4話 氷の城(2)

「……はい」


 ――ルネ君!

 やっぱり一緒にいたんだ、と思ったが、むー、としか声が出ない。

 魔導人形であるのに、こういうところは人と変わらないのだ。

 ルネが、自分の頭にあった帽子を渡す。二人の身長はほぼ同じだ。カキは一旦タルトの入った袋をおろし、着ていたコートも交換しなおすと、二人は元々の服装に戻った。

 タルトは、一旦担ぎなおされたことで、外が見えなくなるんじゃないかと思ったが、それは杞憂に終わった。体勢を保ったことで、袋がおおよその形を変えずに済んだようだ。なんとかまだ外は見えている。


「あー、やっぱいつものが一番ニャ!」


 カキは嬉しそうに帽子をかぶり直す。


「こっちはだいぶ探索が終わった。残るは一つだ」

「はーん。それはご苦労様だったニャ。……ということは、だニャ」

「ああ、そうだ。行くぞ、ルネ」


 まずミスラと呼ばれた青年が歩き出し、その後ろをカキが歩き出した。そして、最後にルネ。タルトの目線から、後ろをついてくるルネの姿がハッキリと見える。厚手のコートに毛糸の帽子。それから、花の鉢も。

 タルトは少しだけ腕を動かして、麻袋を突付いた。気がつかない。タルトが何度かそれを繰り返すと、ようやくルネも気がついたようで、彼は気まずいように目をそらしてしまった。

 狭い通路の中に三つ分の足音が響いているが、それはまったく同じではない。一つはしっかりとした足取りで、もう一つが楽しそうだ。そしてもう一つは、どこか不安げについてきている。ルネは一体どうしてここまで来たんだろうかと、タルトは思った。

 タルトは手を口に伸ばし、なんとかテープが取れないかひっかけてみた。指を引っ掛けたり、服で端をこすったり、反対側にも同じことをしてみた。

 取れない。

 息苦しいということはないが、無理やりにテープで止められていると、なんだか奇妙な感じがした。奇妙というか、嫌な感じだ。タルトはしばらく、顎の方からも取ろうとしてみたり、真ん中から取ろうとしてみたり、色々なことを試した。

 不意に、ぺり、と音がして、端の方から少しだけ斜めに破れた。失敗はしたが、どうやら完全に取れないことはないらしい。タルトは取ったそれが服にくっつかないうちに、麻袋の内部にぺたりと貼り付ける。なんだかまだくっついているようで、べたべたするような気がする。顔が洗いたいとタルトは思った。

 ――あたし、帰れるのかしら……。

 一旦そう思ってしまうと、不安だった。手を止めて、下を向く。揺れだけが体に伝わってくるが、列車やバスに乗った時のような心地よいものではない。そうしてしばらく、何も考えられないかのように沈んでいた。


「ついたぞ」


 急に聞こえた声に、タルトはハッとする。揺れが収まっていて、立ち止まったようだ。どうやら最後の扉についたようだった。

 ミスラが扉を触り、何か無いか確かめる。


「本当にここニャ?」

「ここしか無いんだから、探索するしかないだろ」

「……あの……僕」

「ルネ……花を咲かせたいなら、余計な事は考えるな」


 ――なに、その言い方!

 自分が言われたわけでもないのに、タルトはむっとする。

 とはいえ、そう言われてしまうとルネも考え直さざるをえない感じだった。タルトから聞いても、優しい言葉ではなく、何かを人質に取られているような気分だ。でも、何故ルネがここに居る羽目になったのか理解した。

 また腕を動かし、口元のテープが取れないかどうか試し始めながら、ひっそりと様子を窺う事にした。


「よし、カキ、頼む」

「あいあいさー、ニャ!」


 カキはミスラの前に出ると、その両扉の真ん中に据え付けられた鍵穴を調べ始めた。扉には左右対称になるように、祈るような女性の絵が掘り込まれている。長い髪に、長いドレスを着た女性だ。明らかに、他の扉とは一線を画している。


