第9話 家内安全

 ご存じやも知れませぬが、碓氷峠うすいとうげは大層急峻きゅうしゅんな山道の果てにある難所です。一年の半分ほどは雪に閉ざされ、残りの半分は霧の中にあります。

 関東と信濃の境の要所で、古い昔から関所が設けられていた場所でありますが、その時はそんなはありませんでした。

 ほんの半月ほど前まで信州も上州もただ一人の支配者である織田様の下にあったのです。同じ「家」の中で物を動かすのに、わざわざ荷や人をあらためる必要がありましょうか。

 関所跡の番小屋や柵、門の類は、半ば壊れておりました。

 壊れてはおりましたが、幾分形が残っておりましたので、我らはその物影に生きた人の姿が無いことを確かめて回らねばなりませんでした。

 隠れている者が信濃の者であるならば、庇護しなければなりません。

 信濃の者でないならば捕虜として……やはり庇護しなければならぬのです。

 我らが調べた時、生きた人の姿はありませんでした。

 代わりに、は僅かに認められました。

 落命してから日が経って、獣に食い散らかされた所以外が残り、真っ白になった亡骸を見ると、心苦しくなります。

 その仏が、具足などを付けていれば、なおさらです。

 我々は言葉もなく、百姓の装束を脱ぎ、具足ぐそくを着込んだものです。

 陽が落ちれば辺りには深い霧が巻き、宵闇よいやみとも相まって、山中は己の鼻先さえ見えない程でした。

 我らは道筋から山中へ少し入った木々の影に身を潜ませました。

 に道筋を見張らせ、には地面と山中の音に聞き耳を立てさせ、上州から信州へ入る者の気配を探らせたのです。

 そして私はといえば――。ええ、お察しの通りです。巨樹の根に座り込んでおりました。

 それでも、すぐ側に幸直ゆきなおがいてくれた御蔭で、どうやら大将らしく背筋を伸ばしておられました。

 この期に及んで背を丸め、ガタガタと震えるなどという失態を見せようものならどうなることか、想像に難くありません。

 幸直から矢沢の大叔父を経由して、恐らく豪勢ごうせい尾鰭おひれが付いた状態で、父に伝えられることになる。それだけは、どうあっても避けたい。

 と、まあ、いかにも子供っぽい、つまらない見栄ではありましたが、そんなものでもピンと張っておれば、無様に倒れずに済むのですよ。

 頼りない見栄の糸にぶら下がって、口を真一文字に引き結び、目は何も見えぬ闇の彼方を睨むように見開いている私の傍らで、幸直は何も言わずにおりました。

 思うに、恐らくは幸直も私と同じように、奥歯を噛みしめた青白い顔で闇を睨め付けるておったのでしょう。

 湿った無音の闇は、人の心も時の流れを包み隠してしまいました。

 突然、闇の中から声がしました。

馬沓うまぐつの音が聞こえます」

 地面に耳を当てていた「耳効き」が、音も立てずに私の足元へ参ったのです。

 夜明けの直前のことでありました。

「いずれから、いずれへ?」

 それまで長く口を閉ざしてものですから、私は喉に声がへばりついて、思うように口先へ出てこないような、奇妙な心持ちになったものです。

 問われた「耳効き」の、

「上州の側から、こちらへ」

 というささやきは、私の予想と違わぬものでした。

「数は?」

「十騎に足りぬかと。あるいは二,三騎。それと歩行かちが十か二十か……」

 これは予想外でした。、

「少ないな……」

 私は驚くほど素直に口に出しました。

「数には確証がございませぬ。なにせ、が妙に湿気っておりまして、足音が聞きにくうございますれば」

 そう言って「耳効き」は平伏しましたが、私はこの者の「耳」を完全に信頼することにしました。

 多く見積もって三十程、少ない方に見積もれば十二,三名の者達が、上州から信州へ向かっているのです。

 多い方の三十というのが正しければ、何か――例えば奇襲であるとか――事を起こすための「別働隊」とも考えられます。

 何しろ、我らの員数もその程度でありましたから。

 また、十余というのが正しいとするなら、

「本隊からはぐれた落ち武者の類でしょうか? あるいは、代掻しろかき馬に荷を乗せて逃げ出した百姓家族かもしれませんが」

 禰津ねづ幸直ゆきなおが乾いた喉を絞って声を出しました。

 もっともな言です。私も七割方はそうであろうと思っておりました。

 つまりは、三割ほどは違うと感じておった次第です。

 試しに、三割のうちのそのまた三割程度の思いつきを、口へ出してみました。

「逃げ出した百姓のなりをした斥候せっこう、あるいは忍びの類かも知れぬ。我々がここへ来たのと、つまり同様の、だ」

 幸直は一瞬息を詰まらせました。霧がまいているせいかも知れませんが、顔色は真っ白であったと覚えます。

 その白い顔の上に、硬い笑みを浮かべると、幸直めは、

「全く若と来たら、冗談が下手であられるから。それではお愛想程度にしか笑えませんよ」

 かさついた声で言ったものです。

 実のところ、私としては全くの本気の言葉で、冗談を言ったつもりなど微塵みじんもありませんでした。

 私が農夫のフリをして山中の獣道けものみちを進むような情けない真似をしたのは、ひとえに他人に不審がられないがためでありました。

 ですから、私でない、人に見咎みとがめられるのをおそれた哀れな小心者の誰かが、私と同じようなことを考えついて、同じようにした所で、何の不思議があるというのでしょう。

 ところが、その場にいた他の者たちはおしなべて幸直の言葉を信じた様子でありました。各々、疲れた白い顔にほんの少し紅をさして忍び笑いをしたものですから、私も「違う」とは言い出せなくなりました。

「そうか、つまらないか。済まぬな」

 それだけ言うと、皆と同じように嘘笑いをしました。

 不思議なことですが、その途端に、頭の奥に引っ掛かっていた、得体の知れない怖ろしさ、あるいは薄暗闇の様なものが、少しばかり晴れました。

 腹の奥からの哄笑こうしょうでも、苦笑いでも、空笑そらわらいでも、泣き笑いでも、何であっても、笑った者が一番強い。

 年を重ねた今となれば、そう思えます。ただあの頃の子供の私には、そこまでの理解は……恐らく無かったことでしょう。

 ともかくも、時を置かずして少なくとも十人を越える人の一団が峠越えをするであろうことは確かです。

 このあたりの山中を行く街道は、山肌を削った堀割道ほりわりみちでありましたから、道の両脇が高くなっております。我らはその僅かな高みに潜んで、上州側に目を凝らしました。

