7.5

 職場のロッカーで、同僚にそのことを話した。

 マジすか、良かったじゃないっすか! と言ってくれたが、およそ私とは関係のない祝辞のようにしか聞こえず、私はありがとうと愛想笑いを返すに留めておいた。

 実際、安心するのはまだ早かった。

 弁護士が妹夫婦に語ったところによると、取下げというのはあくまで訴えを原告都合で引き下げたに過ぎず、裁判所による判決が下されたわけではない。別なる証拠が立てられれば、今一度訴訟を提起することも可能なのだ。

 残る叔父も独自に弁護士を立てていたようだが、先日取下書が届いて万事解決したという話だった。妹の弁護士費用は一部立て替えたが、叔父のほうは放っておいた。

 妹には、早く地元に戻って母の面倒を見ろと電話でさとされた。

 母ももう七十近い。週一ペースで電話連絡をしているが、物忘れも酷くなったとしきりにこぼしている。甘言かんげんに乗っておかしな契約を交わしてしまうおそれは、独りで暮らしている限り消えることはない。

 心にかかっていた薄膜はいつしか消えていたが、今度は色違いの薄膜が覆い被さったような気がしてならない。

 いつまで経っても完全に薄膜が剥がれることはないのだろうか。

 それが人生なのだろうか。

 同僚はいなくなっていた。

 腕時計を見る。休憩時間を五分も過ぎていた。

 溜め息を吐く間もなく、私は駆け出していた。

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