2話 二組の旅人(1)
「ありがとうございましたーっ!」
シキの元気のいい声が後ろで響く。
タルトはリズに抱えられながら、またメインストリートへと戻る事になった。
「さて、と。それじゃ、教えてくれた宿屋に……どうしたのさ。元気ないけど」
「う、うん」
さすがに男の子を怒らせたのを気に病んでいるとは言い出せなかったが、表情でなんとはなしに悟られたらしい。
「そう気にしても仕方ないよ。誰かの琴線に触れるなんて思わなかったんだろうしさ。それより宿屋だ」
リズはシキに書いてもらった地図を片手に、周囲を見回した。地図に書いてある道を確認しながら、実際の道を確認するという作業を繰り返す。
タルトは抱えられた腕の中で、仕方なく宿屋に到着するまで待つ事にした。足元の石畳をじっと見ていると、ふっと視界の端を黒い影がよぎった。
なんだろうと顔をあげた時、目に飛び込んできたのは、銀色の虫だった。
大きさはリズの手におさまるくらいで、銀色の羽が小刻みに震えている。それは首を傾ぐようにして、タルトの目の前で飛んでいた。
「り、リズ! リズっ!」
驚いてリズを呼ぶ間に、銀色の羽を持った虫はどこかに行ってしまった。
「どうかした?」
「い、い、今、虫がっ! 変な虫があっちに!」
慌てて虫が飛んでいった方を指し示す。けれどもあたりは冷たい空気に道ていて、空からはちらほらと白い雪が舞っている。とても虫がいそうな天気には思えなかったし、そもそもその虫もどこかに消えてしまった。
「虫って……見間違いじゃなく?」
「でもいたのよ!」
「さっきこの街には虫も鳥もいないって言ってたけど」
「そ、それはそうだけど……」
そう言われてしまうと、タルトにはもう返せる言葉がなかった。
「それより、早く宿屋に行こう。ひとまず荷物を下ろさないと」
ううん、とタルトは唸ったが、リズはとっくに宿屋への道を辿り始めていた。
二人は気付いていなかった。
タルトの前を通り過ぎていった虫が、曲がり角の中へ入ったことに。そしてその虫を――機械仕掛けの虫を掴み取り、ほくそえんだ者たちがいた事に。
二人が教えてもらった建物には、家の描かれた看板があった。「暖炉の灯り亭」という名前は、去年の中ごろに「水晶の花亭」から変わったようだった。
フロントのカウンターで人の好さそうな亭主と少しの間話をし、名前を書いた後に指定された部屋に入ると、リズは何よりも先にベッドにダイブした。
ベッドがはねて、リズの体もはねて、ベッドのばねがぎしぎし言った。ほうりだされたタルトがやっとのことで体を起こすと、リズは布団を抱きしめてしまって床に落ちた。
「ちょっと、リズ!」
「ああ、ごめん。久々のベッドだったから! それに寒いし」
布団を抱きしめたまま転がったリズの背を見ながら、タルトは立ち上がって一通りの文句を言った。
リズはとてもそっけなく、聞いているふりだけをしていた。
姿勢を戻して上半身を起こし、ベッドの上で座り込んだのは、タルトの一通りの文句が終わってからだった。
「さて。それじゃあ、もう行ってみるかい?」
「行くって、どこに?」
タルトが青色硝子の目を瞬かせながら言う。
「何って。ルネ君に逢いに行くんじゃないの?」
唐突に核心をつかれて、タルトはぎくりとした。
「そっ……それは……うん……」
「気になってるみたいだし」
そうは言われたものの、内心タルトはそわそわしていた。
確かに気になるけど、こういうとき何を言えばいいんだろう?
