第8話 碓氷峠

碓氷峠うすいとうげ


 父・真田昌幸直筆の書状……というか、には、ただそれだけが書かれていました。

 当たり前の指図書さしずがきであればその後に当然続くであろう、命令を書いた「本文」がありません。


「全く、我が一族は性急せっかちな者ばかりだ」


 誰に言うとでもなく、つぶやきました。


 私はこの先、本文のない命令書の本文に当たる部分を自分で考え、動かねばならぬのです。

 その程度のことが出来なければ、あの人の部下や、ましてやせがれは務まりません。

 父の考えていることを推察するか、あるいは、その場で己の思う最適な行動を取るか――。


「あの親父殿の腹の内など、私ごときにわかるはずがない」


 私はこの時の己が僅かに笑ったのを覚えています。


 それはともかくとして。

 例えその詳細がわからずとも、命令は命令です。

 今この時において私がするべき事は、碓氷峠に向かうということでありました。

 そして、出向く道中から行く先にたどり着くまでの間に、何のためにそこに向かうのか、あるいは誰かと相対する必要があるのか、そしてその相手をどのように出迎えねばならぬのかを考えねばなりません。

 目的地に着くまでに思い付かなかったとしても、出迎える相手が眼前に現れる直前までには、私が決めねばならぬのです。


 そこに向かった場合の一番の問題は、

「出迎える相手は何処の誰か」

 ということでしょう。


 このとき、甲州上州、そして信州を欲し、狙っていた陣営といえば、上杉、北条、徳川の諸勢力、ということになりましょう。

 これ以外に、例えば奥州の方々の中にも食指を動かさんという向きはあったのやも知れませんが、あちらの方々が信濃に入るには、まずご自身の領内の安寧を量った上で、さらに北条と当たる必要がありました。ですからこの線は他の三つよりは薄いと断ずることが出来ます。


 そして先の三家の中で一番薄いのは上杉です。

 彼の方々の本拠は越後にあります。従って攻め込んでくるとすれば、境を接する北信濃からということになります。

 あの殿が放棄した北信濃には、一揆勢いっきぜいを除けば、あまり障害となる存在がありません。上杉勢は速やかに進入し、彼の地を掌握なされるでしょう。

 ですから上杉勢が北信濃を抑えた上で、更に東信濃をもお望みであるならば、そのまま千曲川ちくまがわ沿いに上田の平へ進むか、あるいは地蔵峠じぞうとうげを越えて真田郷さなだのさと方面へ向かう、というのが筋です。

 言わずもがな、先方がどちらの道を取ったとしても、私が向かう碓氷峠とは逆方角です。


 次に徳川陣営です。

 こちらは、本領の三河からお入りになる形となりましょう。

 ということであれば、南信濃から進むか、あるいはまず甲斐から入るか、となります。

 その時、徳川の本体が何処にあるのかによりますが、もし甲斐から入った場合、そこには滝川の諸将と兵がおります。また、その旗下ということになっている武田の遺臣もおります。

 織田信長様御生害ごしょうがい、そのことをまだ公には知らされていない事になっている武田の遺臣と、元より織田麾下きかの「同僚」である滝川様と徳川勢が出会ったなら、どうなるのか?

 滝川左近将監さこんのしょうげん様と徳川蔵人佐くらんどのすけ様とが不仲であるとは聞き及ばぬ事です。――飛び抜けて良好であるとも聞かぬことですが――それにしても、戦になるとはあまり考えられません。

 恐らくはこの、徳川・滝川の二筋の「川」は、並び流れるか、そうでなければ滝川が徳川に流れ込んで一筋の大河になるでしょう。

 大河は北条を飲み込み、碓氷とりい峠と云わず鳥井とりい峠といわず、ありとあらゆる峠と山と川を越えて、信濃に押し寄せてくると考えられます。


 では滝川様と武田遺臣がおらず、いるのは北条殿の軍勢ばかりであったなら?

 徳川様は北条殿とは縁が深いと聞いています。

 そのよゆう聞いては居ましたが、この時の私には「戦になる」としか思えませんでした。

 その戦が、頭を使ったやり取りか、槍を取ってのやり取りなのかも判然としません。戦になった場合の勝敗も判断しかねました。

 ともかく、もし徳川勢が碓氷峠から信濃に入るというのなら、北条との争いに勝たねばならないことは確かです。

 織田信長様御生害のおりにはまだ大坂おおさかに居られた徳川様です。その後、無事ご本領に戻られたとして、次にどのような動きが出来るでしょうか。

 確かに領土拡大の好機ではあります。北条方の不穏な動きも気にかかるでしょう。しかしそれよりも、大謀反人・惟任これとう日向守ひゅうがのかみ――明智あけち光秀みつひでを討つ方を優先するとも考えられます。

