単の虫【後編】

「神様……!?」

「ま、それに近い存在の妖怪よ」


 ……それって、何の違いがあるんだろう?


「最近、どんどんと気温が上がっとるのもこいつのせいよ。確かに異常な暑さだとは思っとったんじゃけど……最悪も最悪じゃ。旱魃ひでりのかみの名の通り、日照りを起こすもんじゃけぇ、その地域一帯――下手すりゃ、県一つ丸々に雨が降らんようになる」


「そ、そんなの、すっごく危険じゃないですか……!」


 影響の規模が計り知れない。

 もう、災害と言っても差し支えないのでは?


「もしかして、地球温暖化の原因もこの妖怪が……?」

「いや、それはこの地球の問題」


 あ、そうですか……。

 頑張ろう、エコ活動。

 目指そう、温室効果ガス削減。


「ただまぁ……年々進む地球温暖化やら、いつもより早い梅雨明けやら、いろんな要因が重なった結果、旱魃かんばつわけなんじゃけど――」


「『残った』って……。普通は自然にいなくなるものなんですか?」

「雨というか、水に弱い時期があるんよ。それが梅雨のタイミングと合っとったんじゃけど……ここまで来ると、別の方法で鎮めんといけん」


 なんだ、方法があるのなら問題は解決したようなものじゃない。

 でも、先輩は『いろいろと手間がねぇ……』と乗り気ではない様子。


旱魃かんばつを鎮めたかったら、。ただし、波打ち際に近いところで。ただ――海水浴シーズンの中での規制の兼ね合いだったり、その海一帯の環境に影響が出る可能性がねぇ……」


 下手をすると、交渉に時間がかかる可能性があるとのこと。


 ぐむむ、と唸る先輩。他の部署との兼ね合いまで考えなければならないと、珍しく頭を悩ませている。一刻も早く処理したい、するべきだと分かっているのに面倒が生じるのは社会の厄介な部分である。


 今回ばかりはパッとは済まないのだろうか。


「…………」


 ――ううん。自分だって、いつも見ているだけじゃ駄目だ。

 何か意見を出さないと。せめて、何かのきっかけを。

 そう知恵を絞るも、土台の部分からして先輩と違うのに無理がある。


 国の歴史や文化かぁ……。


 専門的な知識もなく。妖怪に対してのノウハウだって積んでない。

 それでも何か言わないと、と考えナシに口を突いて出たのは真逆のこと。


「じゃあ――逆に山の中に放ってっちゃうっていうのは……?」

「…………」


「あっ、やっぱり駄目ですよねっ!? いや、なんというか森林“浴”とも言うし、もしかしたらなー、なんて……。すいませんっ、忘れてくださいっ!!」


 こんなもの、膨大な数の引き出しから望んだ物を取り出すようなものだ。知っていれば一発でアタリを引くことができるだろうけど、知らなければどれだけやっても辿り着かない。


 素人に毛が生えたような私では、見当違いのことを言って恥をかくのがオチだった。その証拠に、先輩だって呆れたような顔をしている。


「そんなもん――……いや、待てよ……?」

「え……?」


 少しだけ考えてから、パチンと指を鳴らす。

 先輩の、いつものニヤリとした笑顔がそこにあった。


「案外――良い手かもしれんね」






 そうして翌日――先輩の車に乗って連れられたのは、某所の山中。


 すぐさま業者を手配できたおかげで、大仕事だったけれども迅速に公園から岩を運び出した手際の速さは流石は専門業者と言うべきものだった。軽トラックに載せたところで、その日の作業は終わり。


 今日は朝から山に入り、道なき道を進んで二十分。


 元々はなにかの工事をしていたのか、車が何台か入る程度の開けた所が、今回の“送り返し”――旱魃かんばつを鎮めるための場所らしい。


 ――――。


 クレーンによる岩の積み下ろしもすぐに終わり、業者も撤退して残されたのは私と先輩だけ。ここからは『怪し課』の仕事として、しばらく経過を見守る必要があるらしい。


「先輩……」

「ん? なんかいね」


 …………。


「私が言い出しておいてなんですけれど……本当に効果があるんですか……?」

「心配ありゃせん。じきに変化が表れるけぇね」


 待てども待てども動きがないため、焦っていた。

 あたりには蝉の音がこれでもかと充満していた。

 四方八方、上下左右、どこからでも聞こえる蝉の鳴き声。


 ジーワジーワジーワジーワ。

 ミーンミンミンミン。

 ツクツクホーシ、ツクツクホーシ。


 日本人は虫の鳴き声を聞き分けるのが得意――というよりも、欧米人が虫の鳴き声を一つのノイズとしてとらえているらしい。


 そういえば確かに、日本では童謡で『虫のこえ』というものがある。


 まつ虫がちんちろりんだとか、くつわ虫ががちゃがちゃだとかいうやつである。もっとも、私はまつ虫もくつわ虫も見たことがないで、本当にそう鳴くのかは知らないのだけれど。


