6

 今年の初頭から、新たに発足した光回線接続サービスに関する専用端末への登録業務に携わっている。

 不明点は同じチームに属するSVに質すこともあるが、基本、作業中は無言である。広大なフロアにはキーボードを叩く打鍵音と、遠方より聞こえる社員らの声がぜになった控え目な環境音しか耳に入ってこない。

 各デスクに電話はあるが、それに出るのを義務づけられた人は限られている。接客業や重労働が苦手で、単純作業の好きな私には居心地のいい、おおむね落ち着いた雰囲気の職場だった。

 黙々と登録業務に取り組んでいたある日、うちのチームのSVである女性に声をかけられた。


「銀行……の方から電話が来てるんで、出てください。内線の五番です」


 このフロアに、私用で電話が入ってくることはまずない。SVは幾分当惑気味だったが、私はそれ以上に困惑していたはずだ。何よりその銀行というのが問題だった。銀行名は聞き覚えがある。

 以前、カードローン契約の依頼をしていた銀行だ。単なる在籍確認であれば、わざわざ私に電話を回す必要はない。何故直接私に?

 周囲の同僚が、それとなく耳をそばだてているのが判る。かといってここで応対を断ると、カードローンの審査に響かないとも限らない。


「……はい、お電話代わりました」


 それからの数分は、私にとって実に辛い時間だった。

 相手の女性オペレーターは、こちらがカードローンの申請をした際の不明確な点を、在籍確認の序でに質問したかっただけらしい。がしかし、私は同僚たちが聞き耳を立てている中で、具体的な金額なり何なりを返答するのが本当に厳しいのだ。しどろもどろになりながらどうにか答えたつもりだったが、相手にも周りにも不審に思われたのは疑いえない。

 休憩時間になり、半ば駆け足でロッカー室へ。今度は自身のスマホで銀行の問い合わせ番号に電話し、再度返答をした。


「さっきの電話、なんだったんですか?」


 職場フロアに戻ると、早速隣と後ろの席の同僚が声を揃えて尋ねてきた。隣の背の低い男性は同じチームなのだが、私よりも後ろのメガネの男性と仲がいい。私は敢えてその仲間に入るのを避けていた。とにかく面倒臭い。独りでいたほうが気楽だし身軽だ。昼食も独りで定食屋で済ませているくらいだし。

 さて、どうはぐらかせばいいものか。一瞬考え込んだが、私の稚拙ちせつな電話応対から、恐らくある程度の予想はついているだろう。


「在籍確認です。カードローンの審査で」


 正直に答えた。二人の顔にやっぱりといった感じの表情が浮かんだ。


「それってここにもかけて来るんですか?」


 メガネの左、私の斜め後ろの席に座る劇団員崩れの同僚が話に割り込んできた。


「派遣元だけじゃなくて?」

「みたいですね」

「でも、電話に出させるのはちょっとありえなくないすか?」

「はあ……そうですね」


 返事こそしたものの、もうこんな益体やくたいもない会話に関わるのはご免だ。私はそっと体の向きを戻して、真っ黒のディスプレイに浮かぶ茫洋ぼうようたる己の姿を眼に留めた。

 簡単な話だ。ありえないことが起きてしまった以上、それはありえるのだ。

 ただそれだけの話だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る