 こちらへ攻め寄せるのは二の次、ということになるでしょう。


 となれば、一番濃い線は、北条ということになります。

 織田家から武田攻めの報奨が与えられなかった北条殿のことです。信長公というかせがなくなれば、長年欲し続けたこの土地に食指を動かさぬ訳がないではないですか。

 偉大な主君を失って浮き足立つ滝川も、寄る辺を失った武田の残党も、怒濤どとうの勢いで攻め込んでくる北条にとっては何の障害になるでしょうか。


 すなわち、この後に小勢を率いて碓氷峠にたどり着く私は、昼なお暗い山の中で、北条の大軍と対峙することになる――その公算が高いのです。


 背筋の寒いことです。

 多勢を目前に見たならば、戦わぬにしても震えが来るものです。


 しかし――。


 ええ、左様さようです。

 この時の私は、真田と北条とが「今すぐに戦になる」とは考えておりませんでした。

 そして私が碓氷峠に出張る理由は、そこに来た何者かを「丁重に出迎えるため」であると確信していたのです。


 考えてもご覧なさいませ。武田が滅びつつあるとき、父は……は何をしましたか。

 武田四郎勝頼公御屋形様に上州岩櫃いわびつまで撤退するように進言するその裏で、は、織田様に良き馬を贈り、そのまた裏側で北条に割の良い文を送っていたのですよ。

 その人が、この時に北条方か、はたまた徳川方か上杉方か、あるいはその総てにか、何らかの手を回していない筈がないでしょう。


 それでも私は、もう一つ、峠を越えようと者がいる可能性も考えておりました。

 出浦盛清が、近々滝川様と北条との間に大規模な戦が起きると申しました。そして悲しいかな、その戦では北条方が勝つことが目に見えております。

 そうなれば、生き延びた「敗将」や「敗残兵」が信濃へ落ち延びようとするに違いありません。その地に将が目をかけてやっていた土豪がいたなら、それを頼って来ることは想像にやすいことです。


