発表する日

 黒い天井、白い壁。モノクロチェックのタイル張りの床。酒の並ぶ棚、その前にはカウンター、そして多数のテーブル席。ブラックライトの明かりに包まれたこの大広間には、普段なら朝も夜もなく旧世界メタルが流れている。亡者の住まい『家』唯一最大の科学者……『先生』が修理した音楽プレーヤーが動きを止める日は限られている。たとえば今日のような、『発表会』の日などが該当しよう。

 舞台でキーボードを弾くのは、四本の腕を持つコープスメイクの女である。洒落た飾りのついたハットを斜めに被り、『家』の住人としては珍しい、黒く落ち着いたゴシックドレスを身に纏っていた。

 すらりと長い四本腕のうち二本は、彼女の目の前にあるキーボードを操り、メロウで落ち着いた雰囲気を持つジャズピアノ楽曲を奏でている。一本の腕はリズムを取り、もう一本の腕が細かい音色の調整を続けている。複数のタスクを同時にこなしながらも、彼女はエレガントな演奏を披露していた。

 では、もうひとりの女は? 同じく青黒いゴシック服を着た女。とはいえ、四本腕の女と違い、若干甘めのデザインである。ボブカットに黒縁眼鏡、歯が妙に牙めいてギザついているのが特徴的。四本腕女よりも若干小柄でスレンダーな体型であった。頬には漢数字『四○』を基にした、花めいたパターンのタトゥー。手にはノートめいた冊子。そこに書いてある文字を、彼女はマイクに向けて朗読していた。


「――嗚呼 今日も巡り来る夜

 彼方より光を送る星々は静かに見下ろすのみ

 この哀れなる大地を

 その上を這い回る小さな虫を

 嗚呼 母なる大地がまたひとしずく

 白い涙を流した……」


 彼女がノートをぱたんと閉じると同時に、静かながらも技巧的なピアノソロが始まる。それはワンコーラス分続き、やがて旋律は主題に再び戻る。音楽に合わせて小さく体を揺らしていた朗読女は、スタンドに立てられたマイクに向け、再び語った。

「……えー、そういうわけで、シオンとコーマの『ヒーリングナイト』、今夜はいかがでしたでしょうか。皆様の癒しになっていれば幸いです。よろしければ評価の方をよろしくお願いいたします。曲はコーマの新曲『星の綺麗な夜』でした」

 シオンが言い終わった直後、コーマが気持ちの良い不協和音で楽曲を締めた。シオンとコーマが礼をすると同時に、ぱらぱらと拍手。ステージに向けて、何人かが色とりどりの『評価』を……つまりカジノチップ通貨を投げた。露出の激しいメイド服の女達が、片付けがてらそれを回収していく。

「はぁい、ありがとうございました、『ヒーリングナイト』のふたりでしたぁ」

 この『発表会』を仕切っているのは、やはり『ママ』。紫のドレスと頭より巨大なふたつの乳房が特徴的な、この『家』の女王である。舞台袖の司会席に座った彼女がマイクに向けてのんびりと喋っている間に、何人ものメイドが舞台を次の発表に向けて整えていく。

「今日も良かったですねぇ、素敵な世界観でした」

 次に舞台に立つと思しき単眼女が、ベリーダンスめいた格好をして舞台袖に待機している。コーマを伴ってその隣を歩くシオンの顔には、どこか曇りがあった。

(『素敵な世界観』)

 ママがひとことでまとめたそのコメントが、カウンターへ向かうシオンの頭の中を繰り返し駆け巡る。

(なんてフワッとした感想)

 ひと仕事終え満足気なコーマの表情は、シオンとあまりにも対照的であった。

(分かってる。分かってるわよ。ママもそれくらいしか言うことがないんだわ。誰でも、誰に対しても言えるようなコメント。所詮それくらいしか価値が無い、ママの心を動かせない発表だったってこと)

