#1『ヤサヤの中の一人が言った』

  ◆


アーキテクトの手記 No.212「コフィン・シティ」


 人類亡き後、吸血鬼の文明を存続させるために、〈プライム〉を消費しない環境を構築する。


 吸血鬼は定期的な人血の摂取を必要とし、昼夜を問わず消耗していくが、例外が二つある。

完全に〈プライム〉が尽きた骸の状態と、もう一つは棺の中である。

 棺桶コフィン、あるいはその他の形態をとる寝床において、吸血鬼が消耗せずにいられる理由は解明されていない。時間を止めているとも、一種の封印状態にあるとも言われるが、この状態でも吸血鬼は夢を見るという。意識を保って日没を待つことも、また『式』の具現たる使い魔たちを取り込んだ状態で棺に入ることもできる。


 この習性を元に考案されたのが「コフィン・シティ」構想である。


 全長二百キロメートルの巨大な六角形の棺で、都市まるごとを覆い包む。棺は機械式をベースに築き上げ、選抜された吸血鬼の結界式を憑依させる。これで理論上、吸血鬼が棺の中に閉じこもるという前提において、半永久的に彼らを「存続スタンド」させておくことが可能だ。


 現在、人間を避難させるシェルターとして、既に一号から二十五号までのコフィン・シティ建造予算が執行済みである。

 この二十五隻の方舟の真の用途を知れば彼らは怒り狂うだろうが、仮にいつ発覚するにしても、その頃には同時にもう一つの真理までもが彼らの思い知るところとなる。構わない。


 すなわち、人類を「存続サヴァイヴ」させる手段は無いという現実が。


 人類に許された最後にして最悪の幸運とは、半端な望みを抱く余地が無かったことだ。

 もし万が一、人類がたった一千万まで数を減らせば生き残れる、などといった可能性があれば、その特等席を巡る争いで全ての時間と機会は浪費されてしまっただろう。だが可能性がゼロである以上、人類の力はこの最期の時において、必要な結束を成すことができる。

“我々”は人類を、その真理が疑いの余地を無くすまでの間だけ、騙し通せればいい。


 罪悪感などありはしない。この終焉の世界に、もはや自由など存在しないのだ。コフィン・シティや純血種の計画について、全人類と全吸血鬼の理解と同意をいちいち得ている時間は無いし、誰もが誰かを欺き、利用され、裏切っている。あの強大な魔王でさえ例外ではない。


 その無慈悲さと理不尽さこそが、必要な「結束」なるものの支柱なのだから。


  ◆


 上空からコフィン・シティ群を見下ろすと、正六角形がほぼ隙間無くびっしりと敷き詰められて、蜂の巣のような模様をなしているという。

 といっても、直に見て確かめた者は居ない。そもそも蜂という生物が大昔に存在したことすらほぼ失伝している以上、蜂の巣模様などという喩えは誰にも通じようが無いのだが。


 もはや地図が意味を成さない大陸の、おそらくは中央付近。ただひたすらに広い砂漠の真っ只中に、ぎっしり並んだ六角柱の群れがある。

 壁に覆われ、蓋をされたそんな密閉空間の群れが、現人類ヴァンパイアの文明圏の全てだった。


 そんな蜂の巣模様の中心付近に、一箇所だけ、六角形の欠損地帯が存在する。


 文明を守るべき蓋、天井が消失し、生活圏として機能しなくなった棺の成れの果てである。厚さ数キロの壁の内には、数百年かけて砂が降り積もり、無人街を少しずつ砂に埋めていく。

 砂の廃墟は、かつて『冥穹領めいきゅうりょう』と呼ばれていた。今日では、その名を知る者も少ない。


 コフィンが滅びた理由や時期に至っては、ろくに資料すら残っていない。ここ首都は旧『冥穹領』の西隣に位置しており、隣接するコフィンの崩壊によって、東側外縁部の工業地帯コンビナートが廃退するなどの大損害が生じている。にも拘わらず、調べても時期さえ特定できない。


 これもまた、平民街において行き届いている「管理」の一環なのだろう。


 東の廃墟に、つまりは壁外の世界に――あるいはコフィンの末路に、人々の想像力が及ぶことを予防している。似たような情報統制は様々な分野で為され、よく実を結んでいる。

 おかげで平民街の人々は外界に全く興味を示さない。無関心だという自覚すら無い。


 例えば。隣り合うコフィン同士は複数の筒状トンネルによって連結されているが、この首都の東側からそのゲート・トンネルを通れば今でも東の廃墟に出られる――つまり棺の外の世界に行ける。だというのに、市民はその着想を持たない。

