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 翌日、早速答弁書への記入を済ませ、押印して最寄りのコンビニへ。

 帰宅後すぐに行ってもよかったが、弁護士に唯々諾々いいだくだくと従うのは本意でない。細やかだが心のバランスを保つには不可欠な反抗だった。

 とはいえ、言い分の項目にはちゃんと弁護士の提案通り時効援用のみ主張しておいた。相続放棄を主張して、相手方や裁判官に鼻でわらわれるのは避けたかった。

 郵送も持参もしないためコピーの必要はない。コンビニに向かったのはファクシミリを使うためだ。プリンタは持っているがファクシミリは部屋にない。

 呼出状に記載のファックス番号へ二通送信。

 念のため送信結果表も出力。

 これで、期日までにしなければならないことは終わった。

 後は……そしてこれからが私にとってはより重要なのだが、口頭弁論に向けての資料作成という大業が待っている。

 といっても、なんのことはない、ネットで調べたリフォーム会社に関する良からぬ噂をプリントアウトするだけなのだけれど。

 これが口頭弁論の際、どれだけ有効打となるかはよく判らない。徒労に終わる可能性も低くない。ただ、その日が来るのを安穏あんのんと待っているのは、じわじわと真綿で首を絞められる拷問に等しい。

 ついつい暗くなってしまう心境を立て直すために必要な、これは言わば儀式のようなものだ。傍目はためにはただ呆然とPCのディスプレイを眺めているふうにしか見えないのだろうが。

 ……それにしても。

 思わず舌打ち。そうせずにはいられない文章を、これから再び眼にすることになる。

 ろくなもんじゃないな、この下松ハウスサービスってリフォーム業者は。

 検索サイトを開く。

 名称を検索欄に入れて結果を表示すると、以前調べたときと同じく、最初の十件のうちなんと三件が苦情に関するものなのだ。サジェスト機能で〈下松ハウスサービス 悪徳業者〉とか〈下松ハウスサービス 詐欺〉と表示されないのが不思議なくらいだ。

 うち一件は某匿名掲示板の書き込みなので真偽のほどは疑わしいものの、匿名ならではの暴露性を加味すれば真実の反映である可能性も否定できない。残る二件は大手の質問サイトと個人ブログで、信憑性はぐっと上がる。

 検索結果の上位にあった質問サイトから開いてみる。

 因みに一番上に表示されているのは、言うまでもなく当該リフォーム業者の公式サイトだ。ありがちな外壁リフォーム専門の業者サイトといった感じで、特筆すべき点もない。当然誹謗中傷の類いも見られない。

 質問サイトは上のフレームに質問内容と質問者名が、その下に回答と回答者名が表示され、回答が複数の場合は質問者が最も適切と判断した回答に規定の点数が与えられ、かつ一番上に表示されるという仕組み。

 そこに載っていた質問は、要約すると〈下松ハウスサービスに外壁のサイディングを依頼しても大丈夫か?〉という内容で、二件ある回答はいずれも〈典型的な悪徳業者なので取り止めるのが吉〉というものだった。

 なんでも、名前のよく似た著名電気機器メーカーの関連会社であると偽称して、法外な金額で契約まで漕ぎ着けようとするらしい。

 ただし、この回答は全面的に信用するには精密さに欠けるというか、内容が薄い。質問者はどちらの回答にも感謝の意を示しているけれども、これだけで判断を下すのは心許ないだろう。

 問題は次なる検索結果である。

 大手サイトのテンプレートをそのまま借用したような、あっさりしたレイアウトの個人ブログ。更新日付は四年前の九月二十四日。

 記事の見出しは〈嘘付き訪問販売〉となっている。内容は推して知るべし。

 やはり大手メーカーの関連企業を装った営業の人が金属サイディングの格安モニターを勧めてくるのだが、見積書の二百四十万円という金額を見て有無を言わさず断るというもの。断られるのに慣れっこな五十代営業職の様子には哀愁すら感じられるが、私が興味を引いたのは次の二点だ。

 私の親族らの間で問題となっている残債額は二百八十六万八千円。だがしかし、そもそも伯父が契約した支払総額は三百三十四万九千八百円なのである。例のブログにある格安モニターというのは、百万円分をサービスで値引きするという意味だ。そうすると、元々の金額が伯父の契約金額とほぼ同じになる。

 もう一点。

 断られた営業の人は、外壁のサンプルを苦労して車に積み込みすごすごと引き下がるのだが、その車が群馬ナンバーで、聞けば太田市の職場まで帰るというのだ。

 伯父は前橋に住んでいた。同じ県内。距離的にはどうか?