 少々大きな音を立てながら、シオンはカウンターに着いた。コーマがその隣にゆっくりと座り、カウンターに立っていた広い額の眼鏡メイド……3号に酒を注文した。

「ウイスキーを下さいませ。ロックで」

「カしこまりました、少々オ待ちください」

 壊れたテープめいてどこかぎこちない喋り方で、3号は返事をした。メイドの中で会話ができるのは彼女だけなので、これでもまだコミュニケーションが正常に成立するだけマシではある。

「シオンさん、どうなさいますの?」

「……ワイン。赤」

「カしこまりました、少々オ待ちください」

 3号は再び機械的に返事をした。シオンはその対応に多少苛立ちを覚えたが、だからと言って何か特別に行動を取ったわけではなかった。

「今日も最高の舞台にできましたわね」

「……そうね」

 恐らくコーマは本当にそう思っているのだろう。喉の辺りまで出かけた本音を押し殺すように、シオンは返事をした。

(最高の舞台だった……貴女はそうでしょうね)

 ひとりのメイドが、ふたりの後ろに現れた。手にいくらかのチップを持って。そう、先程の投げ銭である。この『家』の女達……とりわけ好んでステージ近くの席を取るような者達には、こうしてパフォーマンスをカネで評価する文化がある程度根付いている。元々宵越しの銭を持つ考えのない女達である、良い発表にはカネ払いも良い。

「メルシー5号。さ、胸をお出しなさい」

 メイドの……5号の胸に開いたスリットに、コーマがチップを挿入する。5号は少しばかり甘い声を上げた。彼女の背中を見送り、改めてチップの量を確認すると、コーマは笑顔を見せた。

「うふふ、今日もふたりの飲み代くらいにはなりましたわね。母なる大地、優しい人達よ、ありがとう」

(そう、ふたりの飲み代『にしか』ならない。今日も、その前も、そのまた前も)

「オ待たせしました」

 言葉に出せぬその苛立ちをコーマが悟る前に、3号がふたりの前に酒を提供した。コーマがふたり分のチップを差し出すと、3号はその懐にそれらを無表情でぽいと入れる。彼女に胸スリットが開いているのかどうかは、長年議論の対象となっている。メイド長という立場上、3号は夜の相手として『買う』ことができず、またメイド服も他とは違う露出の少ないヴィクトリア様式であるため、今のところ誰も確認できていないのだ。

「それじゃあ、『母なる大地に、そしてヒーリングナイトに』」

 丸い氷の浮かぶロックグラスを、コーマはシオンに向け小さく掲げる。ふたりだけの祈りの言葉と共に。

「……『母なる大地に、そしてヒーリングナイトに』」

 シオンもワイングラスを掲げた。チンと小さな音を立て、グラスとグラスがぶちかり合う。シオンは大きくひと口、コーマは控えめにひと口、己の盃に注がれたそれを飲んだ。

 舞台では既に次の発表が始まっている。先程の単眼女が、『本の柱』のCD置き場からディグした旧世界エキゾチックBGMに合わせ、官能的な動きを交えた踊りを披露している。

「アイの発表、今日も盛り上がってますわね」

「そうね」

 単眼の女……アイアイ、もしくは単にアイ。彼女のダンスは非常にウケが良い。彼女は多様なダンスに精通しているが、その中でもセクシー路線のものは特に高評価であるようだった。外に広がる廃墟のひとつを利用し、数名のダンス仲間と共にライヴも披露したこともある。発表で多額のカネを得ることを『成功』とするなら、彼女は間違いなくダンスで成功していると言えよう。

(出てきたのは私達より後なのに)

 シオンはギザついた奥歯をギリと噛みしめた。シオンの家族番号は『四〇』、そしてコーマの家族番号は『五〇』。どちらも二桁台、二百名を超える『家』の住人の中でも古参と呼べる存在。番号が近いこともあり、意気投合するのにそう時間はかからなかった。ふたりで何か大きなことをしよう、そう決めるのにも。