「氷の……」

「ん!?」


 ルネの呟きに、ミスラが振り向いた。


「何だって? 言ってみろよ」

「氷の娘……って」

「ああ……」


 ミスラは扉を向き直る。それから、扉に刻まれた女性の絵を見た。凍りついた扉の中にあっても、しっかりと確認することができる。


「物語のか。物語が真実かどうかはとにかく――」


 そして、ほくそ笑んだ。


「宝石の方が重要だ。そうだろ?」


 それはとても小さく、嘲笑うような呟きに似ていた。


「開いたニャ!」


 ルネが聞き返す間もなく、カキが声をあげた。

 軋んだ音を響かせて、扉が両側に開く。その下には、どこまでも続いているかのような、地下へと続く階段があった。


「最後は地下か」

「そうみたいニャ」

「行くしかなかろ。行くぞ」

「はいニャー」


 そう言うと、二人は進み始める。

 ルネはしばらくそれを見た後、ゆっくりと二人の後ろからついていった。

 階段は石造りで、壁もほとんど石で作られていた。窓もない螺旋階段は同じ景色がずっと続き、一体どこまで下ったのかわからない。感覚を奪われてしまったかのようだ。

 いつまで続くともしれない階段をおりていく感覚は、不気味という以外に言い様がない。かといって今更戻るわけにもいかず、終わりの見えない不気味な階段を折り続けた。

 ルネが足の痛みを覚え始めた頃。不意に、響いていた足音が止まった。

 急いでそこまで下ると、そこは大広間になっていた。


「……これは」


 ミスラが声をあげた。

 大広間の一番奥の壁。そこに、蜘蛛の糸のように氷が広がっていた。

 壁に貼りついた氷は、巨大な蒼いウエディング・ドレスのようにも見える。壁一面に広げられたドレスだ。

 そうして、それを着こなしているのが――下部で、両手を胸に添え、そこにきらきらと輝く花を持った――眠るように凍りついた娘だった。

 その髪も、表情も、全て止まってしまって動かない。

 眠っていること自体が一つの作品のようだ。

 彼女と共にこの部屋自体も沈黙し、部屋ごと眠っているかのようだった。

 ルネは思わずごくりとつばを飲み込んだ。

 ふらりと一歩、前に出る。

 魅入られたかのように一歩一歩近づき、その氷の中で眠る娘をじっと見つめた。そうして、その憂いを閉じ込めたかのような表情の中に、街に訪れる冬の原因を見つけた。春は間近だろうか――。