 地図サイトを見ると、群馬県の中央少し右下に前橋市がある。その南東に伊勢崎市があり、更に南東にあるのが太田市だ。細かい所在地までは調べてないけれども最も遠い距離を結んでも五十キロに満たない。ちょっとした営業回りならば充分に可能だろう。

 やはり伯父は悪徳業者に騙されたのだ。

 大体、糖尿病に冒され外を出歩くこともできぬ伯父に、外壁のリフォームなど無用の長物だろう。

 病床に伏した独居老人を言葉巧みに説き伏せ、三百万を超える大金を払わせるその卑劣な手口。老い先短い病人に契約を結ばせれば、いずれ訪れるであろうその死と共に詐欺の証拠も湮滅いんめつすると踏んだのかもしれない。いやこれは悪魔の所業だ。悪徳業者どころの騒ぎじゃない。

 こんな連中をのさばらせていいわけがない。

 俄に義憤に駆られた。

 自身の経済的苦境という並々ならぬ危機に消沈してしまいそうな心の窯に、義憤という薪を次々とくべることで無理矢理奮い立たせているのだ。

 早速件のブログをプリントアウトする。久々に電源を入れられたプリンタの黒い筐体が、ガタガタと大袈裟に震えた。

 これを証拠に伯父の契約を無効にすることはまず無理だろうが、裁判官の心証を変えるには一役買うかもしれない。そんな期待を込めて、プリンタの内部に飲み込まれるコピー用紙を無言で見やった。

 口頭弁論期日当日。並み居る裁判官や相手側の弁護士を前に、滔々とうとうとリフォーム業者の非を述べ立てる己の姿を思い浮かべ、プリンタが役目を終え完全に動きを止めるまで、その心地好い空想に暫し酔いれた。

 他に何か準備しておくことはあるだろうか?

 実際にどういう話し合いが行われるか私はよく知らないし、別段知りたいとも思わなかった。私はただ、そもそもの元凶たる悪徳業者の許されざるやり口を明らかにし、その非道を裁判官に訴えた上で、とどめとばかりに時効援用を主張するだけだ。

 相手側がどう出てこようとも、現状それしか打つ手がない。なんらかの手段による時効の中断や停止を主張してくるかもしれないが、それでも私は同じ言葉を繰り返すしかないのだ。

 ある意味それは気楽な作業だった。あれやこれやと手を伸ばす必要がなくなり、はらくくる覚悟ができるからだ。

 徹底抗戦。

 消滅時効。

 もう一つ準備したものがある。かつて古書店で興味本位に購入した行政書士資格試験のテキストだ。ろくすっぽ勉強もせずに当たって砕けろ精神で一度だけ受験して、見事に玉砕した。

 それはさておき、このハンディサイズのテキストの中に、時効に関する記載がある。相手側が時効の成立に対し文句を言ってきた場合、時効制度の存在理由を突き付け、こちらが決してずぶの素人ではないことを知らしめておきたい。相手に舐められないためにも、このテキストはどうしても持っていきたかった。

 テキストの文章を凡て記憶して暗唱できればベストなのだろうが、それができるくらいなら試験も難なく合格していたはずだ。哀しいかな、私のつたない記憶力ではそれは叶わぬ夢だった。

 テキストを脇に置き、訴状の束を手に取る。

 これらに眼を通すのはこれで何度目だろうか。

 あと何回、この忌まわしい文面を読むことになるのだろう。

 負のチカラを随所にはらんだ、読む者を途方に暮れさせる記述の数々。すっかり内容を憶えてしまっても尚、取り憑かれたように活字を追ってしまうのだろうか。文章の魅力に引き寄せられる活字中毒の如くに。

 不思議だった。許されるなら今すぐ焚書ふんしょに処してしまいたい訴状一式。眼の届かぬ場所に置いておくよりも、こうして眼を通しているときのほうが確実に気が休まるのだ。一体どうした訳だろう。あまりの衝撃に動顛どうてんした気が、逆転現象を起こしているのか。

 訴状を受け取ったあの日から、私の生活は逆さまになってしまったのだろうか。

 逆さまの世界。

 そんな顛倒てんとうした世界に、いやらしい心の薄膜は相も変わらず張られたままだった。

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