 私は父の寄越した書き付けを、それこそ穴の開くほどじっと見ました。


『碓氷峠』


 たった三文字からなかなか目を離すことが出来ませんでした。私は顔も上げず、どうにか目玉だけを持ち上げて、一言、


垂氷つらら


 ようやっとその声を出しました。

 表れた垂氷つららめは、返答をしませでした。

 不調法ぶちょうほうにも白い顔の半分と黒い目玉だけを、僅かに引き開けた襖の隙から覗かせたのです。

 その目玉は、なにやら奇妙なイキモノでも見るかのような色合いで、私と向き合いで座っている出浦対馬の柔和そうな丸顔を、ちらちらと見ています。

 私が、


「父の命で碓氷峠へ行くことになった」


 と言いますと、間髪を入れず、


「お供いたしますとも」


 と喜色さえ感じる声で応えが返ってきました。

 私も間髪を入れず、返答しました。


「お前はこの主水佐もんどのすけ殿と厩橋まやばしに向かってくれ」


「はいはい」


 そういった、なんとも気楽そうな返答したのは、出浦盛清でした。素早くひょいと立ち上がります。

 襖の向こうでは垂氷つららの黒い目が輝いておりました。


「厩橋と言うことは、との連絡つなぎのお役目ですか?」


 その人の名を聞いて、私はようやく頭を持ち上げる気力を得ました。


「前田宗兵衛殿は厩橋には居られぬ。今頃は武蔵国の当たりまで出張っておいでだ」


 私は意識して硬い口調で決めつけました。

 襖の陰の目の光には、失望のような不安のような色が加わりました。


「では、何を?」


「厩橋に証人ひとじちがいる」


 垂氷が何か言いかけましたが、その前に盛清が、


「つまり、手薄な城に忍び込むか急襲するかして、厩橋に閉じ込められている於菊おきく様をお助けしろ、ということでありますな。承知承知」


 ひょいひょいと歩むと、開き掛けの襖を大きく開け放ちました。


「さ、参りましょうかね」


 垂氷は盛清の柔和顔を見上げ、固唾かたずを飲み込むと、頭を振ったのです。


「嫌でございます」


 これを聞いて盛清は私の顔色をうかがい見つつ、


「……と、おりますが?」


 丸い狸面は、呆れたというでもなく、困ったというでもなく、おかしくてならないといった具合の色をしておりました。

 私は何も言いませんでした。言わぬまま、垂氷めの目の玉のあたりに視線を投げました。

 すると垂氷はブルリと身震いしたかと思うと、急に居住まいを正して、


「わたしは砥石といしの殿様から、若様のをする役目を仰せつかったのです。お側に居らねば祈祷が出来ません」


 真面目な顔をして申したものです。私は少々可笑おかしく思ったのですが、笑うことは堪えました。


「使いに出ろと命じた時には、走るのが好きだと申して、喜々として私から離れて何処までも行くではないか」


 そこまで言うと、一呼吸置いて、


「それとも、慶次郎殿が居らぬ厩橋には興味がないか?」


 意地悪く言い足しました。

 垂氷は激しく頭を振りました。


「それは違います。断じて違います」


「では、何故だ?」


「わたしが若様のお使いに出るのは、というご命令だからです。『』と言うだけのご命令ならば、キッパリ御免にございます」


 垂氷はくちばしを尖らせました。の面を真似しているようでした。これを出浦盛清がしみじみと眺め見て、


「仲のお宜しいことは何よりなんですがねぇ」


 などという事を申しますと、ねてそっぽを向いた垂氷の奥襟おくえり矢場やにわに掴んだのです。


「さて、参りますよ」


 盛清は掴んだモノを引きって歩き出しました。その様は、田舎の禅寺に幾年幾十年も掛けっぱなしにされてたっぷりと抹香まっこういぶされた軸から抜け出てきた釈契此しゃくかいしの様に見えました。

 ただ、狸面の布袋尊ほていさまが引き摺っているのは頭陀袋ずだぶくろなどではなく、生きた人間です。それも垂氷です。温和おとなしく引き摺られてゆくはずがありましょうや。

 暴れました。

 裳裾もすそが乱れはだけるのも意に介せず、手足と言わず体中をバタバタと振り揺すり、城内隅々まで聞こえるほどの大声でぎゃぁぎゃぁと喚いたものです。駄々だだねるわらべのそのものでした。

 喚き声の主は廊下へ出、出口の側へ曲がり、柱やら壁やらの陰に隠れて、私からは姿が見えなくなりました。その後に及んでもまだ声も床を叩き蹴飛ばす音も聞こえます。

 私は、次第に遠くへ去って小さくなって行くその音に、声を掛けたのです。


「頼んだぞ」


 思わぬ大声でありした。自分でも驚くほどの声量でした。

 途端、音がぴたりと止みました。

 静寂が続き、息が詰まるかと思ったころ、


「承知いたしました」


 泣き腫らした童めが、掠れた声を張り上げて答えてくれたのです。


 山中で余りに多くの兵を引き連れてては、かえって身動きが取れなくなりかねません。私は雀の涙ほどの兵を選びました。

 その中に、沼田から岩櫃に来ていた矢沢頼綱配下の禰津ねづ幸直ゆきなおを、無理矢理組み入れました。

 これの母親が私の乳母でありましたから、幼い頃は実の弟達よりもなお親しくしておりました。

 気心の知れた者を側に置きたい心持ちだったということは、この時の私は相当に気弱になっていたのでありましょう。

 ああ、幸直は本当に岩櫃にいたのか、と?

 そうに違いありません。私が幸直に、


「久しぶりに顔を見たい」


 というような文を送ったのは、父が私に碓氷峠へ行くように命じるよりもずっと前のことですから。

 つまりは、私はずっと心細かったということです。


 さても、私が選んだ者達は、精鋭ともいえる者達でありました。さりとて、幾ら歴戦の強者そろいであっても、その時私が選び出した人数で、戦が出来るはずもありません。

 精鋭達は口にこそ出さぬものの、その顔に浮かぶ不安を隠しませんでした。

 しかも私はその少数の兵達に、武装ではなく、のさながらの身軽な装いをさせたのです。率いる私も、無論も同様の出で立ちです。

 身支度した私達の姿は、遠目には猟師か農夫のように見えたことでしょう。

 これには動きやすさと偽装の両方の意味がありました。

 鎧や刀の類も、できるだけそうと知れぬように偽装させています。立派な鎧櫃よろいびつなどではなく、使い古しの行李こふりに入れるか藁茣蓙わらござの様な物に包み、槍をとして、あるいは天秤棒てんびんぼうとして運ぶのです。