 夜の暗闇はすっかり払われておりますが、霧はむしろなお一層濃くなってゆきました。

 鳥のき声が枝間を抜けました。

 枝葉の揺れる音の間に間に、別の音が聞こえた……そんな気がしたとき、件の「耳効き」が、

「馬五頭。内、騎馬は三。鎧武者。荷駄にだ馬丁ばていがそれぞれ一人。二頭とも恐らく荷を負っているでしょう。歩行かち軽装一五ほど、長持ながもち駕籠かごのような物を担いで歩く二人一組の足音が二組」

 と、ここまでは淀みなく言ったあと、一呼吸置いて、僅かに不審げな声音となって、

「……女子供らしき足音が五つほど」

 と言い、ちらりと上に眼をやりました。

 見やった先の太い科の枝に、人影がありました。

 人影は「あ」と言う間もなくするりと木を降りると、私の足元に片膝を着きました。

 夜っぴて見張りをしていた「目利き」の眼は流石さすがに赤く、まぶたは腫れ上がっておりました。

 頭を垂れ、顔を伏せた「目利き」は、

女駕籠おんなかごと長持が一丁ずつ。駕籠に付き添って女房にょうぼう衆が二人、下女げじょが三人。籠と長持ちのは知れませぬが……」

 と正確な員数を数え上げました。

 つまり、山道を登ってくるのは、少ないとはいえ護衛の侍を付けることが出来る程度の身分のある「貴人」、それも恐らくはご婦人で、上州から逃げ出そうとしているのだ、と見るのが自然です。

 換え馬や、駕籠や長持の担い手の交代要員がいないところからすると、遠くへ行くつもりが無いのでしょう。さもなければ、急いでいてそれだけの人数を集めきれなかったのかも知れません。

 問題は、その「貴人」が誰であるか、です。

 信濃へ向かっているからにはその「貴人」は、信濃に何かしかの縁がある方でしょう。

 とは申しても、北条殿に縁のある方である可能性も無いとは言えません。北条に縁のある方が、本心は相模さがみの方へ行くことを願っていたとしても、その願いが叶うとは思えないからです。

 考えてもご覧なさい。滝川様、あるいは旧武田の陣営の者が、北条殿に縁のある方が国外へ出ようとするのを見過ごすことなどできおうものですか。

 それでも、どうあっても上州から出たい。むしろ出ることのみを考える、というのならば、幾分か手の薄いであろう信濃を目指す。そんなことも有り得ないとは申せません。

 とはいえど、やはりそうである確率は低い。大体、動くこと自体が大層難しい筈です。

 件の一団は信濃に縁者がいる方である公算が高い。

 そして、滝川様の陣営がその方を戦場から離脱させても良いと考えている、あるいは離脱させたいと願っている方、つまり、滝川一益様や織田方に縁の深い方ということが想像できます。

 そうであるならば、我らはあの方々を庇護する必要があります。

 父がどのような腹積もりであるかに寄りますが、その方をお助けすることによって、有り体に言えば「滝川様に恩を売る」ことができます。

 あるいは、証人ひとじちとすることができるのです。

 非道と思われましょうや?

 そも、戦とは人の道に外れた行いです。それを行うのが武士です。道ならぬ道を通るのが戦乱の世の侍の役目です。

 少なくとも、我々がここであの方々を差し上げれば、その方々は命を拾うことになります。

 例え証人としてであってもです。

 命を拾い、生きてゆくことが出来れば、そこから先に何かが起きるやも知れません。何かを起こせるかも知れぬのです。

 判っております。言い訳に過ぎません。

 あの時の私もそれが判っておりました。そうやって言い訳にならぬ言い訳を心中で己に向かって言い聞かでもせねば、私はその場所に立っていることができなかったのです。

 私は、小心者ですから。

 それでもこの時は、己に言い聞かせるにしても、実際に声に出して言う訳には行きません。私は我が胸の内でだけ己に言葉をかけました。いや、そのつもりでありました。

 しかし私という鈍遅ドジの口先は、その主に輪を掛けての粗忽者そこつものであったのです。

業盡有情ごうじんのうじょう雖放未生はなつといえどもいきず故宿人身ゆえにじんしんにやどりて同証佛果おなじくぶっかをしょうせよ

 後々幸直らが私に、として語った事が本当であるならば、初めのうちはそれでもモゾモゾと口の中で言うだけであったようです。

 ところが声音は次第に大きく高くなり、最後に、

!」

 と、幸直に、

「訳がわからない」

 と頭を抱え込ませた一言を口にした頃などは、ほとんど叫び声に等しいものになっておったのです。

 私はといえば、名も知らぬ鳥共が一斉に叫び、翼で自分を鞭打つようにしてねぐらから飛び立ち、森の木々の枝が大風にまかれたかのように揺れ、擦れ合う枝葉の悲鳴があたりに響くに至って、ようやく己の失態に気付いたという、情けない次第でありました。

 私は倒れ込むようにして地に伏せました。

 一呼吸の遅れもなく、その場にいた者達総てが、私と同じように身を低くしました。

 その鮮やかな隠れ振りを見た私は、火急の事態の最中であるというのに

『我が家のことであるが、真田家中の者共は、全く良く訓練された者共であることよ』

 などと、いたく感心したものです。

 しかしまあ、その時の皆々の視線の痛いことといったらありません。ことさら禰津幸直の眼差しときたら、槍ではらわたをこね回されているかと思われるほどのものでありました。

 自業自得はあります。それはその時の私にも判っていたことです。それでも、私は恐らく恨みがましい目を幸直に向けていたのでありましょう。幸直はギリリと奥歯を軋ませると、

 と低く唸り、腰の刀の鯉口こいくちを切ったのです。

「心得た」

 私は、笑っておりました。作り笑いでも嘘笑いでもなく、本心から笑っておりました。

 幸直が斬り掛かろうとしている相手が、自分ではないと確信していたからです。

 ……主に対しては刃を向けかねるからか、とお訊ねか?

