第7話 鬼武蔵
水無月の十三、四日頃のことでした。
上州大泉の辺りをまわっているノノウからの繋ぎがありました。
密書の中身は、小泉城主・
手紙の差出人は、滝川
富岡殿からの問い合わせに対する返書のようでした。
おそらくは富岡殿が京都であった「異変の噂」を聞いて、その真偽を確かめようとなされていたのでしょう。
あいや、何故当家がそのようなものを手に入れられたか、などということは申されますな。もう遠い昔のことにございますれば。ま、経緯はともかく、我らは何故かその中身を覗き見ることが出来た、というだけのことでございます。
返書の中身と申しますのは、
「
といったものであったと記憶しております。
私は文を畳み、砥石行きのノノウに渡しました。
「別条なし、か」
この時点では、滝川様は織田様の死を秘匿なさるおつもりだということが知れました。
危うい策としか言い様がありません。これほど大きな秘密を、長く隠し通せるはずありましょうか。
少なくとも我ら真田は真実を知っております。知らぬふりをしておりましたが、知ってしまっているのです。我らのような小勢が知っていることを、強大な北条方が知らぬはずはないでしょう。
同じ頃、木曽の方で大変な騒ぎが起きていたのですから、なおのことです。
騒ぎの端緒は、
差出人は北信濃の
織田信長の勢力下にあった海津城……後々
書状の内容は、
『京の変事のため、美濃国
というような物だったと聞きます。
東信濃では我ら信濃衆が滝川一益様にお味方するという形となっておりましたので、どうやら治まっておりましたが、北信濃では各地で
北は越後の上杉様と直接境を接していたわけですから、なおのことです。
森武蔵殿が織田信長横死の報を受け、運営の難しい新領地の放棄を決したのも、致し方のないことでした。
書状を受け取った木曾義昌殿は
「合い判った、と武蔵守殿にお伝えくだされ。くれぐれも、
そう申しつけて使者を帰すと、ご家来衆を呼び集めました。呼び集められた者の中には、質として預けられていた我が弟・源二郎と、矢沢三十郎
多くの者共がいるというのに、場は水を打ったように静まりかえっていました。その中で木曾殿は落ち着いた声音で仰せになったそうです。
「聞いたとおりだ。明晩『鬼』が来る」
この「鬼」と申しますのは、誰あろう森武蔵守殿のことです。森殿はその
森殿は出会う敵は総て切り倒すのが信条の方でした。一軍を預けられたなら、その軍を文字通りに率いて戦われます。自分が先頭に立って敵陣に切り込み、部下の誰よりも多くの
あの方の戦には作戦も何もありません。どのような方法であっても、相手を全滅させればよい、とお考えだったようです。
立ちはだかる者は敵であれば当然切り伏せ、敵でなくても打ち倒して進む。ただそれだけのことです。
相手を
その苛烈振りを
証人の数は数千の上といいます。その人数を、決して大きいとはいえぬ海津城内に押し込めていた、と伝え聞きます。
そこまでせねば、領国内を治めることが出来なかったのでしょう。それほどに北信濃の国人衆は森殿を……織田信長公を嫌っていたのです。
「さて鬼めは、その人々を総て引き連れて城を出たそうな。人々は鬼めの本隊の回りを取り囲むように並ばされた。これでは国人衆も
木曾義昌殿があくまで静かに仰せになると、諸将は
「鬼めは、人々は
場がざわつくのも当然でありましょう。
かつて武田の配下であった頃、木曾殿も武田に証人を出しておりました。
「北信濃の人々の悲しみはいかばかりか。証人に出した肉親を殺される辛さ、苦しさは、儂も良く知っている。……皆の者、儂は『鬼』を退治せんと思う」
どよめきが起きたといいます。木曾義昌殿の意見には皆同意しているのですが、伝え聞く「鬼武蔵」の恐ろしさが、ご一同に不安を抱かせたものでしょう。
「我らは
不安を声に出す者も居ったようです。
義昌殿はご一同の顔を見渡すと、
「遠山
名を挙げられたのは、元々森殿とは縁の深い方々です。そういった方々にさえ、森殿は酷く畏れ、憎まれていたのです。
それが事実か否か、私には判りません。しかし、義昌殿の言葉を聞いた方々は、真実と思ったことでしょう。
「儂は『鬼』の為に大事な家臣、領民を失いたくはない。良いか、明日この城へ来るのは人に非ず。彼の者は『鬼』である。鬼を退治するのに、人とするような堂々たる戦を、兵力を使う戦をする必要はあろうか。使うのはココじゃ」
義昌殿はご自身の
人々は理解しました。つまり、森長可殿を騙し討ちにするのだ、ということをです。
陣立てが行われました。
