゃね! 今すぐあったかいもの用意するから、お店に帰りましょ!」
シキが声を張り上げた。
リズがタルトを抱いていない右手を差し出すと、ルネは鉢を持っていない左手で手を繋ぐ。抱えられた一人と三人が歩き出したその後ろで、住人たちはまだ目を回しているミスラとカキを見下ろしていた。
「ところで、こいつらどうするんだ?」
「とりあえずふんじばっておけよ」
「その後牢屋にでも突っ込んどきな!」
それから、リズはシキの店で二食分の食事を空にした後、やってきた住人の言伝を聞いた。
カキの荷物の中から、盗まれた全てのものと一緒に、町長のお宝も発見されたということだった。それが決めてになって、牢屋にぶち込まれたことも聞いた。
「ああ、あの悪趣味な……」
リズが思わずもらした言葉に、その場に居た誰もが笑った。
町長を覗く全員が同じ事を思ったらしい。
リズは宿に帰ると、そのまま全ての疲れを癒すかのように眠り続けた。
途中で起きたタルトが肩を揺らしても、まったくの無反応だった。ようやくリズが起きた時には、もう昼をまわっていた。
リズはシキの店で食事を取り、少し散歩をした後、広場に置かれた椅子に座った。赤い瞳が城を見つめる。人々は普段の生活と、これからの対応に忙しいらしく、辺りを走り回っていた。
それもそのはずで、長い間冬に鎖されていたところに温かな気配が戻り始めているのだ。地図も作り直さなければならないだろうし、城がどうなっているのかも確かめなければならない。
でもそれは、二人ではなく街の人々の仕事だった。通りがかる人々のなかには、二人の姿を見つけると、にっこりと笑いかけてくれた人もいた。
タルトはその人々に手を振り返し、その様子にリズは笑った。
「そういえば、赤水晶はどうしたの?」
「返したよ、彼に」
「そっか。ドサクサだったから気付いてなかったわ」
「まぁ、あれがあったからこそ彼を目覚めさせることができたみたいだけどね」
「そうなの? ……でも、どうなっちゃったのかしらね? あの二人が持っていっちゃったのかしら」
首を傾ぐタルト。
リズはといえば、もう一度城へと視線を戻していた。
「ま、結果的に良かったから、いいんじゃない?」
タルトはつられるように空を見上げ、思い出す。
あの青い城の中で、幸せそうな顔をしていた二人を。
あの二人は、一体どれだけ、あんなに近くて遠い場所に閉じ込められていたのだろう。あの冷たい氷の中で。
でも、もう大丈夫だ。ちゃんと出会えたのだから。
二人なら、その冷たい指すらも温かく感じるのだろう。
知らず知らず、微笑んだ。だが温かな気分になるその背後から、暗い闇のようなものが迫った。
「……おい」
突如、地の底から蘇った怪物のような声が響いた。
ビクリとして、後ろを振り返る。
「どこが良かったんだニャ!?」
「いいわけないだろ!」
そこには、深い闇を背負ったかのような表情をしたミスラとカキが、ボロボロになりながら二人を睨みつけていた。まるで裏道ばかりを走ってきたかのような有様だ。
「あ、あんたたち! ……何してるの?」
「キミたちは……その……取り込み中?」
タルトと違って、リズの言葉は慎重に選ばれたはずだった。
「当たり前だ! お前たちのお陰で散々な目に会ってるんだからな!!」
選んだのに結局は怒鳴られた。
世の中には理不尽な事が多い。
「というか、どうやって出てきたのさ?」
「どーにかしたのニャ!」
どこかで聞いたようなやり取りだと思いながら、二人の剣幕に押される。少しずつ仰け反りながら、脇の道から向こう側を見ると、街の男たちが声をあげながら走っているのが見えた。
誰かを探しているようだ。よく聞くと、「何処へ行った!」だの、「あの盗人め!」だの聞こえてくる。おそらく目の前にいる二人のことだろう。
リズはそちらの方を指差しながら、ミスラを見上げた。
「探されてるみたいだけど……行かなくていいの?」
「ほほう。冗談にしては……」
ミスラはリズの頬に手をかけると、思いっきり引っ張る。
「笑えないなぁ!?」
「あだだだだっ!? いひゃいいひゃい!」
引っ張り上げられ、中腰になったリズが半泣きで叫ぶ。その眼前に、怒りに満ちた顔のミスラが迫る。
「このままで済むと思って――」
「居たぞー!!」
「い!?」
「ニャ!?」
住人の怒号が響くと、ぱっと手が離された。
リズは椅子に尻餅をついた挙句、椅子ごとひっくり返った。雪の潰れる音が響く。衝撃で、雪だるまに積もった雪もリズに降り注いだ。そんなリズを見向きもせず、ミスラとカキは逃げ道を探す。
「逃げるぞカキ!」
「あいあいさー!」
バタバタと逃げていく音。しぃんと静まり返った後で、リズは片足をバタつかせる。