 いや、禰津幸直は忠義者です。私が主だからという理由ぐらいでは、私を殺さずにおくことはないでしょう。

 お解りになりませぬか?

 例え主人であっても、あるいは親兄弟であっても、言動にあやまりがあれば、これを正さねばならぬでしょう。

 涙を呑み、歯を食いしばり、血を吐く思いをしてでも、と断じなければならぬのです。

 阿附迎合あふげいごうして己の正義を誤魔化すようなことがあれば、元は些細ささいな過ちであっても「二人分」に倍増いたしましょう。その上、回りの者がみな阿諛追従あゆついしょうしたなら、過ちはたちまち数十、数百、数千に膨れ上がるのです。

 膨れ上がったモノは、針の如き小さな力で突いただけでも容易に弾けましょう。

 外から突けば血膿が吹き出し、飛び散ります。あるいは内から突き上げる針のために、骨肉露わになるほど大きく皮が裂けることもある。

 そうなってからでは遅いとは思われませぬか?

 過ちは芽の内に摘み取らねばならぬ。腫れ上がる前に潰さねばならぬ。

 それが小さくとも摘み取れず、潰しきれぬほど、根深く、また取り返しのつかぬ事であるなら、例え主人であろうとも、斬ることもやぶさかでない。

 それこそが真の忠義だと、私は思うのです。

 私ばかりか、真田の家にいる「忠義者」は、大体同じように考えているのではないでしょうか。

 あの時私は、一つ部隊の全員の生き死にに関わる、大層な失敗をしでかしました。これは間違いのないことです。「誅殺」されても文句の付けようがありません。

 それなのに幸直が私を斬ろうとしなかった理由は、忠義だ友情だなどという情のゆえの事などではないのです。

 ここでこの莫迦者バカを斬ったなら、こちらの「手駒」が一つ減ってしまうから、です。

 何分にも、この折の我が隊は「少数精鋭」でありました。

 万一戦闘となれば――私は最初からそのようなことはないと踏んでいたのですが、それでも万が一に――全員が兵卒として闘うことになります。例え大将格であっても、指揮を執りながら歩行兵と同じ闘い振りをせねばならぬのです。

 ここで一つでも駒が落ちたならどうなることか、想像に硬くないでしょう。

 禰津幸直は、私のような鈍遅とはちがって、すこぶる良くできた男です。自分の手で自分の部隊を弱らせる真似が出来ようはずがありません。

 これでも一応は王将の役を負っている駒なのですから、なおさらです。いや、飛車角金銀、あるいは歩の一枚であっても、落とすことが出来ましょうか。

 幸直にはそれが判っている。それが私にも判っている。

 それ故、私は笑ったのです。

 申し訳なく、心苦しく、情けない、自嘲の笑みです。

 真の本心からのモノでありましたが、強張った笑顔であった感は否めません。

 己の頬骨の上に本心からの笑顔の皮が貼り付いた、そんな心持ちです。

 私の――作り物じみていながらも命のある、さながら名人の打った猿楽の面のような――奇妙な顔を見て、幸直めは今にも泣き出しそうな顔で、唇を噛みました。

 それきり、誰も動かず、誰も物を言いません。

 私の所為で一羽の鳥もいなくなった森の中は、木々のざわめきさえも消え去り、静まりかえりました。私に聞こえたのは、私自身の心の臓の音、幸直の抑え込んだ息づかいばかりでした。

 実際には、それほど時が過ぎたわけではありませんでしたが、あの場では長い時のように感じられたのです。

 あるいは日も月も止まってしまったのではないかとさえ思われました。

 私はすっと体を起こしました。

 その時の一同の顔を、私は忘れることが出来ません。

 目を見開いて驚愕する者がおりました。覚えず頭を抱えた者もおりました。皆一様に驚いていたのです。

 数名の体の動きは、しかし、私が目を配るとぴたりと止み、皆はまた背を低く伏せた形で岩のように固まりました。

 ただ一つ、無駄に高い上背の私の頭がのみが、灌木の茂みから突き出た格好となりました。

 相変わらずの濃霧の中に、私の目にもその形が認められるほどに近付いてきている一つの騎馬の影があります。

 それが霧に映り込んで大きく膨れた幻影でないとするならば、その馬は大層な肥馬であり、打ち跨る人もまた堂々たる恰幅の武者でありました。

 一見すると甲冑かっちゅうまとっていない様子でしたが、先ほど「耳効き」が、

「鎧武者三騎」

 と申しておったことを疑いなく信用した私には、着物の下に胴鎧どうよろい鎖帷子くさりかたびらを着込んでいるのだと思われました。

 時折チラチラと鋼が陽を弾く閃光が見えましたので、何か抜き身の武器を携えているに違いありません。

 しかしその光は鋭いとはいえ小さいものでした。さすれば太刀ではなく、槍の穂先でありましょう。

 太刀であれ槍であれ、抜き身を持っているとあらば、あちらの方は当方と闘う意思をお持ちだということになります。……無論、こちらを「敵」と判断なさったその時には、でありますが。

 こちらには目利き耳効きがいてくれた御蔭であちらの人数がはっきりと知れましたが、あちらの方にこちらの伏勢ふくぜいの数がはっきりと判っているとは到底思えません。

 潜んでいるモノがナニであるのか――鼻の効く武将であれば、火縄の臭いをさせていない我々から銃撃される可能性が無いことは判っているでしょうが――正体が殆ど掴めていないものと思われました。

 正体不明のモノが、正体不明の大声を立てている。そこに乗り込んでこようという彼の騎馬武者の胸には、一騎当千の自信が満ちているに相違ありません。

 そんな方が、一戦交えてでも守ろうとしているからには、駕籠の中の者は、すこぶる大切な方であるのでしょう。

 私は一震えすると、懐に手を差し入れました。

 途端、私の回りの気配が、一層に張り詰めたものとなりました。

 禰津幸直が、太刀の柄に手を添えて身を低く屈めたまま、私の顔を見上げました。唇を噛んでいます。

 私の眼の端の方に、不安とも不審とも呆然とも驚嘆とも安堵とも、何様とも取れ、何様とも取れぬ、一寸言葉に表せぬ、幸直の唇を噛んだ顔がありました。

 恐らく私が、

「行け」

 と言えば、躊躇ちゅうちょ無くその太刀を、土手を駆け下り、馬上の人物に斬り掛かることでしょう。

 それが私には真実を見るように想像できます。

 その人の槍の穂先が、幸直の背中から突き出て、ぎらりと赤みを帯びて輝いている、その様子も、です。

 私は何も言いませんでした。息を吐くことさえ忘れていたような気もいたします。

 私は懐に忍ばせていた物を掴み、近付く影を見つめておりました。

 馬上の影の、それが馬に乗っているとは思えぬほど揺れることもなくすぅっと進み来るさまと申せば、さながら仏師が精魂込めた騎象きぞう帝釈天たいしゃくてんの像を、道に丸木を敷き並べた上に滑らせて運んでいるかのようでした。

