第13話 運命の奴隷

 雨が降っていた。

 日の出とともに降り始めた雨は、次第に勢いを増し、昼近くにはほとんど嵐になった。

 その日、渋谷に二つの異なる噂が流れた。

 一つは、ビト・カルデローネが池尻で死んだという噂。

 もう一つは、渋谷に貯蔵されていたカポネのマタタビが焼き払われ、ビト・カルデローネは生きているという噂。

 この相反する二つの噂によって、渋谷のニャクザたちは混乱に陥り、ほとんどの組織がその機能を麻痺させていた。

「ここが一世一代の勝負所じゃ! カポネの野郎を捉えた猫は、一気に幹部昇格を約束するぞ」

 その中で、山盛よしお率いる山盛組と、宇田川たつ吉率いる宇田川組の動きは速かった。

 彼らは渋谷中に噂を流すとともに、カポネの捜索を開始した。

 同時に、渋谷から脱出するすべての経路が、カルデローネ・ファミリーによって封鎖された。

 渋谷のニャクザたちにとっては、カルデローネの猫たちの統率された動きからは、ビト・カルデローネの生存が色濃く感じられたが、一方では渋谷でカルデローネ・ファミリーの幹部テシオが反乱を起こし、同じく幹部のジェンコを殺害したという噂も流れた。

 誰もが確信を得られない状態。

 その中で、カポネの警護に動いたのは、カポネ直属のわずかな猫たちだけだった。

 混乱の中、それでも渋谷の猫たちは、確実に潮目が変わったことを感じていたのだ。

 カポネ・ファミリーの幹部たちは、衆寡敵せず、山盛組と宇田川組の猫たちによって、あるいは彼らを見限った部下たちの手にかかって、次々と命を落としていった。


デデーン(効果音)

カポネ・ファミリー 幹部

アルバーニ バルトロッツィ カンパニョーロ アルフォンソ バルベリーニ イルデブランド 死亡


「ビト、カポネが見つかったわい。渋谷駅じゃ」

 山盛よしおが、ビトに告げる。

 ビトは、体の火傷を冷やしながら言った。

「行こう。電車に乗られたら、もう捕まらない。カポネだけは、確実に殺す」

 山盛と宇田川、そしてビトは、部下たちを引き連れ、渋谷駅へと向かった。

 猫たちが、金切り声を上げている。

 建設中の渋谷ヒカリエ、その連絡通路で、カポネを守る最後の部下たちと、山盛組の若い衆の間で、死闘が繰り広げられていた。

 鉄で組まれた足場から、猫が、落ちる。

 落ちた猫たちは、生まれ変わる渋谷に供奉するように、激しい雨とともに、黒く口を開けた地下への穴に吸い込まれていく。

 ビトたちが連絡通路まで登ったとき、カポネの周囲に、すでに部下たちの姿はなかった。

「ヒヒ……来たか、ビト。最後に、お前に会いたかったぜ」

 カポネが笑う。

「カポネ、諦めろ。あんたはもうお終いだ」

 ビトの言葉に、カポネの表情から笑みが消える。

「なあ、ビト。お前は運命を信じるか?」

 カポネの声は、不思議なほどに落ち着いていた。

「運命?」

「ああ、運命だよ。おれも初めは、ニャフィアになろうなんて思ってなかった。食うために猫を殺すことを覚えた。そこからは恐怖の連続だ。自分が殺されないために、相手を殺す。そうしているうちに、いつの間にか、こんなところまで来ちまった」

 ビトの声が、わずかに熱を帯びる。

「それは嘘だ」

「嘘?」

「おれの親父を殺したとき、あんたは自分から戦争を起こしたんだ。らなければられるなんて状況じゃあなかった」

 カポネが乾いた笑いを漏らす。

「あの時、お前はまだ小さかったのに、よく覚えているじゃあねえか。こいつは命乞いも効きそうにないね」

 そう言ってから、カポネは空を見上げ、言葉をつないだ。

「でも、お前も知っているだろう? どんなに智の限りを尽くしても、避けることのできない不運がこの世界にあることを。それは俺たちが必死に絞り出した知恵をあざ笑うようにして、あっさりと大切なものを奪っていく」

