4話 氷の城(1)

 目の前に広がる、どんよりとした雲の下で、道も柱も何もかもが青く凍り付いていた。後ろを向くと、先ほど二人が通ってきた氷の棚は、城を取り囲むように、ぐるりと存在している。水晶の洞窟だと思っていたのは、城を囲む城壁の役割もしていたようだ。


「なるほど。天然の城塞の中に水晶が生えていたわけか。女王と契約云々っていうのも、こういう事情があったのかな」


 視線を戻したリズが目をこらすと、少しだけ開かれた青い扉の向こうに、黒い点のようなものが入っていくのがぼんやりと見えた。


「あのバグ、あっちに入っていったみたい」


 リズは頷いて、慎重に青い道を歩き出した。

 よく見ると、レンガ造りのような道は、思ったほど歩きにくくない。見た目は氷のようだが氷ではないような歩き心地だ。

 ――さっきの洞窟でもそうだったな。

 リズは思った。

 決して長くはない道を辿ると、城の入り口である門が見えた。その前に据え付けられた階段を登り、向こう側に開かれている大きな扉を押す。

 ギィ、と、まるで木製の扉を開くような音がする。

 中は広く、目の前に凍りついたエントランス・ホールが広がった。その先には大きな階段が続き、それは突き当たりの壁で左右に分かれるようになっている。その突き当たりの壁には巨大な額縁がかかっているが、中におさめられているべき絵画は無い。額縁だけのようだ。

 あちこちからはツララが垂れ下がり、凍りついて、青く光っている。本当に、氷の城に相応しい場所だ。天井から垂れ下がる巨大なシャンデリアにもツララがはりつき、まるでひっくりかえってしまったみたいだ。とけたロウソクのようにも見える。

 城内に一人分の足音が響き渡り、リズは辺りを見回す。その光景を目に焼き付けるように、ただただその光景を見回す。

 ひどく静かだ。

 ――さっきのバグは何処へ行ったんだ?

 不意に、リズのものではない足音が響いた。ハッとし、辺りを見回す。


「リズ!」


 タルトが指をさした。その先、大階段から行ける二階の左側に、奥へ走っていく後姿が見えた。一瞬見えた背格好はほぼ、ルネそのもの――そして見間違うはずもない、それは街中で散々見飽きた厚手のマントだ。ルネもしていた同じもの。


「あれルネ君でしょ? ちょ、ちょっと待って!」

「………」


 リズは一瞬考え込んだようだったが、そのまま走り出した。

 目の前の大階段へと走り、二段飛ばしで青い絨毯の敷かれた階段を駆け上がっていく。そして左側へ、残りの階段も同じように駆け上がり、その人影が走り去った曲がり角へと走る。

 曲がり角で壁に手をつきながら止まると、人影は既に、奥の右側の曲がり角へと走り去っていた。先ほどと同じように、厚手のマントがひらりと見えた。

 リズはそれを追い、ほの暗く青い闇の中へと走る。

 まるで不自然なほどにも見えるマントを追って、リズはほとんど道がわからなくなるんじゃないかと思うほどの曲がり角を曲がった。降りたと思えばまた上がり、上がったと思えばまた降りる。いつしか二人は完全に道を見失っていたが、マントは二人を誘うように必ず現れていた。


「な、なんで逃げるのよう……」


 タルトは自分で追えないのがもどかしかった。走れたとしても追いつかないのはわかっているけれど。

 曲がり角を曲がると、その中央に誰かが立っていた。

 それから気を取り直して、立ち止まった。

 そこは、相変わらず氷に包まれた部屋だった。照明も置かれた質素な家具も、ほとんど部屋と一体になってしまって、ツララが垂れ下がっている。かろうじて床だけが原型を留めているくらいだ。その中央に、厚手のマントを着込み、帽子を目深に被っている。背格好はほぼルネと同じだ。