 私は懐の中の細いを素早く引き出しました。

 伏せていた幾人かの腰が浮きました。声を上げる者はおりませんでしたが、皆眼差しを私の手元に突きたてました。

 皆の眼には、一尺強の竹の黒い棒切れが写ったことでしょう。

 一同、ぽかりと口を開けました。

 それが何であるか見極められなかった者は、私が何をしようとしているのかも思い当たらず、ただ唖然あぜんとしておりました。

 武器ではないらしい、程度のことに気付いた者は、武器も持たずに敵……らしき者の前に出る気ではないかと思ったものでありましょう。そして「青二才めがとうとうおかしくなったか」と、大いに動揺したのです。

 そしてその「棒切れ」が何であるか気付いた者は、私が「そんな物」を戦場に持って来ており、それも、敵らしき輩が迫っているこの時に持ち出すという非常識をやらかすのを見て、不安にかられたのです。

 故に一同は、目玉が溢れそうなほどに目を剥いて、顎が外れ落ちそうなほどに口を開いて、私を睨んだのです。

 ただ一人、幸直を除いては。

 そうです。禰津幸直だけは、上顎と下顎とをきっちりととじ合わせておりました。

 私は、幸直以外の者達が、私に飛びかかり、押し倒し、地面に押さえつけるより前に、素早くその棒きれを、口元に宛がいました。

 裏返された女竹の横笛が、甲高い叫び声を上げました。

 耳効きの者が、覚えず、頭を地面のその下まで潜り込ませようかという勢いで伏せ、両の耳を手で覆い塞ぎました。

 他の者……幸直を除いた殆どの者達も、耳効きほどの慌てようではないにしても、あるいは頬肉をヒクつかせ、あるいは鼻の頭に皺を寄せ、あるいは瞼をぐっととじ合わせて、耳の穴に指を突っ込み、頭を抱え込みました。

 私は満足していました。

 会心の「」だったからです。

 ともともともとも言い表せぬ、己の体から何かが飛びだして行くような音が、朝靄で濡れた森の中を抜けて行きました。

 ええ、左様です。

 私が吹き鳴らしたのは、京に住まう母方の祖父から戴いた、由緒あるあの能管のうかんであります。

 彼方から山鳥の啼く声が、かすかに聞こえます。

 その向こうへ、あの音が遠く霞んで消えて行くと、それに連れるようにして、霧もまた薄れてれてゆきました。

 木々の枝の隙から、黄色みを帯びた日の光が幾本もの帯のように差し込み、薄暗かった森と道筋とを明るく照らしました。

 霧の中の大きな人馬の影も、次第にその真実の姿へと変じてゆきました。


 前田慶次郎利卓殿と四尺九寸の黒鹿毛くろかげです。

 

 慶次郎殿は抜き身の槍を掻い込んで、太い眉の根を寄せ、小高い道脇の茂みを……つまりそこから突き出た私の顔を、鋭い眼差しでじっと見ておられました。

 私の足元で、

「ぐうっ」

 苦しげないびきのように息を飲み込む音がしました。

 私は幸直の顔を見るようなことをしませんでしたが、恐らくは真っ白な顔で、唇を振るわせていたのでありましょう。

 普段の幸直は矢沢の頼綱大叔父の下におります。つまりは、昨今は沼田にいるのが常でありました。城代は滝川儀太夫益氏様です。即ち、慶次郎殿の実の父上様です。

 確かに慶次郎殿は滝川家から前田家へ養子に出された方です。その上、日ごろ「実家」には寄りつかずに、お屋敷のある厩橋うまやばしあたりにおいでになるご様子でした。

 それでも滝川陣営でも随一だという槍使いの、苛烈かれつ極まりない武者振りを、幸直が全く知らぬというわけはありますまい。

 知っているからこそ、恐怖したのでありましょう。

『あの方が、敵であったなら』

 幸直を小心と嘲るつもりは毛頭ありません。私は、出来るだけ平気そうな素振りで、顔などは努めて嬉しげな笑顔を作っておりましたが、その実、心底震え上がっていたのですから。

『あの方が、敵であったなら』

 私は畏れ戦きながら、しかし、

『それも、また良し』

 とも思っておりました。

 不思議なことでありましょうか。

 人間いずれは死ぬのです。

 死ぬのは怖い。死にたくはない。

 幾度も申し上げたとおり、私は小心者です。常日頃より、出来る限り生き残りたいと願ってやみません。

 生き残れるというのなら、杉の葉の煮込みを食すぐらいのことは何でもありません。石を噛み泥をすすってでも、どれ程情けなく藻掻もがいてでも、どうあっても生き抜きたい。

 ですが、どう足掻いても絶対に死ぬというのなら、出来るだけでありたいのです。

 親兄弟子孫知友よりもなお長々生き残り、畳の上で親族家臣に看取られて逝く幸福は元より良し。されど、戦場で素晴らしい敵将と堂々渡り合って、槍に貫かれて逝く幸福も、武人であれば願って当然とは思われませんか。

 ともかく、この時の私は、

『前田慶次郎になら殺されて当然、むしろろそれで構わない』

 と思っていたのです。それどころか、

 とさえ考えていたのです。

 ところがそれと同時に、頭の後の方では、

『それはあり得ない』

 とも感じておりました。

 理由はありません。ただそのように思えたのです。

 そのように思えただけのことで、私は武器ではなく笛を持ち、息を潜めるのではなく大きく音を立て、睨み付けるのではなく笑って迎えたのです。

 慶次郎殿は渋柿を召し上がったかのような顔をしておいででした。

 光の加減の為でありましょうか、どうやらこちらの顔がよく見えない様子でありました。

 しかしながら程なく、

「やはり源三郎だ。あの胸に響く笛の音を、この儂が聞き違えるはずがない」

 弾けるように大笑なさったのです。

 前田慶次郎殿は、掻い込んでいた槍を物も言わずに無造作に後方に投げました。それを郎党らしき者が当然のことであるかのように見事に受け止め、すかさず穂先を鞘に収めました。