 それではいざと言うときにすぐに戦えぬ、と、お思いでしょう。兵達もそのように申しました。


、は、ない」


 私は断言しました。


「もし、山中で誰ぞにであったとして、戦にはならぬ」


 この頃の戦線は信濃国境より離れたところにありました。

 戦をするつもりの侍が戦場でも戦場への道筋でもない山の中に、武装したまま入ることは有り得ません。

 戦をするつもりのない侍ならば……つまり戦場から逃げ出したただ一個の人間であるならば、鉢合わせしたところでおそれる必要はありません。

 武装して「見せる」必要があるのは、峠に着いてから出会う人々です。


「それでは変装する必要も無いのではありますまいか?」


 ぬけぬけと申したのは幸直です。他の者達は口を開きませんでしたが、その顔色を見れば、我が精鋭達が私という将を信用していないことが知れるというものです。

 仕方のないことです。

 私は小倅こせがれです。しかも小心者です。

 そのことを隠すつもりはありませんでした。


「私は腰抜けだ」


 むしろ胸張って申しました。

 皆、憮然ぶぜんたる面持ちで私を見ました。


「さりとてそのことでそしりを受けるのは口惜しい。誰からも『己が身の保身のために、大仰に兵を動かした』と思われたくないのだ。滝川様の側にも、北条殿の側にも。それから、行けと命じた父上にも」


「一番最後が、一番肝心にございますね」


 幸直が笑んでくれた御蔭で、私も、他の兵達も、幾分か心が落ち着いたものでした。


 準備が総て整い、いざ出立というその前に、さらにそれらしく見えるよう顔に泥やすすを塗ることを提案した者がおりましたが、私はその案を退けました。


「そのようなことをせずとも、そのうちに汗みどろになって汚れ、疲れ果てて人相が変わる」


 私はつい三月みつきほど前の事を思い起こしておりました。

 甲斐かい新府しんぷの城が、その主たる武田四郎勝頼様の御命令により焼き払われた時のことです。

 私と弟の源二郎、姉妹とまだ小さい弟達、母や叔母、親戚の女子供は、城を出ることを許されました。

 木曽昌義様が逸早いちはやく織田様に寝返ったがために、その縁者の方々が首をねられたのは、その更に一月ひとつきほど前の事でした。

 我々が命を拾ったのは、父が最後まで武田から離反しなかったためです。厳密に申すならば、ため、かもしれません。

 ともあれ私は、親族と、僅かばかりの女中郎党を率いて新府を出、私達だけの力で砥石といしへ向かわねばなりませんでした。

 真田の猛者達は、殆ど父に率いられて砥石にこももっておりました。女子供を助けるがために、少しの兵力をも分けることは、とても出来ぬ相談です。

 甲斐の武田の兵士は勝頼様に従って敵地へ、あるいは、武田を見限って各々故郷へ出払っています。

 護衛など望むべくもありません。

 私達は深い山の中を彷徨いました。食料などを持ち出す暇はありませんでしたから、すぐに空腹に苛まれることになりました。何か採ろうにも地面は雪と枯葉に覆われ、わらび一本出て居おりません。

