オレオ

作者 

1218

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★★★ Excellent!!!

たった三文字だけ。
それだけで強く心に残るメッセージ性があるものだ。
凡人にはまねの出来ない発想に強く心が惹かれた。

★★ Very Good!!

これは小説なんて型に収まるものじゃない。
現象と言った方がしっくりくる作品です。
いやはや、これが人の世というものなんですかね。
人が連なることで、銀河が生み出されていく・・・
と書いてしまう俺はやはり術中に嵌っているんでしょうか。
それでも書かざるを得ない。
そんなブラックホールです。
あ、確かに黒いもんね。

Good!

それはもう、半世紀も昔の話となるのだろうか。
ミシェル・フーコーは、人間の終焉を宣言する。
フリードリヒ・ニーチェが、神の死を宣告したときに、人間の時代を宣することになった。
神の担っていたものを、人間が担う時代が来たと語る。
けれどフーコーはその人間というものもまた、ひとつの知のエピステーメによって生み出された概念にすぎないという。
それは19世紀とともに、発明された概念だと語られる。
近代の黎明、真理というものが担う役割が変質し、知を担う存在としてひとという概念が創造された。
ひとという概念は、マルキ・ド・サドの小説において、象徴的に現れる。
フーコーは、こう語った。

「サドは古典主義時代の言説と思考の果てに到達した。彼はまさにそれらの限界に君臨している。彼以後、暴力、生と死、欲望、そして性が、表象のしたに巨大な影の連続面をひろげはじめ、われわれは今日、この影の連続面を、われわれの言説、われわれの自由、われわれの思考のなかにとり入れようとして、できるかぎりの努力をはらっているのだ。」

サドは真理の時代、正義の時代、信仰の時代が終焉し、ひとがその自由意思において語り行動する時代がきたことを告げる。
そのような時代をうけ、19世紀の小説はロマン主義の時代を迎えた。
ユーゴーの小説において、ひとは自由意志において秩序の崩壊したパリのバリケードに立ち、銃撃戦の中で死んでいく。
小説が19世紀の中でひとつの芸術ジャンルとしての位置を獲得していくプロセスは、ひとという概念が近代という枠組みの中で成立していくプロセスとシンクロしている。
つまり、人間という概念とともに、言語芸術としての小説は世界の中でその位置を手に入れていった。
だが、20世紀後半にして、その人間というものの終焉が宣言されることになる。
小説がかつてロマン主義の中で行使した、自由なひとの意思というものは、バロウ…続きを読む

Good!

コウモリ傘もミシンも手術台も。。。


どこにも何もなくて、誰も出会わない。



そして粘土で、君は黙々と、アダムとイヴを想像する。


手伝ってあげよう。


どうせ普段から僕は、片目を閉じたままだからね。

★★★ Excellent!!!

カクヨムへの甘い(スイート)期待、そして苦い(ビター)絶望が、怒りに変わるとき、オレオの3文字に凝縮されて顕在した。

っていうかヤラレタヨ!
これがランキングから消えるのは
カクヨムが、作者と読者を大事にするようになったときなのでしょうか?
それとも、カクヨムに誰も期待しなくなったときなでしょうか

★★★ Excellent!!!

執筆中は他の作品で気を散らしたくなかったので、どんな名作だろうと、いつもトップページを開く度に気になっていた作品…。

俺は負けたよ母ちゃん!!!

完敗だよ!!!

ちょっと待ってくれ、オムツからやり直してくる!!!