 ビトの脳裏に、ルカ、そしてクレメンザの死が浮かんだ。

「それが運命さ。冬になると南へと渡る鳥たちが、自由に見えてその実、気象に動きを支配されているように、おれたちもまた、運命に支配される奴隷に過ぎない」

 カポネが、鉄骨から渋谷の街を見下ろして言う。

「確かに、おれがお前の親父を殺したのは、おれの勝手だ。おれは命を狙われていたわけでもなければ、権力が欲しかったわけでもなかった。お前は信じないかもしれないが」

 ビトが聞く。

「それなら、なぜ?」

 カポネは、言葉を探すように、視線を地面に落とした。

 二匹が立つ鉄骨の下には、暗渠となっていた渋谷川が、駅の工事で数十年ぶりにその姿を地表に姿を現している。

 その流れは雨で増水し、黒々とした濁流となっていた。

 カポネは何かを諦めたように首を振ると、こう言った。

「一回、飛んでみたかったんだ。鳥さんみたいに……」

 カポネの体が、ふわりと宙に舞った。

 黒猫の小さな体は、みるみる豆粒のようになり、渋谷川の流れの中に消えていった。


デデーン(効果音)

マタタビ王

カポネ 死亡


「……あっけない幕切れじゃのう。これが渋谷をさんざん引っ掻きまわした暴君の最期かい」

 山盛よしおが、ビトの肩を叩く。

「あんたの勝ちじゃ。渋谷は今後、おれたち山盛組と宇田川組で治めるが、あんたとは争えん。これで渋谷は恵比寿の同盟国じゃ」

 ビトはなにも言わずにうなずく。

 そして、渋谷に潜伏していたカルデローネ・ファミリーの猫たちを集めて言った。

「恵比寿に戻り、そのままテシオの首を取る。先発隊は恵比寿に噂を流せ。カポネが死に、ビト・カルデローネが帰還すると」

 猫たちが走る。

 もはや、ビトに逆らう猫はいなかった。

 ビトの本隊が恵比寿に着いたとき、すでに戦いは終わっていた。

 ジェンコの死体の横で、テシオもまた、部下の反乱に遭い、首を切られて死んでいた。


デデーン(効果音)

カルデローネ・ファミリー 幹部カポ・レジーム

ジェンコ テシオ 死亡


 裏切り者の死。

 王者の帰還。

 ビトは歓呼の声に迎えられ、恵比寿に凱旋した。

 しかし、そこにはもう、ルカも、クレメンザも、ジェンコもいない。

 志を共にした仲間は、誰もいなくなってしまった。

 ビトは、体の真ん中にぽっかりと大きな穴が開いたような、言い知れぬ虚しさに囚われていた。

「……もう敵はいない。何でも手に入れることができるだろう。だが、何のために?」

 テシオの死体を前に、ビトはそうつぶやくと、悄然として家路についた。

 恵比寿を完全に支配し、渋谷をその影響下に置くことで、東京の中でも最大の勢力を築いた稀代のニャフィア、ゴッドファーザー・ビト・カルデローネは、それからもう二度と、戦いの舞台に立つことはなかった。

 もはや彼に挑む者は無く、また彼も、何も求めなかった。


「……ただいま、ジュリア」

 ビトの姿を見て、ジュリアが泣き崩れる。

「心配をかけたね」

 ジュリアの頭を撫でるビトに、白い子猫が歩み寄った。

「パーパ、お帰りなさい」

「ミケーレ、ただいま。大きくなったね」

「お仕事おつかれさま。ぼくね、大きくなったら、パーパのお仕事を手伝うよ。パーパが、ゆっくりおうちにいられるように」


東京ニャクザ興亡録 第二部 恵比寿ニャフィア編 完

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東京ニャクザ興亡録 既読 @kidoku1984

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