 ともあれ言いたいことはそういうことじゃない。

 いくつもの違う種類の音が混ざって、頭の中をかき乱すのだ。

 もうここまでくると集中するとかしないとかそういう問題じゃない。

 他の、音が。頭の中から追い出されてしまう。意識を持っていかれそうになる。


「変化って……」


 するなら早くしてほしい。


 しかし先輩は、適当な倒木に腰かけて、まるで種明かしをする前の手品師のようにニヤニヤとしていた。


うちぎを重ねりゃ優雅に、みやびに。色とりどりの十二のひとえ。この国に伝わる概念にゃあ、何にでも意味があり、全ての事柄に繋がっていく。雲の無い場所にだって降る雨がある――」


 ジィィィ――。


「単体ならば薄くても、幾重も積めば厚くなるもの。重ねてみせよう虫単むしひとえ。とくとご堪能、“蝉時雨せみしぐれ”。このにゃあ、アンタも堪えるじゃろうて」


 ――――。


 そうして、変化は起きていた。

 不思議な、不思議な変化の訪れ。

 音ズレ? いいや、“音が消えた”のだ。


「…………?」


「本来の方法よりはちと効果は薄いじゃろうけど、なぁに、五日もすりゃあ害もなくなる。まぁ――副作用は暫く続くじゃろうけどねぇ」


 なぜだか途端に、

 いくら耳を澄ませても、一つも聞こえない。これが副作用らしい。


「こんなこと……どういうことなんですか!?」


 ……うん、自分の声は自分でもしっかり聞こえている。

 風が吹いて、葉や枝が揺れる音だって。

 蝉の鳴き声だけが、最初から無かったかのように消え失せてしまった。


「あれよあれ。“のいずきゃんせりんぐ”ってやつ」

「ノ、ノイズキャンセリング……?」


 イヤホンやヘッドホンでよく聞くアレですか……?


 先輩がざっくりと説明してくれた。


 音は相殺して消すことができる。この特性を利用したのが、アクティブ・ノイズキャンセリングというやつで。つまるところは、消したい音の波と逆の位相の波をぶつけて打ち消しているとのことらしい。


 妖怪のことなので、細かい原理は解明のしようがないが、現実としてこうなっている。この旱魃かんばつがノイズキャンセリング装置の役割を果たしてしまっているのだとか。原理を聞いただけでは、疑問がワンサカと湧いてくるのだけれど、そうなっているのだからしかたない。


「妖怪って――神様って、なんでもありなんですね……」


 今更ながら、そんな感想を呟く。


 さっきまで、あれだけ五月蠅かった蝉の鳴き声が、嘘のように消えてしまった。

 まるで――






 日明かし――旱魃かんばつを森の中に放置して三日目。

 修理を頼んでいたクーラーも、すっかりと調子が良くなって。

 私と先輩は、快適になった部屋の中でテレビを眺めていた。


『今日の広島市は快晴――雲一つない青空が広がっています』


 八月の六日のことだった。


 この日は、私たち広島に住む者にとって特別な一日だ。


『まもなく、原爆が投下された8時15分です』


 ――そう、今日は原爆の日。

 長く広島に住んでいる者として、忘れることのできない日。


 世の中には沢山の人がいる。様々な考えを持った人がいる。


 広島に住んでいるからといって、第二次世界大戦なんてもう、半世紀以上も前のこと。真剣に平和について考えている人もいれば、全く別の世界のことだと興味を持っていない人もいる。


『まもなく、8時15分となります――』


 私が小学生の頃は、わざわざ教室のテレビで中継を映して黙祷する時間があった。意味を理解せずとも、黙祷の時間だけはちゃんとしていたものだ。そうして語り続けられ、教育が行われた結果として。この日が特別だという認識は深く刷り込まれている。


 他の県では中継すら映されていないという状態らしいが、それに関しては私は特に思うこともない。戦争なんて、そもそも意識しなくても済む世界が一番だから。


「鐘を合図に原爆死没者の霊を慰め、世界恒久平和の実現を祈念し、一分間の黙祷を捧げます。――皆様、ご起立を願います」


『黙祷』の言葉に合わせ、鐘が鳴らされる。


「――――」


 先輩が机に肘をついた視線そのままで、静かに目を閉じた。普段は傍若無人な先輩も、この時間には静かに祈りを捧げるのだ。私も毎年しているのと同じように、ゆっくりと目を閉じる。


 ――静かだった。鐘の音が定期的に鳴るのだけれど、それだけ。

 まるで水面に現れた波紋のように、鐘の音がすぅっと広がり薄れていく。


 いつもなら、ジワジワという蝉の鳴き声が常に耳に入り込んでいたのに。しかし、今年だけは違う。私たちの行ったことによって、蝉の鳴き声はこの広島市内から一時的に消えてしまったのだから。


 きっとその場にいる誰もが、この不思議な現象に戸惑っているだろう。


 蝉までもが、犠牲者の死を悼んでいるのだと言う人もいるかもしれない。

 それでもいい。どう思うかは、その人の自由なのだから。

 世の中には、頭をどれだけ捻っても分からないことだらけだ。


 でも――ただ一つ、確かなことがある。


 誰もが目を閉じ、真っ暗な視界の中で鐘の音が響くのを感じていた。


 その場にいた多くの人々が。

 静かに、祈りを捧げていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

市役所妖怪返送担当『怪し課』 Win-CL @Win-CL

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