6話 物語のおわり
「ニャーーッ!?」
大階段の上で、カキの大絶叫が響いた。
「いっ、いいい今っ、なっ、なんかがっ! うしろ!」
ミスラが、眼を回しながら混乱するカキの背中に回り込み、暴れる麻袋を奪い取った。それを、カキの目の前にずいっと見せる。
「これか?」
「あ」
カキはそれを奪い返すと、袋を開いて叫んだ。
「おっ、お前、びっくりさせるんじゃないニャ!!」
袋の中から、ひょっこりとタルトが上半身を出した。その口元には、テープの破片が乱雑に張り付いている。気持ち悪いのか、若干不機嫌そうな顔をしていた。そして、口を開く。
「ぷはー!」
はたして人形であるタルトがその「ぷはー!」が必要だったのかは誰にもわからなかったが、タルトにとってはそれは重要な言葉だった。
「ようやく自由になったわ! さあ、花を返してあげるのよ!」
「はな」
「鼻?」
二人が言った言葉は意味が違っていた。
「花!」
「ああ、水晶花」
「花ニャ」
二人は納得したように言ったが、その直後に、二人して大声で笑い出した。
あまりにも笑う所為で、タルトはふてくされたような顔をした。
二人はひとしきり笑ったところで、涙を拭く動作をしながら、タルトに言った。
「なーにを言ってるニャー! もうこれはカキたちのものだニャ!」
「ふははは! その通りだとも!」
「でも、返せって言ってたじゃない!」
タルトの抗議に、ミスラは鼻で笑う。
そして、タルトを見下ろすと、口角を上げながら言った。
「フン! これはもう俺のものだ。それに封印は施した。あいつはあそこでずっとぐるぐる飛び回ってれば――」
地下で、何かが壊れるような音がした。
ミスラが言葉を止める。
カキが額縁の方を見ながら止まり、タルトも同じように額縁を見た。
音は尚も響き、それは何かを破壊しているような感じだ。しかもその音は、だんだんと大きく、しかも地下から三人の居るこの場所へと突き進んできていた。
ミスラは、血の気の引いたような顔をする。油の切れた機械虫のような動作で、ゆっくりと額縁を見た。
「……な、何の音だ?」
「……なんか壊れたニャ」
「……ふ、封印たって……ただの鍵……じゃないの?」
タルトがそう言っても、何も言葉は返ってこなかった。
ただ、何かが壊れる音だけが断続的に響いている。
そして、それがひどく大きく響いた後。
「うああぁッ!?」
悲鳴が先だったのか、絵の無い額縁ごと向こう側から吹き飛んだのが先だったのか、とにかく衝撃に目をつぶったタルトが目を開けた時には、ミスラとカキが一目散に階段を駆け下りているところだった。
そして、壁ごと額縁を吹き飛ばした元凶は、そこに揺れるように突っ立ち、冷たい眼差しで自分たちを見下ろしていた。
空中を滑るように、地についていない足で階段を降りてくる。
異様な風が舞い、それに混じって氷の刃があたりを飛び交っていた。
「くっ……そんな昔の男は忘れろよ!」
「そうニャそうニャ! しつこいのニャー!」
二人は叫んだが、娘は聞いていないようだった。その代わりに、耳を塞ぐかのように叫び返した。冷たい風がいっそう強く吹き荒れる。
タルトはそれを見上げた後、ミスラに目を向けた。
「ほら、かえせって言ってるでしょ!」
「いーやーだっつってんだろ!!」
叫んだ瞬間、ミスラとカキの体が同時に浮いた。
「え?」
三人を巻き込んだのは、冷たい突風だった。
階段の一番下へと叩きつける。
「がっ!」
「にゃっ!」
背中から叩きつけられた二人は、苦しそうな声をあげる。近くに転がったタルトは、袋の中から出ようともがいた。
「あ……」
タルトの体が、袋に入ったまま風にさらわれる。
人間を吹き飛ばすほどの風に、タルトの軽い体はたやすく持ち上げられ、天井間近へと連れ去られた。
風はタルトを弄ぶように飛ばしては落とし、落としては飛ばした。
そうして最後に、シャンデリアの付近からタルトを落とした。
今度は、風は興味をなくしたように何処かへ行ってしまう。
――このままじゃ……壊れる!
タルトがそう思った瞬間、何か得体の知れぬ感情が湧き上がってくるのを感じた。
――だれかたすけて!