 コーマは詩を引き立てるよう曲を作り、シオンは曲を盛り上げるよう詩を書いた。どのタイミングで詩を入れればお互いが引き立つのかよく研究し、練習も何度も重ねた。出来る範囲で宣伝もし、二十八日に一度行われるこの発表会にもほぼ皆勤賞。そうやって続けて、もうどれほどになろうか……その結果が今。ファンも増えぬ。大した収入にもならぬ。新参には興行成績で抜かれる。

 何故? コーマはこれほどまでに素晴らしい演奏をし、自分も心血を注いで詩を書いている。何故それが評価に結びつかぬ? シオンはここ数年ずっと悩んでいた。否、それは違う。結論はある時点で出ていた。なるたけそれを見ないよう、同じところをぐるぐる回っていただけに過ぎぬ。

 理由のひとつに、需要と合っていないというのがあろう。大広間で普段から流れていることからも分かる通り、この『家』の住人が好むのは旧世界メタルである。重低音のギター、唸るベース、心を鼓舞するドラム、叫ぶように歌い上げるヴォーカル。いずれもヒーリングナイトのコンセプトとは正反対。

 だが、それでもファンはいる。コーマの演奏を新鮮で素晴らしいと褒める者。そのテクニカルさを音楽的知識に基づいて高く評価する者。彼女の演奏がメタル以外の旧世界音楽をディグするきっかけになったと喜ぶ者。

 そう、ファンは基本的に……コーマのピアノだけを聴いているのだ。

 シオンがヴォーカルを担当していれば、またいくらか状況は違ったかもしれない。そうしなかったのは、単純にシオンが音感を絶望的に持ち合わせていなかったからである。それでもふたりで何かをしたいと言ってくれたのはコーマだ。だから朗読とキーボードだけでグルーヴ感を出す方法を模索したし、自分達なりの方法でそれをある程度達成できたと思っている。

 それでも聴衆は、キーボードにしか耳を傾けない。あたかもバンドのヴォーカルだけを聴くように。多くの聴き手にとってシオンは、コーマの上質な演奏の上でボソボソと何かを喋っているよく分からない女に過ぎないのだ。

 その事実にシオンが気付いたのは、そう最近ではない。それはシオンをこの上なく絶望させたし、また苛立たせた。活動すればするほどその事実はシオンに突き刺さる。そして今日の発表で、確信したのだ。『星の綺麗な夜』は最高の新曲だったし、そこに乗せた詩とて寝る間も惜しんで書いたものだ。それでも手ごたえ無し。

 今日こそ言わねばならぬ。もう潮時だろうと。お互いの為、『ヒーリングナイト』は解散すべきだと。

 コーマは3号に異形生物の燻製を注文していた。3号は愛想無く了解の返事をすると、キッチンへと引っ込んでいく。言い出すなら今か。シオンは一度唾を飲んだ。

 シオンとて怖くないわけではない。今までそれなりに楽しく続けてきた活動だ。自分が今から言おうとすることは、それを壊してしまうことだ。コーマは何と言うだろうか。案外あっさりと承諾するかもしれない。コーマは聡明な女だ。彼女が気付かないはずがない。シオンが気付いている程度のことに。シオンがコーマの足を引っ張っていることに。

 たった一度だけ勇気を出せ。自分がいなければ、コーマはもっと躍進できる。自分も劣等感で苦しむことはなくなる。シオンは己に言い聞かせ、息を吸い込むと――。

「ねぇ」

「シオン」

 シオンの声と、コーマの声が被った。コーマがくすりと笑う。

「あら、お先にどうぞ」

「ううん、コーマから言って」

「よろしいのに」

「いいから」

「そう。じゃあワタクシから」

 出鼻をくじかれたシオンは、思わず出した勇気を引っ込めてしまった。とにかくまずは、コーマの話を聞けばよい。それから改めて切り出せば。シオンが己に言い訳をしていると、コーマはウイスキーをひと口飲み、そして言った。