 その時不意に、ルネの前に誰かが立った。


「おっと。お前はここまでだ」

「ちょーっと待ってるニャ」


 ルネは、ぐい、とカキに肩を引っ張られる。


「え?」


 ルネが困惑したようにカキを見つめている間に、ミスラは靴音を響かせ、娘の氷像の前に立った。

 蒼白く凍り付いた娘の手の中で、きらりと煌めくものがあった。

 それは小さくも、この部屋で燃えるように赤く、煌めいていた。

 細工された水晶の花。

 まじまじと珍しそうにそれを見た後、その両手に抱えられた小さな花を手に取った。そうしてそれをじっくりと見つめる。


「スゲェな……こんな塊を精巧に――」


 おそらくそれは彼の元々の口調なのだろう。


「どうするの――?」

「どうするもこうするも」


 ミスラは振り向き、はっきりと言った。


「これはもう俺のモノだ」

「え?」


 ルネは混乱したように呆然とする。


「どういう事…!?」


 突っかかろうとしたルネをカキが制すと、カキはルネの体をひょい、と横に押した。柔らかく押されただけだが、ルネは力が抜けたようによろめく。


「それがあれば――冬が終わるんじゃないの?」


 ルネの力の抜けた叫びに、ミスラは一瞬きょとんとした後、心底おかしそうに笑い出した。


「く、くくっ、は、あはははは! とんだお芝居だな、ルネ!」

「え……?」

「これだから田舎の方がいいって言ってんだよ、なぁカキ!」

「知らないニャ、でも田舎ばっかだと腕は鈍るニャ」

「そう言うな。でもだから、今までうまくいったろ? ちょっとした追跡はあったみたいだが……」


 ミスラは、カキが持つ麻袋に目をやった。


「ま、それでも一介の旅人。とるに足らん」

「どういう事?」

「まぁ、ちょっと利用させてはもらっただけだよ。心優しき青少年を利用して地図も情報も手に入れ、こうしてお宝を手に入れる。俺たちは万々歳ってわけだ」


 ミスラはカバンの中に水晶の花を大事そうにしまう。


「そんな! その水晶の花があれば、花を咲かせられるって……冬から解放されるって言ったじゃないか!」

「そんな事言ったかなぁ?」


 ミスラは片耳の穴に指を突っ込みながら、何も聞こえない、覚えていない、というような仕草をする。


「そんな……じゃあ僕がしてきたのはっ……」

「ハッ、今更気づいても遅いぜ? 少年」


 呆然とするルネの顔が、不意に恐怖に慄いた。


「あ」


 ルネが一歩下がる。


「どうした」

「あ……あ」


 ルネは問いに答えず、壁際に背をつき、二人を指差した。


「……しろ。うしろっ……!」

「後ろ? 何言ってんだお前?」


 最初に声をあげたのはカキだった。

 娘の氷像が震えている。指先から徐々にパキンパキン、と氷が弾け飛び、やがてそれは腕を通り、胸へ、そして顔へと伝わり、最後に全ての氷が弾け飛んだ。きらきらと結晶のように周囲に飛び散り、ゆらりと二人を見据える。その眼は、青く光っていた。


「な、な……」


 ミスラが何もいえないまま、後ろに下がる。

 娘はひどく悲しそうに――そして怒りに打ち震えたように――啼いた。耳をつんざくような、高く、悲しい声が響き、冷たい寒風が吹き荒れる。


「くっ!」

「うわぁ!」


 耳を塞ぐが、その声は凄まじい風音すら凌駕して、脳内を揺らす。


「なんて声だ……下手な女よりタチが悪い!」


 その声は冬を呼び込み、氷を成長させ、風に雪を混じらせる。それは泣き声が止まった後も止まることはなかった。

 娘の凍りついた唇が開く。


 ――かえせ。


 無機質な声が響いた。


「こ、これはもう俺のモノだッ! お前に――」

「かえせ…っ!」

「は、早く来いカキ! 逃げるぞ!」

「にゃーん! 待ってニャー!」

「あ……!」


 ルネの横を通り過ぎ、二人が階段を駆け上がる。

 暴風は出口を探すように駆け巡り、びきりと氷にヒビが入るような音がする。巨大な氷のドレスに、隅の方からヒビが入っていった。一瞬にして氷はがらがらと崩れ落ち、塊が落ちるたびに地面が揺れ、細かな氷が舞った。

 悲鳴にも似た声が一段と高く響くと、氷が割れる音を響かせて、カケラを飛び散らせた。ずるり、と娘の体が動く。真っ青なドレスを着込んだ娘が、風に乗って叫び声をあげた。

 そして、娘がルネの姿を見つけた――。


「あ……」


 ルネは下がろうとしたが、後ろはもう壁だ。焦ったように後ろを向く。そして前を見た瞬間、そこに青白い顔の娘が居た。


「ヒッ!?」


 娘はルネの顔をまじまじと見つめる。その表情には悲しみとも怒りともつかない感情が渦巻いている。


「持ってない! 僕は持ってないよ!」


 ルネが叫ぶと、娘は興味をなくしたように、風に乗って通り過ぎた。

 風を伴い、先ほどの二人を探すかのように出口に向かって勢いよく飛んでいく。ルネは吹き飛ばされそうになるのを堪え、部屋の中を渦巻く強風が、狭い入り口を軋ませながら娘の後を追っていくのを待った。

 あっという間に嵐が部屋から出ていったあと、しばらく花の鉢を見ていたが、ふと顔を上げると、立ち上がって走り出した。ミスラとカキを、そして氷の娘を追うように。

 その後ろで、暴風に晒された部屋の氷ががらがらと崩れた。

 その頃二人は、長い長い螺旋階段を登りきり、扉を閉めたところだった。カキが素早く座り込み、鍵をかける。


「おいい、なんなんだアレは!?」

「き、きっとバケモノニャ!」

「とにかく鍵かけろ、鍵!」

「もうかけたニャ!」

「なら逃げるぞ! 宝石さえあれば、こんなクソ寒いところに用は無い!」

「ニャ!」


 二人は狭い廊下を走り出し、額縁の隠れ通路に一目散に駆けていく。回転扉を開け、エントランス・ホールの大階段へと戻ると、ようやく息を吐いた。

 その時不意にカキの肩が、ぽんと叩かれた。

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