 なんとも武辺者ぶへんものらしい振る舞いでした。

 私がほれぼれとした面持ちで見ている前で、慶次郎殿が件の青鹿毛の馬腹を軽く蹴られました。ご自慢の駿馬は六尺も跳ね上がり、堀割道の底から灌木の茂みすら飛び越えて、なんと私のやや後方に着地したのです。

 ひづめの三寸ほど脇で、禰津幸直が腰を抜かしておりました。

 その幸直の体を器用に避けて下馬した慶次郎殿は、私の顔をしげしげと見て、

「しかし、お主の父親も非道ひどい父親だが、妹も大概だな」

「妹……?」

 一瞬、何の事やら判らずに小首を傾げますと、慶次郎殿はあきれ顔をなさって、

於菊おきく姫だよ。あの可愛らしい、お主の妹の」

「於菊に、お会いになられた?」

 我ながらおかしな事を言ったものです。慶次郎殿は馬狩りから戻られて以降は厩橋においでだったのです。城内の人質屋敷にいる我が妹の顔を見ても不思議ではありません。

 しかも、慶次郎殿にとっては主君の嫡孫である上にの間柄である滝川三九郎一積かずあつ様との縁談「らしきもの」が持ち上がった相手でもあります。顔つきの一つや二つをお確かめになって然るべきとも言えましょう。

「会うも何もないわい」

 慶次郎殿は少々呆れ気味に道の側を顎で指し示しました。

 あの頃にままだ珍しかった女駕籠の引き戸が開いて、中から見知った、今にも泣きそうな幼顔が現れました。

 頭は桂巻かつらまきで覆い、身には継ぎの当たった一重を着ております。化粧気のない顔はすすにまみれていました。

 遠目から、着ている物だけを見ますれば、お世辞にも貴人とは言い難い装束です。

 その貴人らしからぬ身なりの者が、あのころにはまだそれそのものが珍奇ちんきな乗り物であった駕籠の、たいそうに立派な扉から出て参ったのです。

 本当ならば、不釣り合いなはずです。

 ところがちっともそうは見えませんでした

 なにしろ、出てきた娘の頭を覆っている布はこれっぽっちも汗じみたところが無く、晒したように白いのです。

 着物のに継がれた端切れには、使い古した布地の風情がまるで見えなません。

 おまけに、顔の煤の汚れはまるきり手で塗りつけたようでありました。

 すべて取って付けたようで、ことごとくで、万事嘘くさいときています。

 この扮装ふんそうそのものが、「私は農婦ではありません」と白状しております。

 私は苦笑しました。

 私たち自身がもここへ来るときにずいぶんと下手な「百姓の振り」をしたわけでありますが、なんの、あの下手な変装と見比べれば、千両役者のごとき化けっぷりであったといえましょう。

 百姓のフリをして他人の目を誤魔化そうというのが、於菊の考えか、あるいは周りの入れ知恵かは定かでありませんが、

「やれやれ、兄妹きょうだいそろって似たようなことを」

 私は笑いながら、涙をこらえておりました。

 妹は無事でありました。少なくとも、命はあります。

 それにどうやら、ここへ来るまでの間にまたぞろ杉の葉を喰うような思いはせずに済んだ様子です。

 そして件の偽百姓娘の方はといえば、切り通し道の崖の上に私の姿を認めた途端、こらえることもせずにわっと泣き出したのものです。

 そのまま物も言わず、崖下に駆け寄ったものの、さすがに女の足でよじ登ることが苦労であると見るや、その場にくずおれるようにして座り込んでしまいました。

 あとは顔を覆って泣くばかりです。

 私は灌木を乗り越え、崖を転がるようにして滑り降りました。足が着いたのはなんとも良い案配に、ちょうどの真ん前でした。

 私がしゃがみつつ、妹の肩を抱いてやろうとしたそのとき、私の耳はおかしな音を聞きました。

 鍔鳴つばなりです。

 そのすぐ後、頭の上で、鉄がぶつかり合う音がしました。

 私は右の腕に「重さ」を感じておりました。

 重さだけです。痛みのたぐいはありません。

 私の右腕めが、脇差しの鎧通よろいどおしを引き抜いて、頭上に掲げ持っておりました。

 その太く短い刃に垂直に交わるようにして、長い刀が打ち下ろされていました。

 臆病者の私の身体には、なんとも妙な「癖」が染みついております。刀を打ち込まれたら防ぐという動作を、頭で考えるより先に身体の方がしてくれます。

 いや、便利なようですが、かえって不便なこともありのですよ。

 相手がこちらを襲う気などさらさらないというときでも、こちらが勝手に逃げることが多々あるのですから。

 それはともかくも。

 私の右手が押さえてくれた長い刃の根本には、当然ながらそれを握る籠手こてがありました。

 籠手の先に黒糸威くろいとおどしの大袖おおそでがあります。

 その向こうには黒い顔が見えました。

 立派な口髭くちひげ頬髭ほおひげを生やしています。大きく開いた口元には、尖った白い歯が居並んでいます。

 恐ろしい怒形でした。

 一瞬、ぎくりとしましたが、すぐに私は安堵しました。

 怒り狂った猛将の口元の上に、おびええ、うるんだ、黒目がちな眼があったからです。

 怒形の面頬を被っているのは『子供』に相違ありません。

 確かに一見、立派な鎧を着た大柄な武将ですが、その中身は、おそらく私よりも年下で、ともすれば未だ初陣ういじんに至らぬあろうと見て取りました。

 第一、打ち込んできたその刀に、刀以上の重さを感じません。すなわち、私を……一人の人間をために必要な力を、まだ身につけていない、未熟な小僧に相違ないのです。

 自分も子供でありましたから、そして自分も小心者でありますから、同類はすぐに判ります。

 私は相手の刀をはじき返すことをしませんでした。

 そうするより前に、私の頭の上と目の前から、それぞれ声がしたからです。

三九郎さんくろう殿、たとえ御身のなさることでも許しませぬぞ」

 同じ言葉でした。しかし声の色はだいぶん違います。

 頭の上から振ってきたのは、破鐘われがねのような声です。

 目の前からあがったのは、鈴のような声です。

 しかしどちらも大きく、そして大変怒っていました。

 二つの声から「三九郎殿」と呼ばれたその若武者は、忙しく首を上下に振って、二つの声の主の顔を見比べました。

 降ってきた声……すなわち前田慶次郎殿のいる上方を見た時の顔は、確かに恐れてはいるようでありましたが、なんと申しましょうか……そちらから叱られるのは致し方ないという諦観ていかんじみたものが混じっておりました。