 リズはまるで落ち着けるように一息ついたあと、口を開いた。


「それで、キミは誰なんだ?」

「えっ。る、ルネ君じゃないの?」

「そっちの小さいのは気付いてなかったニャ? 間抜けニャ!」


 あっさり言われた。


「ま、まぬけ……」

「それで、私の質問には答えてくれないのかな」

「そー急かすもんじゃないニャ」

「にゃ…?」


 タルトが語尾を繰り返しながら、首を傾げた。

 ”彼”は着込んだマントを翻し、帽子を取った。ぴょこ、と耳が立つ。緑の大きな目が特徴的な、まるで猫のような、半猫の顔立ちが姿を現した。


「ねこぉ?」


 タルトがつぶやいた。


「猫族や野良猫と一緒にするんじゃないニャ。カキはケット・シーニャ!」

「ケット・シー?」

「そうニャ! ケット・シーのカキ様ニャ。覚えておくニャ!」


 そういうと、カキはびし、と偉そうに二人を指差した。

 タルトは傾げたままだった首を元に戻して、それを反芻するように視線を上に向けた。リズは少し頬を掻いた後、まだ納得いかないような顔をした。


「それで、そのケット・シーのカキ君は、一体どういうわけでこんなことを?」

「にゃは。よくぞ聞いたニャ」


 カキは笑いながら、ふんぞりかえったように腕を組む。


「ふふん。お前たちがカキに気を取られてる間、今頃探索は順調に進んでるニャ」

「おとりってわけか。……何を探してるのかな?」

「そっちは知らなくていいニャ」


 カキはくるりと後ろを向き、壁の方に歩いていく。


「そーれーはー、せつめーいするには、ちょおーーっとした、ながぁいじかんが……」

「は?」

「実はここには……」

「え?」


 リズが問い返す間もなく、カキがカーテンの奥で、何かを動かした。

 がくりとリズの居る場所が揺れる。


「なっ…!」

「ちょっとした仕掛けがあるのニャ」


 リズはバランスを崩す。その衝撃で、タルトの体が宙に浮いた。タルトの体はそのまま地面に叩きつけられる。直後に顔をあげた時には、床にぽっかりと開いた四角い穴からリズが落ちていくのが見えた。


「リズっ……!」


 タルトは穴に向かって手を伸ばしたが、その手は小さすぎて、リズの指はするりと抜けていった。

 穴の底に向かって、カキが叫ぶ。


「にゃはははは! カキたちが無事お宝を手に入れてー、気が向いたら! 助けてやってもいいニャ!」

「りず……リズっ……」


 穴に向かって、タルトが泣きそうな声をあげた。胸のあたりがひどく苦しい。タルトが呆然としていると、突然、首根っこをつまみあげられた。


「ところで……お前、一体何者ニャ?」


 カキは、訝しげな顔でタルトを見ていた。しかし、タルトは今それどころではない。捕まえられながらも、抗議の声をあげる。


「リズ返しなさいよー!」

「にゃはは、だから言ったニャ。気が向いたら助けてやるニャ!」

「気が向いたら!」

「そうニャ。”気が向いたら”……ニャ。お前は人質ニャ」

「ん!」


 タルトが見上げると、突然口に何かを張られた。口に手を当てて取ろうとするが、うまくいかない。テープか何かのようだ。


「むー!」

「それにー、気が向かなくても、お前めずらしーから、なんかには使えるニャ」

「むー!」

「にゃはは! せーぜー喚くがいいニャ!」


 カキはそういうと、麻袋を取り出して、タルトを乱雑に突っ込んだ。袋の口をきゅっとしめられると、真っ暗になる。カキはその袋を肩に引っ掛け、今度はまた穴を閉めるために、壁のスイッチを動かした。

 ガコン、と音がして、床が閉まる。


「こっちは完了ニャ」


 タルトはカキの独り言を聞きながら袋の中で暴れたが、動きにくくてあまり効果はない。

 タルトは、そのまま疲れたように座り込んだ。

 袋に入ったまま揺らされていると、ふと、一箇所だけ光が入ってくるのに気がついた。タルトは急いで、なんとか体を動かす。幸い、座ったままでも見れる位置だ。何回か瞬きをし、外が見えるかどうかを確認する。進んでいる方向の真後ろが見えているようだ。