 致し方なく、唯一枯れていない物を採って食べました。

 杉の葉です。

 いや、ごもっとも。杉の葉などは線香や狼煙のろしの材料であって、まったく人の食べる物ではありませぬ。

 人ばかりか、獣であってもあのような物に口を付けるものですか。

 鹿や猿めらが冬の最中の木の実も草もない時に致し方なく杉を喰うなどというときでも、葉ではなく木の皮を剥いで、その内側の柔らかい所を食べるのだといいます。

 しかし我らは食べました。

 食べるより他になかった。

 一応、人間らしいことはしたのですよ。火をおこして、煮てみたのです。食べやすくなるかと思いましたが……。

 青臭く、油っぽく、渋く、苦く、固い。

 いや、思い出しただけでも口が曲がります。

 その時も私は曲がった口で私の精鋭達に申しました。


「いざとなったら、アレを喰えばいい。一息に十か二十は歳を取ったような渋い顔に変わる。だから、わざわざ出がけに何か細工をする必要はなかろう」


 皆苦笑いしました。

 武田滅亡の折には、そのろくんでいた者達の大半が、大なり小なり苦労をしたのです。

 あるいは私よりも余程辛い目を見たやもしれません。

 皆、そんな思いは二度としたくないと願い、同時に、またあの苦しみを味わうことになるやも知れぬと畏れました。

 この時に誰ぞがぽつりと零した声が、未だ耳に残っております。


「そんなものでも、喰えば腹は膨れる……」


 誰が申したのか、思い出せません。幸直か、あるいは別の者か――。

 存外、私自身が言ったのやもし知れません。



 我らが隊の先頭には、禰津幸直が付くこととなりました。

 幸直のみは、農夫の着物の上に古びた腹当鎧はらあてよろいを着込んでおりました。腰にはこしらええの悪そうな刀が下がっております。

 戦場から落後して彷徨さまよったその果てに、僅かなあわの粥を口にするのと引き替えに農夫の用心棒なったかのような、哀れな侍崩れのような格好です。

 好んでそのような格好をしたのではありません。私がそのなりをさせたのです。

 その哀れな格好を幸直にさせておいて、私自身はどうしていたかといえば、隊の半ばに隠れるようにしておりました。

 お笑いくだされませ。

 袖丈そでたけの合わない継ぎだらけの野良着のらぎを羽織り、がさを目深に被って顔を隠し、身を縮こまらせていた、情けない私を。


「まるきり、用心深い百姓がどこぞへ何やらを運ぶ風情そのもの、ではありますが」


 幸直は不平を露わに口を尖らせました。

 戦続きの時世でありました。物持ものもちな百姓の中には財産を別所へ避難させる者もおりました。

 ある日突然侍共がやって来て、などと言い、米も野菜も家財も、時には人さえも奪って行くからです。

 避難の途中で奪われては困ります。ですから物持ちは、村の力自慢の者が……大抵の男は農夫であると同時に地侍でありますから……戦に出ていなければその者に、そうでなければ、どこかの軍勢から逃げて……いや落ちてきた「侍だった者」を雇うのです。


「何か、不満か?」


 私は幸直のふくれ面に尋ねました。


「誰であれ侍ならば、落人おちうど牢人ろうにんの姿など、嘘でもしたくありませんよ」


 幸直が言うのは当然のことです。誰しも敗残兵などにはなりたくありません。

 大体、この時の我らと申せば、そうなりたくないが為に、必死を持って碓氷峠へ向かおうとしているのです。


「私も願い下げだよ」


 だからこそ小狡こずるい私は農夫のフリをしているのです。幸直は四角い顎を突き出して、


「ご自身がなさりたくないことを、それがしにはさせるのですな」


「ああ、させる。済まぬな」


「謝られても困りまする。と申しますか、若はいつでも誰にでも頭を下げればよいとお思いのようですが、それで大将が務まりましょうか」


「さあて、どうであろうな」


 私が自信なく言うと、幸直は大きく頭を振り、息を吐きました。


「しかし、まあ……。若が侍でない格好をなさっても、まるで似合わぬことで」


「そうかな?」


「百姓の気骨きこつが感じられませぬ」


「うむ。私は弱虫だからなぁ」


「全く、若は昔から物知らずで臆病で泣き虫の狡虫であられるから」


「そうと知っているなら、文句を言うなよ」


「それがしは若に輪をかけた臆病者。若に向かって文句など、口が裂けても言えません。これは独り言です」


「よう聞こえる独り言だな」


「若が耳聡みみさといだけです」


「そうか。しかし、お前も私の独り言が聞こえたらしいから、私以上に耳がよいのだろう」


「あれは独り言ですか?」


「ああ、独り言だ」


「左様で」


 言うだけ言うと、幸直は突き出していた顎を引きました。

 農夫の形をした侍達が、肩を揺らして笑いを堪えておりましたが、


「では、参りましょうぞ」


 先導の幸直が号するのと同時に、皆笑うのを止め、静かに荷を担って歩き始めました。



 先導は信濃を指して行きました。上州の側には滝川様方の方々も武田遺臣の者もいるのです。そういった顔見知りの方々に、ばったりと出会ってしまわぬ為の用心です。

 戦に怯えるこのが実は私であると云うことがすぐに知れてしまっては、私が困りますから。

 だからといって道なりに進んで信濃に入ってしまっては、我々の顔をもっと良く知っている者達――例えば真田昌幸であるとか――そういう方々に出会ってしまいます。

 ですから信濃の方向の、山の中に分け入ったのです。

 そうして我らは山の中を進みました。

 本筋の道ではありませんから、歩きづらいことはこの上ありません。もしも鎧など着込んでおったなら、すぐに息が上がってしまっていたことでありましょう。

 私達は……というか、私という一人の小心者は、ちいさな物影が動くにも木の葉が擦れる些細な音にもおどおどと怖じ気づきながら、歩みました。

 ところが、道行きには火縄の臭いも、血の臭いも、死人の臭いもないのです。

 これから戦へ向かおうという軍も、戦場から逃げ帰ってきた人々も、山賊さんぞくの類にちた者共にも、出会うことはありませんでした。

 私は安堵しましたが、殆ど同じくらい拍子抜けも感じたものです。

 わざわざ装いを変えた用心は――山道が殊の外歩きやすく、道行きが思ったよりも随分とはかどった以外は――ほとんど無駄と云ってよいものでした。


 こうして、運良く、あるいは運悪しく、私達は何事もなく碓氷峠へとたどり着きました。

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