地面が近づいてきた時、タルトはぎゅっと目を閉じた。
そして、タルトはそのまま、地面に叩きつけられ――なかった。
代わりに、誰かの手が、袋に入ったままのタルトをキャッチした。
タルトはしばらく閉じていた目を、ゆっくりと開けた。
「ちょっと見ないうちに、便利なことになってない?」
それは、ひどく聞き慣れた声だった。タルトはその声の主を見上げ、声の主の名を叫んだ。
「リズ!」
「やぁ、遅くなったね、タルト」
リズはタルトに笑いかけた。
「……ついでに、面白いことになってるね」
リズは、タルトを麻袋から引っ張り出しながら、その有様に苦笑する。
「一体何されたのさ、これ」
リズはタルトの口周りについたテープを取ろうとしたが、その前にタルトが妙な顔をしたのに気がついた。
「リズ。リズっ…!」
「お?」
タルトはリズの首元に抱きついた。リズはしばらくそんなタルトを見ていたが、落ち着かせるように背中を支えた。微笑みを浮かべ、その頭を撫でる。
「心配かけたね」
「うん……」
「そんな泣くことないじゃないか」
リズの言葉に、タルトはリズを見上げると、不思議そうな顔をした。
「……リズ。私、泣かない……」
「それでも泣いてるっていうんだよ」
リズはタルトの言葉を遮って言った。
「涙は出なくてもね」
タルトはリズをじっと見た後、恥ずかしそうに眼を逸らした。
リズは思わず笑ったが、直後、突然聞こえた悲鳴に二人は振り返った。階段の一番上に、ルネの姿があった。
「ルネ君」
リズは名前を呟いた。
「やぁ。やっと会えた」
それから、笑った。だがそれも束の間のことで、ルネの背後を通り抜けた風に追われるように、ルネは階段を走り降りてきた。リズが見回す。風は完全に五人の周りを支配している。
下から、タルトがリズの服を引っ張った。
「ルネ君、こっち!」
リズが叫んだ。ルネは一瞬びくりとしたようだが、すぐにこっちへ走ってきた。
「やぁ、久しぶり」
リズの声に、ルネはばつが悪そうにリズを見上げたが、リズはにこりと笑った。
「後はこれだ。一体何があったのさ?」
リズがタルトに聞いた。タルトが、慌てたようにミスラの姿を探したが、見当たらない。何処へ行ったのだろうか。
タルトはリズを見上げなおすと、服を掴んで言った。
「リズ、ミスラが花を持ってるの」
「何が何だって? とりあえず私にわかるように説明してくれ……」
タルトが説明に手間取っていると、隣からルネが口をはさんだ。
「僕は、騙されてた」
「うん?」
「あの二人が、凍っていた女の人の……持っていた、赤い水晶の花を盗ったんだ。そうしたら、あれが動き出して……」
「何だって!」
リズは今度こそ驚きの声をあげた。
「じゃあ思いっきりその二人の所為じゃないか!」
物語の中で、青年は赤い水晶を細工して娘に送った。
リズは青年の顔を思い出す。
娘が居て、青年が居た。
それならば、その花は。
「あそこだ、あの人!」
ルネが、扉に向かうミスラを指差した。
リズは叫ぶ。
「ちょっと待った! 花を返すんだっ、彼女に!」
「ああ!?」
「うるさいニャ! 今それどころじゃ……んにゃ!?」
カキが振り向くと、リズを指差して、驚いたように叫んだ。
「お前、どーやって出てきたニャ!?」
「どうにかしたんだよ!」
リズが叫び返す。
「あ? …そうか、お前が。バカ言え、これだけ苦労してタダで帰れるかっ。これは俺んだ!」
「そんな事言ってる場合じゃないよ!」
リズが叫んだ瞬間に、風がミスラとカキの二人の目の前を通り過ぎていく。
「うわッ!?」
「ニャー!」
それが風の音なのか、それとも娘の悲哀に満ちた叫び声なのか、もうわからなくなってしまっていた。
わかることはただ一つ、どっちにしても危険だということだけだ。
「くっそ……」
振り返ったミスラがぎょっとした。
目の前に、青い服をはためかせた娘が立っていた。ミスラとカキが後ずさる。
「ちぃっ……こうなったら!」
「やっちゃうニャ、ミスラー!」
ミスラは懐に手を突っ込んだ。そしてその手が外に出される前に、娘の叫び声が辺りに反響した。
城全体を揺るがすような悲しみに満ちた声。
「な!」
叫び声に反応するように、二人の前に風が吹き荒れる。そのまま衝撃に突き飛ばされるように、二人は突風に運ばれる。二人は壁にぶち当たり、二人して背中合わせになってぐったりと伸びてしまった。
「あー…」