ゴメンナサイでいいのか、向こうの気持ちはおさまっているのか、はたまたうまくやれるのか、タルトの中をぐるぐると考えがまわっていた。
頭を抱えているタルトをよそに、リズは立ち上がって床に放り投げた荷物を置き直すと、中から貴重品を取り出して腰のポーチに入れ、気が付いたときにはすっかり出かける準備を整えていた。
タルトがはっと前を向いたときには、準備万端といったいでたちで座っていた。
「じゃ、行こうか。どちらにしろ街の中は見てみたかったし。ともかくルネ君に逢ってみないことには進展しない!」
「う、うん……」
リズのこの行動力はどこから来るんだろうと思いながら、タルトは両手をあげて抱え上げてもらった。
二人はまずしらみつぶしにメインストリートに出たが、それらしい姿は見つからなかった。花の鉢を持っているはずだからすぐに目につくとも思ったが、それよりも赤髪の旅人と魔法人形の組み合わせの方が目立つらしい。
街の中には水晶採掘の街として名をはせていたころの名残らしきものが、あちこちに残っていた。丈夫なつなぎの服を売っている店もあったし、採掘のための道具店もあった。でも、そのほとんどは閉店していたり、隅においやられて別の店として機能していた。
「百年も経ってちゃ、街も変化せざるをえないようだね」
リズはそうつぶやいた。
「それでもここまで残っていたのは、まだ水晶鉱山自体は生きてるんじゃないかな。ただし入る人は激減してそうだ。今はもういなさそうだし」
「そうなの?」
「町長さんの家に記念館があるみたいだし、そっちを見てみれば詳しい事がわかるかもね」
二人は話しながら街中をうろついた。その間に雪は一度やみ、霧も少しは腫れてきたが、周囲はやっぱり見えにくかった。
「………」
近道になる裏道を歩く。メインストリートよりは狭く、簡素な住宅街といった趣の通りだった。ルネはどこにいるんだろうとタルトが思った時、どこかで聞いたような声が聞こえてきた。
「……わかった。協力するよ」
いくぶんか落ち着いた声だったが、間違いなく、シキの店で怒鳴った声と同じだった。声のした方向を見ると、ルネが建物に向かい合っていたところだった。手には、相変わらず花の鉢も持っている。
リズの顔がぱっと明るくなる。
「居た居た。ルネくーん!」
唐突に叫んだので、タルトもぎょっとした。
ルネも明らかに驚いた顔をして、一歩下がる。
「り、リズってば!」
「おーい、ルネ君! さっきは……」
リズが全部言いかける前に、ルネは困ったようにもう一度建物の方を見てから、急いで走り去っていってしまった。追いかけようとする間もなく、曲がり角を曲がってしまった。
「……に、逃げられた……」
「あちゃー」
ルネが立っていたところは、ちょうど路地裏への曲がり角になっていたところだった。ルネが建物を見ていたのでなければ、ルネはこの曲がり角を見つめていたことになる。
だがそこは建物が密集しているような路地裏で、ざっと見えるものも、ゴミ箱と思しきペール缶や、木箱、更には何に使うかわからないようなものばかりだ。この奥に何かあるとも思えない。
「……こんな所で、何してたのかしら」
「さぁ? 誰かと話してたみたいだけど」
「誰かって、誰と?」
二人はしばらくその路地裏を見ていたが、答えは何処にも無かった。
仕方なく宿屋に戻ると、帰る頃にはもう夕食の時間だった。
二人はそのまま食堂に通され、一人分の夕食をとることにした。
サラダと一緒に、薄切りにされた牛肉が、よく炒められたタマネギと一緒にクリームとトマトスープで煮込まれた温かなシチュウが運ばれてきて、バターライスと揚げたジャガイモがついている。
リズは目を輝かせながら口に入れて、幸せそうに顔をほころばせておた。
タルトはしばらくその様子をテーブルの上で見ていたが、やがて口を開いた。
「……リズ」
「えっ、何?」
――今は食べるのに忙しいから、と目で訴えられたが、タルトが見つめると、ごくりと口の中のものを飲み込んでから、一息ついた。
「まぁ……そうだね。明日もう一度シキさんの店に行ってみようか。会えるかもしれない」
「ん。そぉ、ね」
「まぁそれより、今はこれだよ! 美味しいんだって、本当に! 例えるなら、クリームとトマトが皿の中で出会ってダンスを踊り、そこに牛肉というハーモニーが重なって……」
リズの主張は途中から意味がわからなくなった。
それよりも食べる事が重要であるかのように、残っている夕食を口に運び始めた。作業的な食事ではなく、本当に楽しんで見えた。
部屋に戻ってベッドに倒れこみ、座りなおすと、もらってきた街の地図をベッドの上に広げた。
「さて、と――」
タルトは身を乗り出して地図を見つめた。リズが地図の上で指を動かし、家のマークが書いてあるところで指を止める。
「ここが今いる宿屋。それから――こっちがシキさんの店だね」
メインストリートを奥に行くように指を動かすと、一番奥のところで指を止めた。そこには街の入り口と同じように線が引いてあり、おそらくは氷の城と街を分けるための門だろう。そしてその奥には、まるで正体不明の何かのように、ぽっかりと開いた空間に、ただ一言、”氷晶迷宮”と書かれていた。
「この……迷宮とやらの奥にあるのが、昼間見えた城だね」
「うん」
タルトはしばらくそれを見つめた後、ふとリズを見上げた。
何やら難しい顔をして、じっと地図の一点を見つめている。
「どしたの?」
「いや……昼間、一度ルネ君を見かけた場所、あったろ?」
「……うん」
どきりとしながら返事を聞くと、リズは指を動かして、ある範囲を囲って示した。
「それがこの辺りだ」
「うん?」
「ルネ君は、この辺りで誰かと話をしていた。協力するとか、しないとか。だからひょっとして、この近辺に知り合いが居るんじゃないかな。だからもし明日シキさんの店に居なかったら、この辺りを探せば、何とかなるんじゃないか――」