「今後のヒーリングナイトの活動に関わることですの」

 シオンの心臓が、たった一度大きく跳ねた。

「……何?」

 シオンは、それだけ聞き返すのがやっとであった。何を言われるのだろう。否。否。否。分かっている。この切り出し方。今、たった今自分が言おうとしたことだ。シオンとて分かっていたではないか。コーマが足手まといをどうしたがるか。

 いくらシオンが邪魔であろうと、コーマはそれを一度たりとも態度に出したことはない。いつも微笑んで、ヒーリングナイトがより素晴らしいパフォーマンスを披露するための建設的提案を繰り返し、シオンとやりたいのだと、そう言ってくれていた。その限界が、今日来たのだ。シオンが解散を提案しようとした、その日に。

 シオンは今すぐこの場から逃げ出したかった。解散すべき。自分でも分かっているのに。今言おうとしていたのに。自分からではなくコーマから別れを告げられることが、これほど恐ろしいことだとは。口の中が渇く。永遠の拒絶。死刑の宣告。これから数秒後に紡がれるであろう言葉は、シオンにとってそれほどの重さがあるように感じられた。

 何やら言いよどむような素振りを見せていたコーマの唇が、ゆっくりと開かれ――。

「嫌!」

 シオンは思わず立ち上がり、カウンターをドンと叩いていた。ダンスに注目していた人々の視線が、ふたりへと向く。

「……えっと、まだ何も言ってなくてよ」

「だって、だって! 私、嫌! 私、邪魔かもしれないけど! 迷惑かけてるかもしれないけど! コーマとのセッションが好きなの!」

 言おうとも思っていなかったことが、シオンの口からどんどん溢れてくる。その目からも、赤い涙がこぼれ落ちようとしていた。

「もっと私頑張るから、コーマの足引っ張らないようにするから、だから――!」

「ま、待って、待って、お待ちになってシオン……ちょっと、見世物じゃなくってよ!」

 四本の腕でシオンを落ち着かせようとしていたコーマは、周囲の視線に気付くと、珍しく声を大にして彼女らを威嚇した。観客達は多少狼狽えつつも、舞台上でベリーダンスをするアイに注意を戻していった。

「オ待たせしました」

 3号が全く空気を読まず、ふたりの間に燻製の乗った皿を置く。コーマは四本腕の一本でカジノチップを掴むと、やや雑に3号へ渡した。3号はそれを懐にしまうと、再びその場で静かに佇み始めた。コーマの残る腕のうち一本はシオンの背中をさすり、二本の腕はシオンの肩に乗っていた。シオンが癇癪を起こしそうな時、コーマはよくこうして彼女を落ち着かせる。

「え゛っ、え゛っ」

「シオン、ねぇシオン、お聴きになって」

 シオンが多少話が聴ける状態になったらしいのを確認し、コーマは改めて口を開いた。

「貴女が何を勘違いなさったのか分かりませんけど。ワタクシはね、シオンとこれからも活動したいと思っていますの。その為の建設的な話し合いがしたいんですの」

「……建設的な?」

 3号がそっとハンカチを差し出す。シオンは眼鏡を外し涙を拭くと、それでビッと鼻をかんだ。

「イルって子、ご存知かしら?」

「イル? ……ああ」

 シオンの頭に、髑髏タトゥーを顔に入れた女の姿が浮かんだ。火を噴くギターを持っていて、異形狩りの現場では荒々しくそれを振り回している。

「彼女がね、バンドを組まないかって。ワタクシに声を掛けてきて。まだ名前は決まってないそうだけど、メタルバンドなんですって」

「……そう、なんだ」

「ああ、だから悲しい顔なさらないで。建設的なお話だって言ってるでしょ」

 俯くシオンの柔らかい頬をふたつの手で押し潰しながら、コーマはシオンに上を向かせた。

「ぶぅ」

「それであの子にはね、一旦持ち帰って検討いたしますって申し上げましたの。面白そうだけど、私にはヒーリングナイトがありますもの。貴女が嫌ならワタクシも嫌だし、そうじゃなくてもスケジュール調整をしなくちゃ」