リズはやっぱり、というような顔をする。それから、横から引っ張られる気配を感じた。引っ張ったのはルネだった。
「カバンの中だ」
ルネの声に、リズは満足そうに笑った。
「わかった。ちょっと待ってて」
リズは走ってミスラの目の前で片膝をつくと、タルトを見ずに聞く。
「カバンの何処にやったかわかる?」
「そこまでは……」
鞄をひったくり、背後から近づく風の気配を感じながら、中身をひっくり返すように探り続けたが、これだというものは無かった。
風が近づいてくる。
焦るな、と自分に言い聞かせながら、鞄を漁る。
タルトとルネは隣でハラハラとそれを見続けるしかなかった。
「ん?」
底の方に、慎重に布に包まれたものがある。
取り出して布を外していく。
その中には、小さな花が一輪、咲いていた。
赤い水晶でできた花は、細かいところまで作り上げられ、意匠が凝らされている。
リズはそれを手に取ると、振り返り、花を掲げる。
「こっちだ!」
リズが叫ぶと、娘の顔が歪んだ。
強烈な叫び声と共に、突風が吹き荒れる。
「くっ……」
リズはタルトとルネを離さないようにぎゅっと抱きしめ、二人もリズにしがみついた。
突風の中を叫び声が走り、その中央を滑るように通って、娘がリズへと迫る。
――かえせ。
娘の顔が、リズの間近に迫った。
「リズ……」
ぎゅ、とタルトがリズの服を掴む。
リズは逃げることもなく微笑み、口を開いた。
「それは、相手が違うよ」
そう言って、首を振る。
「これは、彼から受け取った方がいい――」
階段へと視線を向けた。
つられるようにそちらを向いた娘の目が、大きく見開かれた。
風が霧散する。
大階段の一番上に、人影が立っていた。
黒服の、彼の姿だった。
リズはルネにタルトを託して歩き出し、階段を登っていく。
その手に水晶花を大事に持つ様は、誓いの儀式の花を運ぶ少女のようだ。
彼は、代わりに階段を一段一段、慎重に降りていく。
「あ……あ」
娘の顔が歪む。
トン、と地面へと降りる。
頭を抱える娘を背に、リズは彼の元へたどり着いた。
階段の一段下から、彼へと花を差し出す。小さくとも、まるで本物の花のように生き生きとしていた。
「さぁ。これはお兄さんから」
彼は、花を受け取ると、少し微笑んだ。
リズは笑い、階段の隅へとゆっくりと後退する。
邪魔者は隅へ行かなければならない。
下からは、泣きそうな顔をした娘が、一段一段上がってきていた。
「あ、ああ、あ――」
口元を覆う娘は、青い瞳から零れ出る涙を止められないようだった。
娘の口から紡がれるのは、もう悲しみの嘆きではなかった。
寂しさに震える少女の表情ではない。
彼女は足早に階段を登り、階段の真ん中で立つ彼の前で止まった。
それは、気の遠くなるような年月。
凍り付いていた時間は、再び廻った。
息を荒げる彼女を、彼は笑って迎えた。
「随分遅くなったね、ジュネ」
「ノア――!」
リズは、この氷に包まれた城が、不意に生命を取り戻したような幻想を見た。
全ての氷は風に乗って運ばれ、壊れた壁は綻びを無くし、古びた青い絨毯は再生し、シャンデリアは光り輝く。
形を取り戻した額縁には、女王と娘の描かれた絵画が飾られている。どこからか吹きこむ冷たい風が、まばゆいばかりの花びらを運び込み、春の到来を告げている。
そして、青い青い城は、どこまでも暖かく二人を包み込んでいる――。
「ジュネ、もう一度受け取ってくれるかな」
彼は、小さな水晶の花を差し出した。それは本物の花のように風に揺れている。摘まれたばかりの花のように。
二人のお揃いの、赤い花。
「僕の気持ちだ」
「ええ――ええ。もちろん……!」
彼女は、一輪の花を受け取った。彼は、しゃくりあげ、ひどく泣き続ける彼女の髪を、ゆっくりと撫でた。階段を一段降り、彼は彼女の隣に立つ。そして、彼女を抱き寄せた。
もう嘆きの風も無い。
悲しみの氷は、ゆっくりと地に落ちる。
もう誰かを傷つけることもない。
リズはその二人を見ながら、小さく微笑んだ。
タルトがそれを見上げ、同じように小さく笑う。
余韻を壊すような、衝撃にも似た音が響いた。
「ん?」
見上げると、軋んだ天井が今にも崩れ落ちそうに揺れている。
「……まぁ、それもそうなるよねぇ……」
リズは、顔をヒクつかせながら言った。
あれだけ内部で風と氷が暴れれば当然だ。
彼の声が耳に入る。
「さぁ、早く逃げて!」