先に起き上ったタルトはリズの顔に積もった雪を払い、しゃがみこむ。
「だ、大丈夫? リズ……」
「……せめて……起こしていってほしかったよ……」
リズは心から呻いていた。
ようやくリズが体を起こした後、未だに追いかけっこを続ける人々を尻目に、二人は宿屋へと赴いた。
それから一時間もたたないうちに、二人は門の前に立っていたのだった。門の横のカウンターの窓をノックすると、新聞を読んでいた初老の男が、顔を上げる。
「……おや、嬢ちゃん」
窓を開けながら、男はにこりとも笑わずに声をかける。
「だいぶ騒がしかったが、どうだったね」
「中々楽しかったですよ」とリズが答える。
「ふん。そりゃあ良かった。もう行くのかね」
「リズちゃーん!」
「リズさーん!」
リズが答えないうちに、不意に自分を呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると、シキとルネが走ってきていた。シキもルネもエプロンをつけたままで、店の仕事着のままといった感じだ。
「もう行っちゃうの?」
「ええ、まぁ」
「もうちょっとゆっくりしてけばいいのに……」
「何か誰かさんたちに恨まれてそうだからね」
タルトが言うと、シキとルネが同時に笑った。
おそらく本当は、それだけが理由ではないことをわかっていたのだろう。なぜなら、二人は他ならぬ旅人なのだ。帰る家を持たず、待つ人もおらず、ただただ世界を行き続ける旅人。しかし彼女たちの歩んだ道は、世界中のどこだって帰る場所となりえる自由の人。
「門を開けるぞ」
門番の声が響き、少しだけ後退する。
来た時と同じ、木のこすれ合う音が辺りに響く。大きな門の片側がゆっくりと開き始め、人一人分が通れるほどの隙間が開く。男がハンドルをまわし終えたのを確認すると、二人は再び、その門へと歩き始める。
「また来てねー!」
シキとルネが言葉を紡ぐと、二人は同時に笑った。そうして踵を返し、手を振りながら、その隙間を通り抜けて行った。
「んーーっ! いい天気だ!」
森の間を通り抜け、街道に出たリズは片手を伸ばし、大きく伸びをした。
気持ちいい風が吹いている。
それは相変わらず冷たいものだったが、初めてここに来た時のような、刺すような冷たい冷気ではない。
タルトも同じように、その空気を吸い込んだ。
霧は既になく、辺りの雪は溶け始めている。それは紛れもなく、何かが変わった証拠だった。タルトはしばらくそれを見つめた後、少し笑った。
歩きはじめる間もなく、それは突然背後から近づいてきた。
それはだんだんと大きくなり、リズに激突するかのように近づく。そして――二対の蟲の羽が、真横をすり抜けていった。
「なに?」
タルトがリズにしがみつく。
強烈な風は二人の目の前で急ブレーキをかけるように止まった。それは、エアオート――飛竜を基にして作られた、二対の羽のついたボード型の乗り物だった。
その上には、二人の人間が乗っている。
正確には人間が一人とケット・シーが一人。
操縦士たる人物は片足を地面についてバランスを取ると、はめているゴーグルを額へとずらし、不敵な笑みを浮かべる。
「あーっ! あんたたち!」
「よーぅ。世話になったなぁ?」
ひらひらと手をあげて言うミスラに、リズは呆れたような顔をする。
「……なんでそんなもの乗ってるのさ?」
「ふ、転んでもただで起きる俺様ではない。ちょっと拝借しただけだ」
「拝借っていうか、盗んできたんじゃない!」
「違うな、拝借だ。一生拝借するだけだ」
ミスラは自分の理屈を事もなげに言った。
「覚えておくぞ、リズ。この借りは三倍……いや三十倍にして返してやるからなッ!!」
「今に見てるニャ!」
二人は捨て台詞を残すと、ゴーグルをはめなおし、バランスをとっていた足をボードに乗せた。踵を返すようにハンドルを切る。そして、飛び立つ蟲のように二対の羽が小刻みに羽ばたき、地面から数センチという空中をすべるように飛び去っていった。
べー、とタルトがその背中に向けて舌を出す。
「どうするのよ、あれ。いつか、ぜーーーったい、何かされるわよ!?」
「……いやぁ、まぁ、いいんじゃない?」
「何がいいの!?」
「ほら、面白くて」
――そうだった。
リズはこういう性格だったわ、とタルトはあっけにとられる。
リズはにやりと笑ってから、視線をタルトに戻す。
「いいじゃないか、賑やかで!」
「………その性格、たまに羨ましいわ」
「それはどうも。それじゃ、行きますか!」
何処までも青い空の下。
ざわざわと鳴った森の木々が、遅い春の到来を告げていた。
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