「辞めないの? ヒーリングナイト」

 その手を引き剥がし、シオンが問うた。

「メタルなら絶対ウケるし、私と組むより――」

「勿論、貴女が辞めてほしいならワタクシもそうしますわ」

 縫い目の描かれた口元を微笑ませ、コーマは続けた。

「でもワタクシは、シオンと一緒にステージに立ちたい。友達ですもの。ずっと一緒に頑張って来た」

 シオンはゆっくりとその心で言葉を受け止め……再び目を潤ませ始めた。一本の腕でシオンの頭を撫でながら、コーマはシオンを残る三本の腕で抱き寄せる。

「あらあら、やっと泣き止んだと思いましたのに」

「う゛ぅ、私、頑張るがら、足、足、引っ張らないようにぃ」

「引っ張ってなんかいませんわ。ワタクシ達のセッションはいつも最高ですもの。ほら、こんなにいますわ、評価して下さる方が」

 シオンを撫でていた手で、コーマはふたりで今日築いた小さなチップの山を指差した。評価の証。たったのあれっぽっち。それでも、確かにふたりが築いた山であった。

「さっき数えたら、前より少しだけ多かったんですのよ。次はもっと増えますわ。時間がいくらでもありますもの、ワタクシ達には。『家』の皆さんにこの素晴らしさが浸透するまで、気長にやりましょう」

 舞台の上では、ダンスを終えたアイが深く礼をしていた。大きな拍手が鳴り響き、何十枚ものチップが投げられる。それらは無論アイに向けられたものだったが……その拍手はまるで、これからも共に歩んでゆく、その決意を新たにしたふたりを祝福しているようにも見えた。

「はぁい、アイアイちゃんのダンスでしたぁ、ありがとうございましたぁ。素敵なダンスでしたねぇ」

 ママがやはり語彙力に乏しい感想を述べる中、ふたりは熱い視線を交わした。繋がっていることを確かめるように、ふたりは徐々に顔を近づけ、そして――。

「それでは次は……モモちゃんの発表でぇす」

 ――咄嗟に舞台を見た。

 それは多くの観客も同じであった。今、モモと言ったのか。それが聞き間違いでないことは、ステージ上を見ればすぐに分かることである。

 そこには、黒く巨大なシルエット。メートル法に換算して二メートルは超えていよう。胸元と肩から先が大きく開き、スカートにはほとんど腰までスリットの開いた、妙にタイトな修道服。長い前髪がヴェールからこぼれ落ち、彼女の顔の左半分を覆い隠していた。手には指抜き手袋。爪には赤いマニキュア。脚にはブーツ。

 間違いない。そこに立っているのは、モモ。今では古参が知るのみとなったあの『ヨミ』の妹分であり、チームも組まずに異形生物狩猟スコア上位に食い込み、性に開放的なこの『家』の風土を考えてもあまりに旺盛すぎる性欲を持ち、そしてしばしば突飛で奇抜な言動で注目を集める。そんなこの『家』随一のお騒がせ女も、発表会に参加したことは一度も無かった。そもそも、今日彼女がこの発表会に参加するなどという噂は誰ひとり聞いていない。飛び入りか? しかし一体何故? そして、一体何を?