 袋の繊維が引っかかっているのか、指を突っ込んでもそれ以上開けることはできなかったが、片目で覗けるほどの穴は開いている。これで外の様子はなんとなくでも知ることはできるはずだ。もっとも、ここで逃げ出せれたとしても、タルト一人ではどうにもできないことを知っていた。

 何度か曲がり角を曲がり、やがて最初に見たことのある大きな広間――エントランス・ホールへと戻ってきた。青い絨毯に大きな階段。見間違うはずもない。そのまま反対側へいくのかと思いきや、カキは意外にも大階段の突き当たりの壁で止まった。

 カキは額縁の中の空間を押す。すると、くるり、と壁の一部が反転して、カキは迷うことなくその中へと入った。後ろしか見えないタルトには何が起こっているのかわからなかったが、カキがその中にある通路を進み始めると、ようやく事態を把握した。

 ――動くのね、この壁。

 とにかく何が起きたのかは覚えていなければ。

 ――いつもリズがやってるみたいに!

 何を覚えて何を見過ごせばいいのかわからなかったが、やるしかない。

 通路は他のものと同じ作りになっていた。氷に包まれているのも同じだ。壁にかけられた装飾品のランプが、壁と一緒に氷に包まれている。違うところといえば、他の通路に比べて少し狭いということだけだ。おそらく隠し通路の類か、似たようなものなのだろう。

 カキは迷うことなく、まっすぐに進んでいた。通路にはたまに思い出したように扉があったが、カキはそれを無視して進み続ける。


「ミスラー! どこ行ったニャー」


 カキが叫ぶ。今のところ、返事は無い。


「まったく。どこ行ったんだニャ。あのカッコつけー」


 ぶつぶつと文句を言いながら、カキは歩く。

 タルトは袋の中で、その名前を反芻した。ミスラとカキ。それがおそらく旅人の名前なのだろう。


「そもそもミスラは、ケット・シー使いが荒…ニャ!」


 途端に、隣にあった扉が開き、カキの顔面に直撃した。


「誰がカッコつけだって?」


 出てきたのは、深青の目をした旅人装束の青年だった。タルトからはよく見えなかったが、声だけははっきりと聞こえる。でも、わざと抑えているかのような声だ。タルトはそう思った。

 カキはうずくまり、激突した額を押さえてプルプルと震える。


「いーーー……ったいニャ、ミスラ! 何するニャ!」

「聞こえてたぞ、カキ」

「ほんとのコトニャ……」

「そうじゃない。あまり口を滑らすなよ?」


 小さな声で会話が繰り返される。まるで誰かに聞かせまいとしているようだった。それから、不意に声の大きさが変わる。


「ところで守備はどうだ?」

「むぅ。上出来ニャ」

「そうか」

「ところで――」


 カキはそこまで言いかけて、突然言葉を止めた。

 ――今なんで、言葉を止めたのかしら。


「なんでもないニャ! そっちは大丈夫そうだニャ!」

「ふん。ところで、何だその袋」

「これニャ?」


 タルトからは見えなかったが、ミスラの後ろにはルネが立っていた。

 カキはルネの姿を確認すると、心底悲しそうな顔をしながら続けた。


「ちょーーっと気が進まなかったけど、抵抗されちゃったから仕方なかったのニャ。別々になってもらったのニャ」


 別に抵抗してない、とタルトは思ったが、むー、という小さなうめき声しかあがらなかった。その声すら外には聞こえていないようだ。

 急に不安げな顔になったルネを諭すように、カキは言葉を続ける。


「だいじょーぶニャ。全部終わったら一緒にして助けてあげるのニャ。それまで我慢の子ニャ。それから、コレ」


 カキは帽子を外し、ルネに渡した。

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