 平民街において「コフィンを出る」といえば、それは隣接する別のコフィンへ移動する、もしくは移住するという意味でしかなく、それすら特定職の者にしか縁が無く、興味も無い。


 閉じた認識。完結した世界。狭いとも、制限されているとも、誰も思わない。

 常に外の世界を夢想しながら育ったヤサヤにとって、それは奇異な常識だった。


「でもでもさ。だからって、こーまで徹底的に、無関心になれるもんかな。おかしくない?」


 ヤサヤの中の一人が言った。確かにそうだと、ヤサヤは思う。


「育った環境によって、視点は決まる。それだけよ。私たちの視点が妥当とは限らないわ」


 ヤサヤの中の、別の一人が言った。確かにそうだと、ヤサヤは思う。

 たとえ、この首都のすぐ東に、砂の廃墟というわかりやすい「外界」があったとしても。

『ヴァニッシャー』なる殺人鬼が報道され、それが首都と東の廃墟を往復すると知れても。

 それを討伐すべく、首都警察がゲート・トンネルをくぐり、廃墟へ出征を繰り返しても。

 それでもなお、棺の外などという世界は存在しないのだ。彼らにとっては。


「私たちにとっても、そうあるべきよ。今からでも遅くないわ。引き返しましょう、ヤサヤ」


「そーそー。“あんな化け物”との約束、律儀に守る必要無いって。ばっくれよーよ。多分アイツ、ひとりでも殺人鬼にケンカ売りに行くでしょ。殺人鬼が勝って、アイツをブッ殺してくれるかもよ? そしたらアタシたち元通り、自由になれるわけだしさ」


 元通り、自由になれる。


(自由……? あの生活に戻ることが、自由?)


 あまりにも認識が違いすぎて、否定したい衝動すら一瞬で失せてしまった。今のがの言葉かと思うと、ただ眩暈めまいがする。幻聴相手では耳を疑う訳にもいかない。


 以前は、彼女たちの幻と声を意識から閉め出すのは容易なことだった。

 元々はただの演技――たった一人で生きていくための、必死の鍍金メツキの虚飾の虚勢でしかなかった嘘っぱちのキャラ付けが、いつしか場面に応じて使い分ける複数の仮面のようになり、やがて外している時も勝手にヤサヤの周囲を徘徊し始めたが、止め方も捨て方もわからなかった。

 第一、孤立無援で戸籍すら持たない無力な小娘が、この仮面たちの助力無しにどうやって生きていけばいいのか、想像も付かなかった。


 仮面たちは、今やヤサヤの想像物とは思えないほどの機転と機知を発揮して、ヤサヤの非合法な稼業を――つまりはヤサヤの生活のほぼ全てを、代行している。

 彼女たちに任せず、ヤサヤ自身の思考で最後に人と接したのは――いつだ? 何週間前? 何ヶ月前? 半年前? その辺りで怖くなって、ヤサヤは記憶の糸を手繰るのをやめる。


 そのうち、この恐怖や焦りも消えてしまうのだろう。

 首都で隠れ潜むだけの生活を続けていれば、間違いなくそうなる。それこそが最も恐ろしい。


 だからヤサヤは、危険と無謀を承知の上である計画を立てて、二日前、実行に移した。

“銀の銃弾が効かない”という殺人鬼、『ヴァニッシャー』を目指すという計画だ。


 それは即ち、首都コフィンからゲート・トンネルを通って、殺人鬼の拠点つまり砂の廃墟を目指すことを意味した。もし警察に見付かれば、殺人鬼の仲間という容疑がかかってもおかしくない。そもそも身元を照合されるだけでもヤサヤにとっては致命的だったが――

 それを二日前に敢行して、結果どうなったか。何が起きたか?


 その答えが今、ヤサヤの眼前にある。


 今夜また廃墟を目指すにあたって、二日前の惨劇の現場へ立ち寄っていたからだ。

 二日前に通ったのと同じ経路を、今夜わざわざなぞる必要は無かったはずだ。だがある意味、“この惨状”は自分が招いたと言って間違いない。だから避ける気になれなかった。


 ここは首都と東の廃墟を繋ぐ、数あるゲート・トンネルの内部である。

 全長十キロの道程のうち、ほぼ中間点にあたる。首都からの街明りもここまでは届かず、内装照明が生きているはずもない完全な闇の中。


 だから二日前、ここでヤサヤを捕らえようとした平民警官たちは皆、警察でも珍しい暗視装備を着けて彼女を追い立てた。

 暗視ゴーグルと、それを何かの小型機と接続するためのケーブル。小型機を内部に収納できる、防弾とおぼしき胸部装甲。他にも銃器ホルスターを体の随所に安定させる擬革帯ハーネスや、大小の銃器、弾倉、空薬莢、携帯通信機、警棒、ヘルメット、手袋、靴、手帳、ペン、上下の制服。


