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 翌日受け取ったそれは、思ったより厚みのない一般サイズの封書だった。

 訴状のときほど高額ではないが、これにも〈特別送達〉の記載があり、合計千七十二円分の切手が貼ってある。

 中身は三枚のみ。その一枚目を見て、私はドキリとした。

 取下書の副本だった。

 取下、書……?

 つまり、相手が訴えを取り下げた……のか?

 二枚目は事件番号やら原告被告やらの見慣れた記載の下に〈事務連絡〉とあり、標記の事件につき原告から訴えの取下げがなされた旨、それに同意するには同封された取下同意書を返送する旨、提出がない場合でも受領日の翌日から二週間経過すると同意があったものと見做される旨が記載されていた。

 三枚目がその取下同意書。

 私は思わず叫んでいた。

 やった!

 勝った!

 勝った!

 要は反論が不可能と、相手側はそう結論づけたわけだ。私が提示した時効援用に関して、有効な反証を持ち出しえなかったのだ。

 清々した。

 久し振りに、それこそ数ヶ月振りに気が晴れた。

 今すぐ道路に飛び出して、通行人に手当たり次第にハグをしたくなった。握手では物足りない。今の私の気持ちは手を握っただけでは伝わらないだろう。

 数枚の紙切れを、勝訴と書かれた半紙の如く幾度も幾度も見返した。実際にはマイナスがゼロに戻っただけなので勝訴とは違うのだけれど、それでもたかぶった思いは長らく収まらなかった。昂揚こうようの後には陶然とうぜんたる幸福感が待っていた。

 同意書を出さずとも二週経てば同じことになる。ならば記念に手許に置いておくのも悪くないかと思ったが、よく考えると次の口頭弁論期日は二週間以内だ。となると、期日が来る前に送っておく必要があるのではないか。まさかとは思うが、同意書を送らなかったばっかりに二回目の口頭弁論が欠席裁判になり、判決が下されてしまわないとも限らない。

 念のため郵送しておくか。

 署名押印を認めつつ、私は妹にメールを送った。

 勝利宣言のような文章になってしまったが、素人同然の自分がこうして訴えの取下げにまで漕ぎ着けたのだから、少しは鼻を高くしてもいいだろう。

 返信は数分後に来た。それを見て、私は己の慢心振りを反省せざるをえなくなった。

 妹のところにも昨日取下書が届いたらしい。

 そしてその主な理由として、妹が受任した弁護士の力によるところが大きかったというのが真相らしいのだ。その弁護士は既に五度も口頭弁論に参加し、時効援用を主張し続けていた。やはりそこが争点だったのだ。担当した裁判官は、その少なからぬやり取りの中で原告側の証言に不可解な点があることを度々指摘していたという。

 その結果が今回の取下げに結びついたのだという返事を見て、もし今の私を見る者があったら発熱を疑うであろうほどに、私の頬は真っ赤に染まっていたことだろう。穴があったら入りたいとは正にこのこと。少し前に送信したメールを全力で取り下げたくなった。

 次にやって来たのは言い知れぬ脱力感。

 私は無力だった。私は己の力を過信していろいろ調べ回ったり動き回ったりしていたが、何もしなくとも結果は同じだったのだ。

 この数ヶ月は、一体なんだったのだろう。

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