「あ」
タルトは、ぽん、と手をたたき、納得した。
「もっとも、絶対に居るとは限らないけど」
「でも……リズ。なんで、そんな?」
「キミが気にしてるというのもあるけど」
タルトは無言で、両手でほっぺたをぐりぐりと触った。
二人は早々にベッドに横になった。
「思えば、シキさんのお店行きそびれたなぁ……」
そんな言葉が聞こえた後に、意識が飛んだ。
翌朝、二人はいつものように起きだすと、いつものように朝の準備を済ませてから、食堂に向かった。
食堂では暖かいスープとパン、サラダとベーコンといった料理が用意され、リズが食べている間、タルトは今度はテーブルではなく、椅子の上で座って待っていた。
一旦部屋に戻って時計を確認すると、もう10時になっていた。
一階のフロントで鍵を預けて外に出ると、昨日とは違い雪は降っていなかったが、雲は相変わらず灰色だった。城の方を見ると、そちらの方が濃い色の雲に覆われている。
霧の方はいくらかマシになったようで、昨日よりもいくらか見通しがよくなっていた。
メインストリートへと歩み出ると、霧が無いぶん、昨日とはまた違うような印象を受けた。遠くの方に、城と街を分断している、大きな木の扉がうっすらと見えた。
「確か、こっちの方で――」
リズが振り向き、場所を確認した瞬間。
「――居たぞ! 赤毛の旅人だ!」
「え?」
突然の声に驚くと、後ろで怒ったような顔をした男の住人が、リズたちを指差していた。
「あいつか!? 捕まえろ!」
「え!?」
別方向からの声に、リズがそちらを向くと、これまた怒ったような顔をした別の男が、リズたちを指差していた。そうこうしている間に走り出され、リズは思わず誰もいない方向に向かって逃げ出した。
「な、なっ……!?」
リズがわけを聞く間もなく、二人の男は声を荒げながら追いかけてくる。
「えっ、ちょ、ちょっとリズ、何かしたの!?」
「してないよ! キミこそ何かした!?」
左側の曲がり角から出てきた別の住人が、リズを指差しながら何事か叫んだ。
「こっちからも!?」
リズは急停止すると、右側の曲がり角へと走り出した。リズの肩ごしに後ろを見ると、信じられないような光景が見えた。
信じられないけれど、後ろを向けない相方には伝えなければならない。
「り、リズ」
「なに!?」
「増えてる…」
答えはなかった。ただ、顔がひきつった気がした。
後ろからは追っ手がどう見ても増えていた。リズの肩にしがみついて振り落とされないようにすると、やがて細い路地に入り込んで、息を殺して住人達が走り去っていくのをうかがう。
足音がどんどん遠くなり、あらかた走り去ったのを確認すると、リズが大きなため息をういた。呼吸を整え、近くのペール缶に腰かけた。
「い……一体どうなってるんだ……?」
「やっぱりリズ、何かしたんじゃないの?」
「だからしてないってば」
リズはそう言ってから、もう一度左右の道を確認して一息ついた。
「ともかく、何か勘違いされてるのは確かだよ。そもそも昨日は何もしてないじゃないか」
「うーん。そうよね……」
「それがわからないことには、対処のしようが無いし――」
「ううん……」
タルトはしばらく考えたが、そこで一つ思いつくことがあった。
「リズの中にいる人は?」
「……、あり得なくも無いけど、それはどうだろう?」
タルトは、リズが銀砂の砂漠で拾ったという”誰か”の事を思い出していた。
”誰か”、あるいはその”何か”は、赤いような色で、いつもはリズの中で眠っているのだという。”それ”は余程最悪な性格なのか、あるいは扱いづらい性格なのか――常に機嫌を損ね、起きた途端に暴れだすという何とも迷惑なものなのだ。
「でも、今回は何も要因が無いよ。それに、いくらなんでもやる事は選ぶんじゃないかな。下らない事はしないと思うし」
「たとえば?」
「食い逃げとか?」
二人は、凶悪な面をした――もとい、デフォルメされた落書きのような赤い凶悪面の”それ”が、店の中で散々飲み食いした挙句、店員に叫ばれ追いかけられながら逃げる――という場面を、見事にシンクロして想像した。
「……変ね」
「変だろ」
二人は想像したそれを自ら打ち消した。
「居たぞ! こっちだ!」
「うわ!?」
突然の声に驚くと、後ろの道から、住人の一人がこちらを指差していた。
慌てて路地から走り出ると、道の右側からまた住人たちが追いかけてくる。
「あそこだ!」
「つかまえろ!」
リズはもう一度後ろを振り返った後、住人たちが追ってきていない左側へと走り出したが、目の前からはすぐに別の住人たちが走ってきて、慌てて立ち止まった。
振り向くと、後ろからは合流した二組が走ってきている。目の前の住人たちも確実に迫っている。そして、左右には逃げられるような小道は無い。
「これは……、万事休す、かな」
リズが立ち止まったままため息をつくと、一斉に住人たちに囲まれた。そうして一歩、二歩と後ろへと下がると、住人たちは少しずつ二人を追い詰め始めた。
建物を背にした格好で、円形になった住人たちにじりじりと迫られる。
「も、もう逃げられないぞ……」
住人たちも疲れているのか、肩があがっている。だが、さすがにこの状態から逃げ出す術は、リズにも考え付かなかったらしい。
タルトは不安になってリズを見上げたが、リズは建物にもたれ、あきらめたように笑っているだけだった。
「もうっ…もう! どうするのよう、リズ!」
「――さて。どうなるだろうね」
リズはタルトを抱いていない腕を顔の位置まであげ、ホールドアップした。
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