 ところが、目の前の声の主、つまるところ我が妹の於菊の方を見た時と申せば、恐れおののいた上に、驚愕を塗りこんだような、見ているこちらがかえって吃驚するほど、真っ白な顔色をしておいでたのです。

 このときの於菊と申しませば、頭から湯気を噴き出さんばかりの勢いで、煤で汚れた頬を紅潮させておりました。

 かつてないことです。

 何分、この我父お気に入りの末娘は、父親が何より大事に、さながら手中の珠のように育て上げた箱入りでありました。

 我が妹ながら、賢く、おとなしく、引っ込み思案で、なにより目上の者には従順な、いわば「これ以上ない良い姫」でありました。

 それが激しく立腹して、耳割く大声を上げたのです。

 そのさまを例えて申しますれば、さながらかまどの中の熾火おきびのようでありました。

 触れたが途端に、己の意思とは無関係に手を引っ込めてしまう、熱い熱い炭火です。

 件の三九郎殿――すなわち、滝川三九郎一積殿も、大慌てで、私めがけて打ち下ろしたあの大刀を引っ込めました。

 若武者はオロオロとしながら於菊の様子をうかがいました。さすれば、於菊めは、自分よりも大柄なその鎧武者をキッとにらみつけますと、

「敵と味方の区別もつかぬ御身でありますれば、此度こたびの戦も、たいそう危ういものでございましょう。情けのうございます。例えあたくしが御身の御武運を祈ったところで、御手前の御命は無いものとお思い召されませ!」

 大喝だいかつといってよいでしょう。怒鳴られる当人ではないはずの私でさえも、肝が縮み上がる思いがいたしました。

「いや、これはお主が身を守りたい一心でしたことで……」

 ようやく小さく反論せんとする三九郎殿でありましたが、

「問答御無用にございまする」

 於菊はピシャリと言い切り、ぷいと顔を背けました。

 下唇を突き出した、可愛げな顔を私の方へ向けますと、

大兄おおあに様、大事なお勤めの途中に、女子供の相手をなさる余裕もございませぬでありましょうが、あたくしが喜んでおりますことを、どうかお許しくださいませ。まこと、ここまで参りまする間に、寿命が十年は縮む思いでございました。こうして家族の顔を見ることができて、心が晴れました」

 泣笑しながら申しました。

 その後ろで、三九郎殿が顔を紙のように白くして、

「兄様……菊殿の兄上殿……」

 聞こえるか、聞こえぬかというような小さな声で呟きつつ、上目遣いで、少々恨めしげに私の顔を見ておりました。

 そこへ、

「何だ、もう婿になった気でおいでか!」

 頭の上からカラカラと笑う声が振って参りました。

 滝川三九郎殿が顔を上げました。白かった顔色が、見る間に赤く変わってゆきます。

「違うぞ宗兵衛、断じて違うからな! 我はただ、於菊殿の兄上、と言ったまでだ」

 その言葉が終わらぬうちに、今度は、樹の枝木の葉が激しく触れる音が振って参りました。

 振り向けば、私の背後の地面の上で、黒鹿毛の馬の四足の足元にもうもうとした砂塵が巻き上がっているのが見えました。

 ドスンという、重い物が――つまり、肥馬一頭と武者一人が――高みから飛び降りて着地した音が聞こえたのは、その後であったような気が致します。

 前田慶次郎殿はさも楽しげな顔で、

「左様でござるよ、三九郎殿。主は件の茶会の折には厩橋にご不在であったから、その顔をご承知ないのも致し方なかろう。これが真田源三郎信幸殿じゃ。ご無礼の無いようになされませい」

 馬上から私の背を平手で殴るように叩くのです。私は咳き込みそうになるのをこらえながら、

『何がか』

 と心中で独り言ちりました。

 良きにつけ悪しきにつけ、私のことを言ったものであれば、そのの出処は慶次郎殿より他にありません。

「滝川の御方々に妙なことを吹きこまれては困ります」

 私は本心そう思い、そのまま口に出しました。聞かれて困るとは小指の先ほども思っておりませんでした。

 慶次郎殿は不遜ふそんにも顎で三九郎殿を指し示すと、

「案ずるな。の祖父様が主の父親のことをことさら大仰に、面白可笑しく触れ回るよりは、よほどに真っ当なことを言ってやっておるよ」

「よほどに真っ当に、ことさら大仰に、面白可笑しく、ですか?」

 私は覚えず笑っておりました。滝川左近将監一益殿が真田昌幸のことをご周囲に言い散らかしておられるさまも、前田慶次郎利卓殿が不肖私のことを過分な物言いで言い触らしておられるさまも、悲しいかな可笑しいかな、ありありと想像できました。

「うむ、そのとおりに、な」

 思った通りの答えが返って参りました。

 しかしながら、そうおっしゃって大笑なさるであろうという予想は、当たりませんでした。

 フと眼を針のように細くして、

で、上方も関東も真っ暗闇だ。多少は明るい話をせねばならん」

 その場にいた者共すべてが息を飲み込みました。

 ようやく血の気が戻っていた三九郎殿の顔色が、また青白く変じてしまいました。

 いえ、顔色を返事させたのは三九郎殿ばかりではありません。

 上州からやって来た百姓に化けた人々の顔色も、信州から百姓に化けてやってきた我々の顔色も、その色の濃さに多少の違いはあっても、押し並べて皆、青くなったのです。

 そうでありましょう?

