たった6バイトの情報量で組まれた破壊力に、あなたは呆然とするだろう

この作品の評価点には枚挙にいとまない。しかし褒めちぎる前に、まずは一言だけ警告しよう。

「『オレオ』の第1文に手を出せば、最後まで読むことをやめられない」

事実として、私は3度も読み返してしまったのだ。

さて、それでは文体から話を始めようと思う。『オレオ』は、言うなれば一点豪華主義のスタイルをとっており、1文たりとも無駄な脚色がないことに、その最大の特徴がある。『オレオ』が『オレオ』として完成するための最低限の文字しか書いていないのだ。自分の伝えたい一言だけを絞り出し、残りの些事には口をつぐむ。一見普通のことに思えるが、存外、これが出来る書き手は少ない。
「語るべきことしか語らない技術」とでも言えばいいのか。その技術において、『オレオ』の右に出るものはいない。

また次の評価点は、その圧倒的なリーダビリティである。私はここに断言しよう。
「『オレオ』以上に、読了に時間がかからない小説は存在しない」
「『オレオ』を読み終えることができず、途中で飽きてしまう読者がいるとすれば、それは人間でない。猿だ、そんなものは」
これは決してビッグマウスでも煽りでもない。作品を読めばそのことが分かるはずだ。

次に上げたい評価点は、最後の1行のもたらすサプライズである。
読者を颯爽と置き去りにし、「こんな終わり方があるなんて!」と呆然とさせる……それほどのエネルギーを生み出すトリガーが、なんとわずか6バイトの情報量に凝縮されているのだ。
こんなことを言うと、過大評価の疑いを免れないだろう。未読の方にはなかなか信じてもらえないことと思う。しかし本作を読み終えた読者なら、私が言ったことに嘘がないことが分かると思う。

また、少しネタバレになってしまうかもしれないが、この物語は冒頭と結末が接続している。意味深な言い方をすれば「読者は最後の1文を読んだとき、最初の1文を読ませられている」のだ。「そんなジェイムズ、ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』のような体験を、web小説でするわけがない」とあなたは思うだろう。
しかし読了した読者には、私が言う意味も、私の発言に嘘がないことも分かるはずだ。