 多くの視線が集まる中、モモは一度咳払いをし、そしてマイクに向けて「あー」と幾度か声を発した。その表情に、緊張や不安は見られない。かといって自信に満ち溢れているわけでもない。要するに何を考えているやら分からぬのだ。それは何も今に限ったことではない。彼女の表情はいつもそうである。

「えー、一発芸やります。面白かったらカネくれ」

 身も蓋もない発言。客席の一部で笑いが起きる。若干場が温まった中、彼女が懐から取り出したのは……一本のスプーン。

「スプーン曲げします」

 マイクで拡声されたモモの言葉で、場は奇妙な空気に包まれた。

 スプーン曲げ。知っている者は知っていよう。旧世界の手品のひとつ。超能力という名のトリックで、スプーンの柄の部分を曲げるというもの。そんなことをしに舞台に立ったのか? 亡者であればそんなことは誰でもできる。腕力で曲げればいいのだ。脳のリミッターが失われて久しい彼女らは、それに伴う筋肉等の損傷にさえ目をつぶれば、誰でも化物めいた力を行使することができる。

 一瞬白けかけた場の雰囲気は……モモが次に取った行動によって、一気に変わった。それもそのはず。モモは一旦スプーンをしまうと、突如としてスカートのスリットに手を入れ……その白いパンツを……するすると……脱ぎ始めたのである!

 女達は一気にざわついた。スプーン曲げとは全く結びつかぬその行為に。今やあらゆる観客が、モモの一挙手一投足に注目していた。モモはパンツを舞台の床に放ると……おお、何たることか! 右手でそのスカートをめくり上げ、つるりと毛の無い自分の局部を露出してみせたのである!

 おぉ、とも、えぇ、とも取れるどよめきが、一斉に観客席から上がった。モモは澄ました顔で再びスプーンを取り出すと、その先端を口にくわえ、少しの間ねぶってみせた。再び取り出されたそれは、彼女の唾液でねっとりと潤っている。そう、ねっとりと……!

 何かに気付いたごく一部の娘達が、閃きの声を上げる! それが感染するように、女達はモモがこれからやろうとすることを電撃的に理解していった! 最後まで理解できなかった三分の一以下の亡者達も、その次にモモが取った行動を見れば分かっただろう! モモが己の股間に、そのスプーンを近付けていく様子を!

 スプーンの先端を、モモはずるりと己の膣内に挿入した! んっ、と小さな声と共に! 驚嘆と狂喜の声が大広間を包む! しかしこれはほんの始まりに過ぎなかった! モモは、多くの女にその下半身を晒しながら! 下腹部に大きく力を入れ、そして!

「堕ッ!」

 掛け声と共に! スプーンの柄を、ぐいと一気に曲げてみせたのである! おお、何たる膣圧か! 半端な力でこれをやればスプーンは滑り、膣内に大きな怪我をもたらしたことであろう! 舞台の下から大きな歓声が上がる! ところがこれだけでは終わらない!

「惰ァ……ァッ!」

 モモはスプーンの柄を、様々な方向に捻じ曲げていく! 何度も! 何度も! どれだけ無茶な回転をさせようと、彼女の膣は決してそれを放すことはない! その膣圧は最早万力にすら近い! やがて音を上げたのは、鈍い色をした匙の方である! 繰り返される負担に耐え切れなくなった古い金属は……ぽろりとその首を胴と分離させたのだ!

 場が熱狂に包まれる中、モモはただの小さな金属板と化した柄を投げ捨て! そして!

「駄ッ!」

 その膣から! 尋常ならざる勢いで! 小さな鉄の塊を! 吐き出したのである! 弾丸めいて射出されたそれは、大広間の床に小さなクレーターを形成! 最前列にいた女が駆け寄り、液体まみれになったそれを恐る恐るつまみ上げる! 間違いなくそれは、愛液で輝いていること以外何の変哲もないスプーンの先端であった!