 慶次郎殿が漏らした「そのこと」は、まだ信濃衆には知らされていない事実です。無論、真田家の者は「知らない事」になっている話です。

 滝川左近将監一益が「明かさぬ」と、お手勢の内にのみ「秘匿する」と決めたのです。

 手元に置きたいと願ってやまぬらしい、真田『鉄兵衛かねべえ』昌幸にすらも明かそうとなさらない、秘密中の秘密でありました。

 それを、よりによって一族衆である前田利卓が漏らした。

 これは左近将監様のご指示があってのことか、あるいは前田宗兵衛利卓の独断か。

 薄く閉ざされた瞼の隙間からは、その奥の眼の色を垣間見ることすら出来ず、いまこの大兵の武将が今何を考えているのかを推し量ることがかないません。

 私にわかったことといえば、慶次郎殿がわざわざ目を閉じてまで、心中を察せられることを避けているのだ、ということばかりです。

 私は慶次郎殿に正対し、じっとそのお顔を見つめました。

 彫りの深い、色艶の良い、しかし旅塵りょじんがうっすらとまとわりついた、微かに疲労の見えるお顔でありました。

「それで……慶次郎殿はどうなさるのですか?」

「儂がどうするか、だと?」

 そう尋ね返す慶次郎殿の目に、困惑の色が浮かんでいるように思われました。

 それも、疑念や懐疑ではない困惑です。わずかに喜色が混じっているようにも見受けられました。

「今の儂がどう動くかを、今の儂が決められようはずもない。儂は滝川一益の家来だからな……今のところは」

 三度言った「今」という言葉は、その全てが、他の言葉よりも強い音として、私の耳に突き刺さりました。

 薄目の奥の目の玉をわずかに動かすと、慶次郎殿は視線を私から外したのです。細い視線の先には、滝川三九郎一積殿がおいででした。

 私はその視線を追いませんでした。変わらず慶次郎殿の目を見、視線が合わぬのを知りつつ、問いました。

「今のところ、でございますか?」

 努めて穏やかに申したつもりでしたが、少しばかり……ササクレ程度のものではありましたが……とげのようなものがあったやも知れません。

 慶次郎殿はその棘さえも愛おし気に、うっすら微笑して、

「ああ、今のところ、な」

 しかし、視線を私に戻すことはありませんでした。

 私は己の肩越しに、ちらりと滝川一積殿の様子を窺い見ました。

 面頬の口の隙間から見える紫色に変じた唇が、ヒクリ、ヒクリ、と痙攣けいれんをしています。

 何か言いたいのに、言葉にならぬ。それがもどかしく、苦しくて堪らぬのでありましょう。

 喘ぐように、

「宗兵衛……貴様……」

 と声を漏らすのが精一杯といったところでありました。おそらく続くのであろう、

「よもや裏切るつもりではあるまいな?」

 という、憤りと不安と否定を願う懇願こんがんの言葉が出てきません。

「世の中、何が起こるかわかりませぬ故」

 前田慶次郎殿のまぶたが、大きく開きました。眼は澄み渡っており、邪心のようなものは針の先ほどもありません。

「三九郎殿の祖父殿が儂を必要となさる限り、儂は付き従いますよ。ただ、儂をいらぬ者とおおせなら、儂は喜んで出てゆく。ま、結局それがしがどう動くかは、彦右衛門ひこえもんの伯父御がどう動くかによって決まるということですよ」

爺様じじさまが宗兵衛を手放すはずがないではないか」

 三九郎殿が吐く安堵の息の音は誰の耳にもはっきりと聞き取れました。慶次郎殿の眼の色が、わずかに曇りました。

 確かに、滝川一益が戦を続ける限り、天下一の槍使い前田利卓を手放すことはありえません。

 しかし、戦うことをやめてしまったならどうでありましょうか。

 例えば、偉大な主人・織田信長を失ったことによって、己が戦う意義をなくしてしまったなら――。

 滝川一益という武将が、六十という老けこんで、どこぞの山中の静かな場所に引きこもったなら。

 その時、この槍使いは……前田慶次郎という武人は、人も通わぬ静かな隠れ家に留まり続けることができるでしょうか。

 戦いが絶え滅びてしまった世であるならば、問題はありません。わざわざ自分で火種を起こし、焚き付け、煽るような人ではありません。――むしろ、それ故に「一国の主」には向かないともいえますが――。

 ともかく、世が太平であるならば、この教養あふるる方は、歌を謡い、舞を舞い、茶をて、書を読み、詩作にふける暮らしを不満なく送られるに違いはありません。

 しかし、太平の世など、夢の夢の絵空事でありました。

 誰かが誰かと槍を合わせている。

 馬が走り、鉄砲が火を吹いている。

 幾万の命が燃え、そして消えてゆく。

 その中で、この仁がじっと座っていることなど、果たしてできましょうか。

 外には戦がある。

 硝煙しょうえんにおい、ときの声が聞こえたなら、この男は嬉々として槍を掻い込み、あの黒鹿毛の胴を蹴り、背後を一瞥いちべつすることさえなく、矢のように飛び出してゆくことでしょう。

 

 

 私は何やら背中に嘘寒うそさむいものを感じました。

「それでは、上州に戻られるのですね」

 その時、そこに戦があったのです。慶次郎殿はニカリ、と笑われました。さながら、隣家に遊びに出かける子供のような笑顔でした。

「滝川一益には信濃で戦をするつもりが無いからな。……これは儂が請け負うぞ」

 黒鹿毛がゆっくりと歩み始めました。私の横を通り過ぎ、三九郎殿の眼前で止まりました。

「馬上より失礼。さて若様、に帰りましょうかね」

 慶次郎殿の大きな手が、滝川三九郎一積殿の襟首に伸びたかと思うと、その決して小さくはない体が宙に浮きました。

「嫌だぞ宗兵衛! 俺は菊殿をお父上の処まで送る!」

 三九郎殿は駄々子だだっこの如く手足を打ち振るいましたが、その程度のことで慶次郎殿が手を離すことなく、また馬も歩みを止めることがありません。

「どのお父上ですか?」

 からかうような口ぶりでありました。襟首から吊り下げられた三九郎殿が口をへの字に曲げて、

「菊殿のお父上だ。真田安房あわ殿は、つまりは俺のお父上でもある」

 すこぶる真面目に答えを返すのを聞くと、慶次郎殿は馬上からチラリとこちらへ顔をお向けになりました。

 申し訳なさ気な苦笑いをしておいででした。私も苦笑いで返しました。

 傍らの於菊は、両の袖で顔を覆うようにして、

あたくしは、存じ上げません!」

 などと申しましたが、夕日よりも赤く変じた耳の先までは隠しきれぬものでありました。

 慶次郎殿はカラカラと乾いた声でお笑いになりました。

「先方からは半ばお断りのごときお返事を頂戴して、そのうえお相手の姫君からはあのように呆れられておるというのに、うちの若君のしつこいことといったら! まったく祖父殿によく似ておいでだ」