「あなたたちは――」
リズは言ってから、彼の冷たい腕の感触を思い出した。
リズが思わず彼を見ると、彼は笑ったまま頷いた。次に、こちらを振り向いた彼女と眼があった。
彼女は――嬉しそうに笑っていた。
リズは思わず息を呑んだ。綺麗な人だった。彼女は水晶の花を手に乗せて、優しく息で吹き飛ばした。
息は光になってきらきらと煌きながら、リズへと飛ばされてくる。
それ自体に意志があるように。それはリズの片手へひらりと収まり、リズもそれを受け取った。
彼女は階段の下を指差していた。そこにはルネが居た。
いや、正確には――。
彼女の意図を理解すると、リズは笑い、手を振った。
タルトも同じように手を振る。
二人も、笑って手を振り返してきた。
寄り添い、ゆっくりと階段を登っていく。
もう二度と彼らに会うこともないだろう。
リズは小さく、さよなら、と呟いた。
そうして踵を返し、階段を一気に駆け下りた。
「ルネ君!」
リズが声をかける。ルネは振り返り、リズの元へと走ってきた。合流すると、リズは辺りを見回し、背中合わせになって伸びているミスラとカキを見つけた。
この騒ぎなのに気がつく気配はまったく無い。
「タルト。もうしばらく袋に入っててくれる?」
「ちょっ……」
タルトの抗議をリズは完全に無視する。
「あと、ルネ君はカキ君をよろしく。鉢は、タルトが持ってるから」
「え?」
ルネは驚いたように、眼を見張る。
「大丈夫だよ、割ったりしないから」
「そうじゃなくて! どうして? この人たちは――」
「ああ、うん、今はそんな事を言ってる場合じゃないよ」
リズはあっさりと答える。二人が見詰め合う間に、階段でひどい音がした。シャンデリアの一つが落下したのだ。
「行こう。ルネ君、鉢を」
ルネは一瞬戸惑ったが、やがて決心したように、花の鉢をタルトに渡した。
「割らないでね」
「納得はいかないけど、大丈夫よ。鉢はね!」
「ああ、ちょっと待った」
「なに?」
「これもよろしく」
リズは麻袋の中に手を突っ込み、こっそりと、花の鉢の中にそれを入れた。さっき、彼女から受け取ったものだ。袋の中から、タルトがリズを見上げる。
リズは無言で笑うだけだった。
「さ、もう行こう」
リズは袋を閉め、肩に担いだ。
それからミスラの腕を自分の肩にまわし、ずるずると引きずっていく。
力の抜けた人間というのは、余計に重いのだ。後ろで、ルネもカキの腕を肩にまわしていた。
――どうしてこういう時に限って目を覚まさないかな!?
ここにきて何よりもそれが気に障った。
扉を開き、外へと脱出する。
元々どんよりとした天気だったが、来た時よりも更に暗く、辺りは見えにくい。しかも、壊れた壁から逃げ出した風が倒していったのか、道の両側に並んだ青い柱が、所々倒されていた。それは、城壁への入り口を塞いでいるものまである。
砕けて何とか通れるくらいにはなっていたが、もっと深刻な事には、向こう側へ渡る道が、はっきりしない事だった。
しかも、行き場を失った風が、城壁にまでその手を伸ばそうとしている。
「とにかく、行くしかないか」
「でもっ、地図が……!」
ルネが隣で叫んだ。さっきのゴタゴタで何処かへ行ってしまったのだろう。
どちらにしろ、この状態では地図を見ている暇などない。
リズは少し考えて、城壁の周囲を見渡し、そして笑った。
「大丈夫」
「え?」
「あれ」
来た時には真っ暗だった道が、きらきらと光り輝いていた。
リズには思い当たるところがあった――たぶん、あの光たちだ。
おそらくそれはお互いがお互いを反射させて、迷うことなく一直線に反対側への道へ続いているのだろう。リズはなんとなく、そんな気がした。
「な、なんで? 光ってる?」
ルネが混乱したように言葉を発した。
ルネたちはあの光に会っていないのだろう。あの光たちがリズたちの前に出てきたのも赤水晶の気配があったからだ。人間の気配がわからない彼らが、赤水晶を持たなかったルネたちにであっているはずがない。
「あれに従っていけば大丈夫だよ。あれは悪いものじゃない」
リズは笑い、行こう、と言った。
そして、歩き出す。
ルネは歩き出すリズを見ていたが、やがてカキの体を引きずりながら歩き出した。
背後では、勢いを増した風が凶悪なほどに吹き荒れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます