#2『もう二度とアージェンタイトで』

  ◆


 見付けた女は、見ようによっては年端も行かぬ小娘といってよかった。


 姿形だけではない。歩き方ひとつとっても散漫なもので、足音や重心の操り方においては駆け出しのコソ泥にも劣っていた。

 いかにも無力で脆弱で、それでいて美しい顔立ちや佇まいを備え、事前に青年が聞かされていた魔女のイメージとは似ても似つかなかったので――


 これが本当にアルマンやレオンを殺した悪魔の協力者かと、

懐疑せずにはいられなかった。


 だが他方、どれだけ愛らしくとも愛おしいとは感じられない、

感じさせない何かがあった。


 武装した警官たちに囲まれて、いかにも恐怖して狼狽している風でありながら、それが演技であって演技ではないという未知の嘘の気配だったか。

 あるいはもっと根本的な――眼前に捉えたものが美しい娘ではなく、美しい娘によく似た精巧で脆い硝子工芸の類であるような――そんな錯覚に対する本能的な警鐘だったのか。


 いずれにせよ、数分後に襲来した怪物のために青年の血も命もが捧げられたため、娘の正体どころか存在すらもが他の全ての意識ごとに失われた。


 膨大な記憶、膨大な情報、想いと、その価値が。

指の隙間から零れ落ちて何一つ残らない。

 ブレインイーター以外の吸血鬼に殺されて死ぬとは、そういうことだからだ。


  ◆


 十二月一日、首都。

 交通課から補充人員として転属してきたばかりの青年はその日、新しい職場である首都公安部の極秘出動に動員されて、ものものしい武装や暗視装置を生まれて初めて着用した。


 作戦内容は、首都東側のゲート・トンネルを不法に通行しようという不審者を待ち伏せて、生け捕ることらしい。

表向きの事前説明として、武装した『クルスニク』の一団と遭遇戦になる可能性まで示唆されたが、作戦指揮を執る古株たちは違う見解だった。


 いわく、対象はおそらく女一人。アージェンタイトの魔女であろう、と。


 新人の彼はそのフレーズを初めて聞いたが、下層労働区イーストエンドの『輝銀鉱アージェンタイト』なる酒場については、説明されるまでもなく知っていた。

お世辞にも治安が良いとは言えないそこに、最近の彼は毎夜の如く通っていたからだ。ただし、安酒を一人で楽しむためではなかった。


輝銀鉱アージェンタイト』は、見る者が見れば違うのだろうが、パッと見ではスラム間近らしからぬ凝ったインテリアの酒場で、かつ奇異な趣向をもつ。店内に噴水池があって、水ではなくワインを満たし、入場料さえ払えば建前上は飲み放題。ただし度を超せば雇われの用心棒バウンサーどもに叩き出されるという寸法だ。酒よりはその乱闘騒ぎを売りにしており、噴水周辺は敢えてだだっ広い。


 裏返せば、飲んだくれどもの視線が店の出入り口、あるいはカウンターから池周辺の乱闘スペースへ集まりやすい構造ということだ。


 というより公安の古参たちが言うには、

それこそが店全体のコンセプトなのだとか。


 奥側はわざと視線の通りにくい調度配置にしてあって、しかもその半個室状態のテーブル席の一部は予約専用。

後ろ暗い連中の密談の場として、公安からは以前からマークされ、最近やっと公安が店主を強請ゆする段階まで漕ぎ着けたという話だった。


 その密談席を利用する、自称情報屋の若い女。

 それが魔女と呼ばれている。


 古株たちの話は全て、ひとつの確信に基づいていた。

魔女には催眠だか暗示だかの――ちょっとした心理学トリックとは明らかに違うレベルの、超能力がある。


アージェンタイトの特等席をほぼ顔パスで使えるのも、店主の記憶や認識を“どうにか”したためらしい。結果、店主は女の素性を疑うこともできないまま、盲目的に便宜を図り続けていた。


 そういった異能者が平民街で見付かる事件は、今までも数十年に一人の頻度で起きていたらしい。交通課上がりの青年には寝耳に水だったが、公安は魔女をその一例として既に断定していた。


「おい新入り。お前、メガネって道具を知ってるか」


 彼が否定すると、古参の中でも隊長格の男が、当然とばかりに説明してくれた。

魔女が目元に着用している、視力を“抑える”ための彫金細工――およそ日常生活では用無しの品だが、とにかく魔女がそれを外したら、絶対に視線を合わせてはならない、という話だった。


 魔女は先日、その“暗示の目”の力で以て、警察からとある機密資料を取り寄せた。

 首都コフィン・シティ東端から旧『冥穹領めいきゅうりょう』へと伸びるゲート・トンネルの管理情報だ。


 ゲート・トンネル。何世紀も前に利用価値を失い、修復計画も立たず遺棄された多層建造物。出入り口を検問で封鎖するだけで、去年までは警察すら立ち入らずにいた廃道である。


 そこの情報を、魔女が求めたことで――


 警察の目を欺いて、殺人鬼『ヴァニッシャー』に会おうとする者。

 すなわち『ヴァニッシャー』の協力者という容疑が、魔女にかかった。


 かの殺人鬼が影も形も見せなくなってからはや二ヶ月。部外では楽観的な憶測も飛び交うようになった殺人鬼について、初めて具体的な情報源となりうる容疑者が浮上したことになる。


『ヴァニッシャー』へ武器弾薬を供給してきたと目される地下組織『クルスニク』が魔女から情報を買って、ゲート・トンネルへ多勢を派遣する――という説も検討されたが、内偵情報からその線は否定された。

おそらく魔女は単独で、ゲートトンネルを目指す。


「……てぇことはだ。それを捕まえようとすれば、俺たちゃ殺人鬼にまで出くわしちまうんじゃねえか? 殺人鬼が健在ならの話だけどよ」


 古株の一人がそう言った。

彼は殺人鬼が死んだとは露ほども期待しない一方、二ヶ月前に公安の別部署が仕掛けたという最後の遠征で、殺人鬼がなんらかの痛手を負ったと考えていた。


 もしその通りなら、回復の猶予を与えてはならない、という理屈になる。


「壊滅した遠征部隊の分析を信じるなら、音や光源を隠しようのない場所に『ヴァニッシャー』は現れない。実際トンネル内では一度も遭遇しなかったようだが、まあ可能性は残るな」


「なのに、俺たちだけで行くってか。実戦専門の連中でも歯が立たなかったのによ」


「じゃあ辞退するか? 何人辞退しようと、俺は行くぞ」


 白々しい声音で、隊長格の男が言った。隊長格というか、実際に今夜の部隊の陣頭指揮を執る隊長だ。彼は最初から、動員に応じそうなメンバーだけを選んで招集したようだった。


「『ヴァニッシャー』が存命ならそれはそれで、確証が必要だ。俺たちが生きて帰らなければ、それが殺人鬼『ヴァニッシャー』の生存確認になるだろう」


 事実、こんな捨て駒扱いも同然の説明をされたにも関わらず、辞退者は一人も現れなかった。

 交通課上がりの新人の彼も、辞退はしなかった。ただ不平を言う代わりに、どうしてヒヨッコの自分が人選されたのかを、隊長に聞いてみた。


「最大の理由は……やっぱり殺人鬼に遭遇する可能性は低いと考えるからだ。あとは……お前が『輝銀鉱アージェンタイト』に通い詰めてるって聞いたからだ。あの二人のことを、知ってるんだろ」


 隊長は話を切り上げて、さっさと部隊準備に戻っていった。


  ◆


 そして数時間後、彼らは出撃して予定地に監視網を展開し、いとも容易く標的を捕捉した。

 十二月一日夜。首都東端の検問所からゲート・トンネルに入り、約五キロの地点。


「囲め! 壁際に逃がすな!」

「手足ならいい、撃て!」

「往生際の悪い……逃げ切れると、思ったかこの、ガキ!」


 古株の一人が吼えて、魔女の腕を掴み、投げるも同然に突き放した。魔女は何百年も前の廃車にぶつかり、どうやら腕の骨が折れたようだったが、“”に構う理由は無い。


「ぅ……あッ……!」


 それでも。魔女と呼ばれる娘の苦悶の声を聞いて、新人の青年は強烈な違和感を抱いた。


 青年の役割は、前衛ではなく随伴と支援。言ってみれば雑用のようなものだ。暗視装置を外す予定は無いが、携帯電燈ランタンを点灯して適当な地面に置いて回り、視界を改善する。

 次に拳銃を抜いて、やや離れた位置から包囲に加わる。それからやっと、仲間警官の肩越しに「魔女」を正視して――


 幾つかの驚きと混乱が、立て続けに彼を襲った。


 魔女として包囲されたのは、修道女の装束に身を包んだ若い女――というよりほとんど少女と言ってよい小柄な姿だったのだ。

 首都上層には、修道服を制服とする富裕層向けの学院があるそうだが、この娘がまさにそこへ通う令嬢だと紹介されれば信じただろう。


 これが本当に殺人鬼『ヴァニッシャー』の協力者なのか? もしそうなら、かの神出鬼没の大量殺戮者は、こんな逃げ隠れもろくに出来ない小娘に情報を持たせていたことになる。


 もっとも、正真正銘、ただの無力の小娘だと断ずるわけにもいかなかったが。


 メガネという代物は、なるほど青年たちの使う暗視装置から一切の機械部品を除いたような、いかにも無意味な物体に見える。暗視の役には立ちそうにない。


 にもかかわらず、少女には周囲がはっきり見えている。


 地面の亀裂を避けて歩いているし――

 少女は一瞬、間違いなく青年こちらを見た。


 彼女からすれば、単に自分を包囲した警官たちを順ぐりで一瞥いちべつしたに過ぎない。しかしこちらが暗視装置越しの視界で難儀しているのに、彼女の視線はごく自然だ。


 考えられる理由はふたつ。メガネとやらに秘密があるか、あるいは彼女が生粋の公安警官以上の視覚を持っているかだ。後者はそのまま、彼女の血統が常人離れして高いことを意味する。


 余人の意識を視線で奪う――という話が本当ならば、夜目が利くぐらい当然かもしれない。


「捕捉完了。手こずらせやがって……周囲を再確認!

 済んだらこのガキを連行するぞ!」


「トンネル内から検問所へ。標的を確保。後退して合流する。そちらの状況を報告せよ、繰り返す……」


「さあ、もう逃げられんぞ。署まで来てもらおうか。自分の置かれた立場はわかるな? こんな廃道を、わざわざ警察の目を避けて通ろうとしたんだからよ」


「ま、待ってくだ――わた、私は――」


 言葉になりきらない、狼狽しきった少女の声だった。誰が聞いてもそう評する、完璧な震え方と怯え方だったはずだ。


 だというのに。

 娘が突然その“完璧”を放棄したのは、おそらく本当に予想外の事態を感じて、取り乱したせいなのだろう。


 魔女は突然、驚いたように西方を見た。つまりはトンネルの片方、首都の方角だ。そしてそのまま釘付けになった。


 トンネルは緩やかに湾曲しながら東西へ延びているため、中間点から西を眺めたところで首都は見えない。ただトンネルの内壁が見えるだけだ。


「なんのつもりだ。こっちを見やがれ」

「え? ああの、いえ今のは……」


 慌てて隊長に向き直り、取り繕おうとする。だが無理だった。彼女は引き続き狼狽していたが、明らかに別物になっている。


 さっきまでの狼狽ぶりは、荒事を知らない御令嬢がいかにも陥りそうな、何も考えられないという恐怖と混乱だった。もちろん対象は彼女を囲む武装警官たちだ。

 その恐怖は嘘ではなかった。鍍金メッキが剥がれた今なら、そう言い切れる。

 しかし魔女はどうやら恐怖や危機に免疫を持っており、怯えた自分とやらを演じながら脳裏で色々思案するぐらいの余裕はあったようだ。


 そして。

 その余裕が今は、西方から察知したらしい何かのせいで、綺麗に消し飛んでしまっている。

 恐怖の対象も、もはや警官隊ではない。


 また西方を見た。目前の警官隊長に対して言葉を選んでいたはずが、「何か」を探すことをどうしてもやめられないという風だ。目で探すより、耳をらすかのようである。


 もはや先程までの、典型的に無害な少女ではなくなっていた。子供という印象も曖昧になって、成人したての女性にも見える。

 箱入り娘のようにも見えるし、血腥ちなまぐさい惨事まで見慣れて老成したようにも見える。純真無垢であるようにも、そう演じることに慣れた狡猾な詐欺師にも見える。

 何通りもの人物像が混ざったような、不確かな少女だった。

 ただし、脆く無力であることは違いないようだったが。


「おい無駄だ。気を逸らそうとしたって、

 西方そっちにも俺たちの別働隊が……」


「検問所へ、応答せよ。こちら本隊、応答しろ!

 何が……おい、そっちの通信機よこせ!」


ってるよ!

 駄目だ、俺のも壊れてる。ノイズすら受信しねえ。なんだこりゃ?」


 トランクケースを地面に置いて開き、中の通信機を操作していたメンバーたちの声。それを聞いて、中衛後衛の他の警官たちもが、防護服襟元の非常用無線をいじり始めた。

 青年も同じように、チャンネルを幾つか切り替えてみるが――何も聞こえてこない。チャンネル操作を意味する小さな電子音だけが、トンネルの闇のあちこちから生じては消えた。


「……おかしい。検問所だけじゃない。ここに居る俺たち同士の送受信も出来ない。妨害電波が出てるわけでもない。全員のがいっぺんに壊れるなんて、そんな訳が……」


「マロイ! 先に検問所を確認してこい! おい魔女、テメエ何を隠してる! 殺人鬼か? 『ヴァニッシャー』がここに来るのか! 助けでも呼びやがったか!」


「ちがっ、私は……っああっ!?」


 隊長が少女の頭を掴み、廃車に押し付けながら銃口を当てた。少女の体がびくんと動いて、廃車の表面でばたつく。

 悲鳴が響いた。腕をかばうような動きだが――まさか骨折が治っていないのか? 銀で負った傷でもない、ただ折れただけなのに?


「違う、違います……私はっ、殺人鬼とは、関係無い……仲間じゃない……!」


「だったらなんでこのトンネルに入った!

 なんでこのタイミングで殺人鬼が現れる!」


「これは『ヴァニッシャー』じゃない、来るのは別の、もっと……」


「殺人鬼と無関係なら、なんでそんなことが言える!

 マロイもういい、ここで陣形を――」


「何か、居る……近付いてくる……」


 唐突な呟き声。声の主は、青年のすぐ横に居た。仲間のマロイだ。

 隊長が名指しで命令しても全く動きが無かったので気付かなかった。長身の彼は命令を拒否するでも逡巡するでもなく、怯えた様子で西を眺めていた。耳を凝らすように、じっと。


 彼は公安の中でもずば抜けて、犯罪者を探すのがうまい男だという。勘が鋭いというか、壁一つ二つを隔てていても、逃げ隠れする標的をたちまち見付ける。

 青年にはなんのことかわからないが、ヴァンパイアはたとえ平民であっても、音や空気の揺らぎ以外で互いを探し、認識するという感覚を持っている、らしい。

 その範囲と感度に秀でて、しかも自覚的に使いこなせる人材ということで、彼は公安でも一目置かれる男だった。


 だから警官の中では、マロイが最初に“それ”に気付いたのだろう。


 とはいえ後は似たり寄ったりで、一人また一人と後に続いた。不意に閃いたように首都側を向く。そのままざわつきもせず、固唾かたずを呑んで関心を釘付けにされる。皆同じように。

 マロイが暗視装置を外し、数名が続いた。どうせ“それ”はまだ見える位置に無い。

 交通課時代からそんな感覚に縁の無かった青年は、先輩たちの様子から事態を推し量る他ない。ふと魔女の様子が気になって顔を、隊長たちの方へ


 ――……ォォォ……ォォォオオオオ……ォォンン……――


 遠く微かな、しかし重い悪寒に背筋を撫でられて、思わず振り返った。


  ◆


 半年前のことだ。『輝銀鉱アージェンタイト』に現れた一見いちげん客が、あの酒場を変えた。公安の先輩方が語った暗部ではなく、噴水池のタダ酒を巡って用心棒バウンサーと酔客が殴り合う表の『輝銀鉱アージェンタイト』の話だ。


 用心棒は五人いた。いずれも怪力と一目でわかる大男で、注文をせず池にへばり付くような阿呆のみならず、挑戦目的でやって来る喧嘩自慢の集団でもまとめてノしてしまうのが日常風景だった。勝ち負け自体を題材にすると賭けが成立しないため、野次馬たちはいつもKOまでの時間で賭けていたほどだ。


 だから、そんな連中がたった二人の新客にボロ負けする様は、仰天を通り越して壮観だった。


 青年はそれに居合わせた。飲み仲間が二人の来訪を事前に知っており、誘われる形で酒場に来ていたのだ。

 今度ばかりはどっちが勝つかわからねえぞ、でもあの二人を知ってる奴は今夜は賭けるなって釘刺されてるんだ、だから俺の金も使ってお前が賭けてくれよ――等々。

 青年はいつも通り聞き流して、なんの期待も心構えもなくその時を迎えて、お陰でまんまと心を奪われた。喧噪は好きだが賭けや勝負はどうでもよかった青年が、手に汗握って見入った。声援だって送ったかも知れない。誰かのファンになるという感覚を生まれて初めて理解した。


 話によると二人は警官、バリバリの現場組らしい。誰の仇討ちに借り出されたかは知らないが、とにかく入店するなり大男の方が「タダ酒を飲みに来た!」と吼えて池にダイブし、出てきた用心棒どもを優男の方と分担。二対五で沈めてみせた。


 名前も憶えた。三人がかりを力で抑え返した大男がアルマン。用心棒のリーダーを一手で気絶させた優男はその部下で、レオンと呼ばれていた。


 その晩は池のワインが他の客にまで解放されたのだが、あの日の興奮は忘れようもない。

 二人はその後も何度か来店したが、馬鹿騒ぎを起こしたのは最初の夜だけだった。普通の客として注文し、奢りで酒を飲ませたがる輩をそこそこに遠ざけて、カウンターの隅で仕事の話をしていたようだ。


 二ヶ月ほどは、まあ英雄扱いもまんざらではなさそうだったが。

 やがて皆が異常に気付き、二人を避け始めた。


 姿を現すごとに、二人の様子がおかしくなっていった。


 盗み聞きの証言曰く、仕事上のミスが重なっていたらしいが、とてもその程度の事情とは思えない沈み具合だった。特にアルマンのすさみっぷりが尋常ではなかった。何かを酷く思い詰めて、まるで自殺しそうな目で、正気を保つためにはそれしかないと殻にこもって酒を飲む。レオンはもっぱら沈黙に付き合いながら、稀に仕事に関する私見や対策とおぼしき口上を一方的に述べて、決して相槌あいづちを求めなかった。


 次にやって来る時は、立ち直っているかもしれない――そんな皆の期待を裏切り続けて。

 彼らはこの二ヶ月、『輝銀鉱アージェンタイト』に姿を現していない。

 もはや店の雰囲気を悪くする一方の、招かれざる客と化していたアルマンだが、現在、あの酒場は奴の帰還を待ち望む客で連夜溢れかえっている。


 最後の夜に、奴が去り際、かつての豪放磊落らいらくな男に戻って、ある誓いを立てていったからだ。


『おいくそったれども!

 辛気くせえな、俺のせいで酒がまずいか? ハッ悪かったな!』


『確かに俺と相棒は長いこと、ある厄介事を抱えてきた。

 だがそれも仕舞いだ。俺が次にここへ来る時には、全てカタがついてる。必ずだ、必ずケリ着けて戻ってくる!』


『その凱旋がいせんの時に、もし今のシケたツラのままでチビチビ呑んでる奴が居たらな! 俺が池に沈めてやるから覚悟しとけ、いいか! 俺が馬鹿に戻ってまた来るまでに、テメエらも元の馬鹿に戻っとけって話だ! そしたらまた奢ってやる! わかったな、くそったれが!』


 あれから二ヶ月。殺人鬼の噂はなりを潜めた。アルマンとレオンは帰ってこない。


 殺人鬼や、その討伐のために編成されたという公安特殊部隊の記事を片っ端から読み漁った。二ヶ月前に行われたという大がかりな決戦遠征によって部隊は壊滅したが、生還者も居たという情報と、全滅したという情報が何故か混在していた。殺人鬼の死亡説が次第に幅を利かせつつあったが、青年は全く安心できなかった。


 殺人鬼の生死が定かでないという噂を聞く度に、胸がザワザワした。走り出したくてたまらないのに、何処を目指せばいいのかはわからない。居ても立ってもいられなかった。


 アルマンとレオンをただ待つのがつらかった。やるべきことはそれではないと思った。しかしそれが何かはわからず、あの二人の帰還を諦めることもできず、酒場へ行くのをやめたらそれこそ本当に「終わって」しまうように思えて、通い続けた。


 公安への異動を申し渡された時、答えが見付かったような気がして飛び付いた。

 殺人鬼と内通している魔女を捕まえに行く、と聞いた今夜も、同じ気分だったように思う。


 魔女が催眠術を使って盗んだのは、たしかゲート・トンネルを通るための資料――だったか。廃墟へ行くための道。殺人鬼の拠点へ行くための道。自分にとっては、アルマンとレオンが戦った場所への道。魔女にとっては?


 今、その道に立ってみて青年は思う。自分もここを目指せばよかったのだと。


 あの二人は帰ってこないのに、殺人鬼は生きているかもしれない。

 その可能性に耐えられなかった自分は、きっと「かもしれない」を終わらせるまで、諦めることも抗うこともできなかったのだ。

 事実を確かめたところで、何が出来る訳でもないが。仇討ちなんて考えるだけ馬鹿らしい。

 しかし分不相応でも無益でも、それを確かめるまでは次に進めないという分岐点のようなものが、人生には存在するのではないか?

 そこへ至るためならば、危険を冒さずにいられない。そういうものではないか?

 アージェンタイトの魔女も、自分と同じだったのかもしれない。


――#2『もう二度とアージェンタイトで』終





 

  ◆次回◆


 こいつだ。間違いない。そしてやはり人ではない。

 青年は子供の頃の絵本の記憶から連想した。悪竜ドラゴン悪竜公ドラクル竜公子ドラキュリア

 人影がこちらを見た。

 青年の心に、恐怖と悲嘆の感情が「外部から」流れてくる。拒否したい衝動で埋め尽くされたが、青年の赤い眼球は自然に動き、視線を直視してしまった。

 途端に、脱力感が支配する。立ったままなのに、銃を持ったままなのに、手足に力を込めることも放棄することもできなくなった。体の主導権が自分に無い。外から何かに接収された。

 意識すら、操られていた。

 男の目から視線を逸らせない。心を逸らせない。釘付けになる。

 金色のふたつの瞳に。


――次回、#3『靴音が君臨する』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神ヒト血鬼~ヒューマニズム・オブ・レスタト~ Jestzona @HibinaJestzona

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