 三九郎殿のお体は、馬の鼻先を上州に向けた馬の背に載せられています。

「しつこくて何が悪かろうか! しつこいからこそ、爺様は、亡き御屋形様よりお預かりしたこの関東を守り通そうというのだ! そのために、於菊殿には暫時戦火の及ばぬ場所へ退いてもらうという事であろうが」

 こちらへ振り返った三九朗殿の顔には、決死の覚悟が浮いておりました。

 泣き出しそうな赤い目を一度固く閉じ、また、握り締める音が聞こえてきそうなほど、手綱を強く握りしめました。

 馬腹を軽く蹴ると、馬は小さく足を前へ出しました。

 上州へ、上州へ。

「暫時だ、暫時! 誠に僅かな間のことだ」

 強情な若武者はこちらへ背を向けたまま、叫びながら峠を下ってゆきました。

 於菊の、顔を覆う両の袖の下から、

「殿方は皆、嘘吐きです」

 小さくつぶやく声がしました。

 私は何も言ってやれませんでした。見るのも辛くて堪りません。

 弱虫の私は顔を上げて、歩き出さずにいるもう一人の強情そうな武者を見ました。

 前田利卓という老練な武将は、

「うちの左近将監は、上州の中だけで抑えこむ算段でいるようだが、そう簡単には行かないだろうな」

 他人事のように仰り、ふわっと微笑まれました。

「わが父には、どのように伝えればよろしいですか?」

 私の問いに対して、

かね?」

 慶次郎殿は少々意地悪そうな眼差しをされました。私は思い切って、申しました。

「いえ、北条殿との戦のことです」

 つまり、織田信長の死のことなど、我らはうに知っている、と暗に打ち明けたのです。

 慶次郎殿はわずかにも慌てることなどありませんでした。慶次郎殿も真田が影でコソコソと何やら動き回っていることなど、おそらくは承知だったのでしょう。

 それはつまり、滝川一益様もある程度はご存知であったに違いないということであるのですが、

「そういうことは、伯父御が考えることであるし、それなりの考えがあればそれなりの使者を走らせるだろう。どちらにせよ、儂のすることではないな」

 と慶次郎殿が仰せになったということは、滝川様は知っていて黙認、あるいは黙殺し続けるという判断をなさっておられるのでありましょう。

「では、慶次郎殿のなさることといえば?」

「なぁに、儂は戦しかできぬでな。儂はただ、目の前にいる敵を倒す。それだけしかできぬ、不器用者さ」

 その言葉には、湿っぽさは微塵みじんもありませんが、それでも何やら悲しげではありました。

「目の前の敵が、友であっても……倒されますか?」

 私は心中恐る恐る、しかしそれを出来るだけ表に出さぬようにして、そっと訊ねました。

「ああ、倒すよ」

 前田利卓は冷たく低く言いました。ギラリとした鍛鉄たんてつかたまりが、音もなく風を切ります。

「敵になるのかね?」

 繰り出された槍の穂先は私の鼻先を指し、その三寸先でピタリと止まっています。

「そういうことは、真田昌幸が考えることでしょうし、考えがあればそれなりの使者をよこすでしょう。どちらにしても、私が決めることではありません」

「だろうな」

 槍先が私の眼前からすぅっと消えました。

 尖った恐怖の代わりに、私の胸に満ちたのは、高らかな笑い声でした。腹の底から溢れ出た呼気で天地が割れるような哄笑でありました。

 一頻ひとしきりり笑うと、前田慶次郎利卓は、ふっと息を吸い込み、真っ直ぐな眼差しで私を見つめました。

「ま、そういう時が来たなら、互いに正々堂々とな」

「はい」

 私はなぜか笑んでおりました。命のやり取りをする約定を交わしているのに、なぜか嬉しく思えたのです。

 恐ろしいことです。実に、恐ろしい。

「では、又な」

 そう短く言い残して、前田慶次郎は峠を下って行かれました。


 戦の只中へ、悠然ゆうぜんと。


「なんとも恐ろしいお人だな」

 いつの間にやら崖上から降りてきたものか、禰津幸直が私の背で、ポツリとこぼしました。

「そうだな。敵には回したくない」

 私は本心そう思っておりました。そして同時に、あの黒鹿毛に向かって馬を突き進める自分の姿を、憧れに似た妄想に心震わせていたのです。

 そして、私たちも峠を下って行きました。上野へ背を向けて、血の匂いのしない方向へ……。




 その先の話は、又、別の折にいたしましょう。

 滝川の方々と北条の方々が如何様に戦い、そして滝川一益が如何様に落ちてゆかれたか……粗方あらかたのことは、あなたもご存知でありましょうから――。

 はて、解らぬ事が一つと仰せですか?

 厩橋うまやばしの事、と……?

 ああ、私が命じて於菊を助け出しに向かい、目的の人間がとうに失せている城を目の当たりにすることとなったのことですか。

 出浦いでうら対馬つしまのような種類の男からすれば、

「負けぬ戦での無駄足踏みなどは、むしろ喜ばしきこと」

 といった具合で、

「まあ、それでも何もせぬというのはつまらぬものですから、ついでの事に、他の信濃衆がお預けになった証人ひとじちの皆様と、ちょっとしたをいたしましたよ。行き先は、無論信濃でございますが」

 などと、やはりしれっとした顔で申したものです。

 垂氷つららが三ヶ月ばかり口も聞いてくれなかったというのも、言わずもがなのことでありましょう。


 まあ、つまり、そういうような次第だったのですよ。

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真田源三郎の休日 神光寺かをり @syufutosousaku

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