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翌朝、取り敢えず妹にメールを送り、そのまま仕事へ。
郷里の近くに住んでいる妹夫婦は一ヶ月以上前に訴状を受け取っていて、地元の弁護士に全件を受任していた。距離はあるが、私の件もどうにかしてくれるのではないか。そんな淡い期待もなくはなかった。叔父の同様の頼みは断ったらしいが、私は同じ血を分けた兄妹同士だ。多少は考慮してくれるだろう。
妹の許に訴状が届いたときも、私はその裁判所に電話を入れて何故同じ相続人である自分には訴状が来ないのか、確認したりしていた。
個人情報保護の観点から詳細は教えてもらえなかったが、少なくとも妹が訴えられた事件に限っては私の名は被告として記されていないことが判った。
正直ホッとしたが、妹やその亭主はどうして私のところにだけ訴状が届かないのか、大いに不審に思っただろう。とっくに他家に嫁いでいる自分には訴状が来たのに、本来なら跡継ぎである兄の許には届いていないこの理不尽な差はなんなのか。
私にも理由は判らない。
訴状に同封されていた大量の証拠書類には戸籍謄本などもあったから、それらの収集に時間がかかったのかもしれない。しかしそれなら妹や叔父とて同条件のはず。
違いといえば、私だけ都心で暮らしているため送付元の裁判所が異なることくらいだろう。まああれこれ考えたところで、
職場の休憩時間。
ロッカールームに戻りメールチェック。果たして返信は来ていた。
なんとも釣れない文面。
無理矢理一言でまとめれば〈こっちは手一杯だからそっちはそっちで勝手にやって〉という内容。
全く、訴訟というやつは人の心を荒れさせてくれる。この調子では事の
「どしたんすか。溜め息吐いちゃって」
偶々近くにいた同僚が声をかけてきた。彼以外に誰もいないのを確かめ、私は今一度溜め息を吐いた。
「いや実は……知り合いに弁護士とかいたりします?」
「弁護士?」
同僚の表情が
私は部外者である彼にこんなことを切り出してしまったことを後悔した。したのだけれども、言ってしまった以上後には引けない。
身辺に起きたここ数日の不快な出来事を大まかに打ち明けた。伝えたのは飽くまで概要だけだが、多少なりとも肩の荷が降りた気がした。口から出た言葉が質量を伴い、体内から抜け出たような感じだ。
「金額は幾らなんすか」
問われるがままに答える。端数は
「相続放棄すればいいんじゃないすか」
その通りだ。
やはり最初の通知が届いた時点で、相続放棄の手続きを踏んでいれば良かったのだ。詐欺に決まってるから放っておけという母や叔父たちの言葉を真に受けて、放置してしまったのが悔やまれる。
妹経由で聞いた弁護士の言では、相続財産のあることを知ったときより三ヶ月を経てもなお限定承認若しくは放棄の手続きがなければ、遺産を単純承認したと
相続放棄に関しては時間切れであることを告げ、改めて弁護士について問うた。
「さすがに弁護士の知り合いは……いないですねえ」
自称劇団に所属していて――それがどんな劇団なのかは知らないし興味もないが――常々交友関係の広さを
「でも無料で相談してもらえるはずですよ。区役所とかに行けば」
代わりにといった体で同僚は言ったが、それは既知のことだ。妹の許に訴状が届いたという連絡を受けた折、弁護士についていろいろ調べていたら都内の無料相談センターに行き当たったのだ。
しかしどのセンターも初回の相談のみ無料、しかも時間制限ありという厳しい条件付きだった。そうこうしている間に妹は亭主の父が以前世話になったという弁護士に相談をすることになり、私は妹夫婦同様一切をその弁護士に任せることにしたのだった。
こうなったら自力でどうにかするしかあるまい。カードローンの融資も視野に入れておかねば。
ろくに参考にならなかった同僚との会話を打ち切って、私は密かに今日何度目かの溜め息を吐いた。
「ま、元気出してくださいよ」
私の肩を叩きながら同僚は他にも二、三言言っていたようだが、最早興味を失った私の耳に入ってくることはついぞなかった。
スマホをロッカーに仕舞い、私は仕事に戻った。
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