「……以上。『マン圧スプーン曲げ』、終わりっ」

 モモがスカートを元通りにし、マイクに向かって言い放つと、大きな拍手が起こった。カラフルなチップが飛んでくる中、モモは舞台端に落ちたパンツを拾い上げ、けろっとした顔でそれをはき直した。

「はぁい、モモちゃんの発表でしたぁ。ありがとうございましたぁ。すごい力でしたねぇ」

 一連の発表を目撃してもなお、ママは微笑みながら語彙力に乏しい感想を述べていた。

「でもお匙は数があんまりないので、皆さんは真似しないでくださぁい。モモちゃんは後でお話がありまぁす」

「えっ嘘だろ」

 再び起こる笑い。今日一番の拍手を浴びながら、モモは舞台を去り……あろうことか、つかつかとカウンター席に座ったのだ。事態を唖然としたまま見守っていた、ヒーリングナイトのふたりから少し離れた席に。

「3号、いつものくれ」

「カしこまりました、少々オ待ちください」

 3号が淡々と酒を用意している間に、モモの隣へもうひとり女がやって来る。ボンデージドレスに身を包んだ、銀髪の女が。

「ようモモ、テメェなんちゅう出しモンしてんだよ」

「あぁ、キキか。やっぱ下ネタはウケるな、一発限りなのがアレだけど」

「3号、私にも同じ酒出せ、あとレベル3のソテーふたつ。カネはコイツが出すから」

「図々しいなお前、いいけどよ」

 露出メイドの4号が、そこへ色鮮やかなチップを持ってくる。額にして、軽くヒーリングナイトの三倍以上はあるように見えた。モモが手間賃を挿入し、その胸を撫で回してやると、4号は顔を紅潮させ身悶えして喜んだ。

「いや、案外チョロいな発表ってのも」

「チョロくはねぇよ、アタシがこれ思いついてからどれだけマン圧鍛えたと思ってんだ」

「キハハッ、鍛えたのかよ! たかだかあんな発表の為に」

「アタシはいつだって真面目だっつぅの」

 キキと共にチップを積んで遊んでいるモモを見……目をぱちくりとさせながら、コーマは恐る恐るシオンに視線を移した。拳を握ってわなわなと震えている。

「えー、シオン?」

「……いわよ」

「えっ」

「絶対負けないわよコーマ! あんなのに! アイよりも! アレよりも! 絶対もっとずっと稼いでやるんだからね!」

 シオンは目をカッと見開き、コーマの肩をぶんぶんと揺さぶった。

「え、ええ」

「その、何とかいうバンド? それにも絶対負けないから! コーマが誰のか小娘に思い知らせてやるんだからね!」

 畳みかけるように言い放ったシオンは、カウンターに置かれたワインを一気に飲み干し、

「あ゛ッ」

 むせ返った。

「ああもう、無理なさるから。弱いのに」

「無理じゃないし! 3号! どこなの3号! いないの!? じゃあ誰でもいいわ、4号? 4号ほらもっとお酒持って来なさい! カネならあるのよここに! ふたりで稼いだカネが! 飲み尽くしてやるんだから!」

 その心に再び荒んだ風を戻した、しかしどこか顔の陰が晴れたようなシオンは、唸るような声と共に4号を捕まえ、胸のスリットにカジノチップ硬貨をねじ込む。その様子を静かに眺めながら、コーマはどこか満足気に微笑み、ウイスキーをひと口飲んだ。

 ステージでは、不幸にもモモの後に発表することになってしまった旧世紀メタル楽曲アカペラアレンジ集団『女声器』が、スラッシュメタルの名曲を歌い上げている。混乱冷めやらぬ中、全身でそのリズムに乗る観客達。まだ4号と暴れているシオンと、傍らでそれを見るコーマ。騒動を気にも留めず、下半身で掴んだカネで料理と酒を堪能するモモとキキ。カウンターの内側、澄ました顔で立ちながら、足で小さくリズムを取る3号。それぞれがそれぞれ、二十八日に一度の特別な日を過ごしていた。

 コーマのグラスの中、大きく丸い氷が、かすかにカランと音を立てる。それはスピーカーから流れる女達の声に呑まれ、誰にも知られず消えた。


 その日はとても暑かった。昨日が暑かったのと同じように。

 明日もきっと暑いだろう。

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百々百々駄惰堕(どど・もも・だだだ) 黒道蟲太郎 @mpblacklord

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