 そういったものが今、亀裂だらけの六車線道路のあちこちに散乱している。


 機械器具の幾つかは割れたり圧壊していたりと、争いの痕跡を残す。衣類・装身具の位置関係も、平和に脱ぎ捨てて散らかした様とは明らかに異なっている。

 シャツはボタンの留まったまま袖まで綺麗に上着の内に収まっており、その裾はベルトが締まったままのズボンに今も接している――あるいは、死に様の惨さを物語っている。

 上着も肌着もが肩口からぱっくり裂けているものがあった。そうではなく、胴体部分を鋭い何かに突き破られたらしいものもあった。それを着ていた男たちの体がどのように損壊されてから潰されたのか、ヤサヤの記憶を呼び覚ますには充分すぎるほどの生々しい光景が広がる。


 血の匂いはしない。死体も見当たらない。どれもこれもが灰にまみれているはずだが、それはトンネルの東側から吹かれ泳いで積もりつつある外界の砂と混ざって、区別が難しかった。


『囲め! 壁際に逃がすな!』

『手足ならいい、撃て!』


 脳裏に声が甦る。否応もなしに、思い出してしまう。

 ヤサヤを追い立てた警官隊の足音と銃声、怒号、熱。ヤサヤ自身の感じた痛みや絶望も。

 だが、結果はこの有り様だ。

 ヤサヤが警察の目を盗んで廃墟を目指したりしなければ、警官たちはここに来ることも無く、つまりは“あの男”に遭遇することもなく、こんな風に殺されずに済んだはずだ。

 ここにある遺物――遺体ですらない――はもう、犠牲者たちの最期の悲哀を、目撃者に対して訴えることしかできない。しかし、ここは首都と廃墟を繋ぐトンネルであり、少しずつ砂塵も吹き込んでいる。今後、他の警官が来ても見付けるのは難しいはずだ。

 つまりこの情景を今後、誰かが発見する確率は、限りなく低い。彼らの死を記憶に刻んでやれるのは、訴えを受け止めてやれるのは、永劫に自分だけかもしれないのだ。

 といっても――今日明日中に、自分も同じ有り様になる可能性が、かなり高い訳だが。


「ね、やっぱり首都まちに戻ろう?“こんなコトやる化け物”に、わざわざ会いにいくことないよ」

「賛成だわ。隠れて、二度と“あれ”に見付からないすべを考える方が、よほど合理的だわ」


 いつもは正反対の意見に割れるはずの幻覚たちが、左右からヤサヤを引き止めようとする。

 しかしヤサヤは全く無視して、止めていた歩みを再開した。幻覚たちの助言も無視して、こんな風に迷い無く行動するのは本当に久しぶりのことだ。


 あるいは、これが最後かも知れない。


 彼女たちが領土を広げて、ヤサヤの内の総てを占めてしまう前に。

 自分が居なくなる前に、『ヴァニッシャー』を目指す。そのためならどんな危険でも冒す。

 待ち合わせている怪物はどうやら、既に廃墟でひとり、探索を始めているようだ。


――#1『ヤサヤの中の一人が言った』終






  ◆次回◆


「マロイ! 先に検問所を確認してこい! おい魔女、テメエ何を隠してる! 殺人鬼か? 『ヴァニッシャー』がここに来るのか! 助けでも呼びやがったか!」

「ちがっ、私は……っああっ!?」


 隊長が少女の頭を掴み、廃車に押し付けながら銃口を当てた。少女の体がびくんと動いて、廃車の表面でばたつく。

 悲鳴が響いた。腕を庇うような動きだが――まさか骨折が治っていないのか? 銀で負った傷でもない、ただ折れただけなのに?


「違う、違います……私はっ、殺人鬼とは、関係無い……仲間じゃない……!」

「だったらなんでこのトンネルを通って! このタイミングで殺人鬼が現れる!」

は『ヴァニッシャー』じゃない、来るのは別の、もっと……」

「殺人鬼と無関係なら、なんでそんなことが言える! マロイもういい、ここで陣形を――」


――次回、#2『もう二度とアージェンタイトで』

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