ですが当たり前の戦のように「城を守るため城の外に敷く」布陣ではありません。門の内側、
総てを城の中で済ませる為の準備であったのです。
兵の実際の配置は翌日に行われることに決まりました。
当然のことです。
ことに、彼の鬼は武勇の御方です。
運良く逃げられただけであっても、その後に本領で兵力を取り戻し、あるいは増強した「鬼」が、怒りの
失敗は許されません。
策は綿密に練られ、準備は万端に整えられました。
明日「鬼」が到着したなら、歓迎の素振りで迎え入れ、
明日、総てを為す――。
その夜は、
大事を明日に控えた夜に、
深夜、義昌殿は灯明の消された真っ暗闇の中、独り広間に座しておられたといいます。
私にはこの時の義昌殿のお心の内を推し量ることができません。されど、家名を守るためであれば、
只独り何事かを沈思黙考していたのであろう義昌殿は、その時不気味な音を聞かれた筈です。
何かを叩く音です。いや、叩くという言い様は
部屋が、いえ城そのものが
「何事だ!」
大声を上げるのと殆ど同時に、
「一大事にございます! 鬼……森様が只今ご到着でっ」
小者の報告は、義昌殿には理解しかねるものでした。しかしながら、
「それはどういう意味だ?」
というような、誰であっても当たり前に思い浮かべるであろう言葉を、義昌殿が口に出されるよりも先に、答えの方がご自分からやってこられたのです。
悲鳴、怒声、床を踏みならす音、そして大きな笑い声を
「伊予殿、久しいな!」
暗闇を割って、美貌の若武者・
「お……に……武蔵、どの……?」
まごうことなく、森武蔵守長可その人です。
義昌殿が驚き、
「なに、この
眉が太く髭の濃いところを除けば、まるで若党かおなごのような優しげな顔に笑みを満たした森武蔵守長可殿は、武装そのもののような旅装を解かぬ侭に、義昌殿の真正面にドカリと腰を下ろされました。
「ところが着いてみれば何と門が閉まっている。致し方なく叩いたという次第だ。しかし伊予殿、城主たる貴殿を前にいうのは申し訳ないが、この城はあまり堅固ではないな。
膝を叩き、さも楽しげに声を上げて笑われたそうです。
この時義昌殿は、鬼武蔵殿の
庭と知れず、屋内と知れず、
あるいはしかし、耳にしても聞こえてこなかったのやもしれません。
義昌殿とすれば、周到に計画し、万全の容易をして、相手の不意を突くつもりが、逆に先方から奇襲を掛けられた格好なのです。
大いなる決心の上の策略が瓦解してゆく、その恐ろしさが、義昌殿の
『何が何やら判らない』
義昌殿は、ただ眼を明けて、息をしているだけの人形のようになっておいででした。
慌てふためいた幾人もの家臣が主君へ事態を報告をし、指示を仰ごうと、その元へ駆け付けました。
しかし彼の者達の主君は、返答も下知もできぬ有様です。
そんな主君の様子を見て不審に思った彼等は、主君が何も語らぬ理由を探し、辺りを見回したことでしょう。そしてこの時漸く、主君の眼前に広がる暗がりの中に「鬼」を――
ある者は息を呑み込み、あるいは悲鳴を上げ、あるいは怯み、あるいは腰を抜かして尻餅を突きました。
武士が、です。それも元は勇猛果敢な、向かう所敵無しと称された武田武士であった者共が、です。
「なんだ、木曽福島には人が居らぬらしいな。なるほど、人のいない城では、門も
森長可殿が
反論できる者がいないと言うこともまた、嘆かわしいことでした。
しかし、その場にただ一人、声を上げる者がおりました。
「なんということだ。もののふとあろうものが、なさけないぞ」
見事な
年の頃は五、六歳ばかりの男の子でありました。
幼いながらに眉の
木曾義昌殿の顔が土色に変わりました。
餌を求める鯉のように口をぱくぱくと動かされたといいます。
ご本人は恐らく、
「
というようなことを叫んだおつもりでしょう。しかし回りの者共には聞こえなかったやも知れません。
森長可殿が、
「なんだ、この城にも人がいるではないか。なんとまあ
と、仰る
その
童子は長可殿の前に大将のように
「きそいよのかみがちゃくなん、いわまつまるにござる」
堂々と名乗られました。ご立派な振る舞いにさしもの鬼武蔵も瞠目したと見えます。居住まいを正して、
「承った。それがしは森武蔵守長可にござる」
その名を聞いて、流石に岩松丸殿も驚いたことでありましょうが、森殿が続けて、
「この騒がしき中、なんと堂々たるお振る舞い。この武蔵、感服仕った。先ほど木曽に人無しなど申したが、なんと我が目の暗いことよ! ここにこうして岩松丸殿が居られるではないか。岩松丸殿こそ木曾家随一の武者であられる。見事なり、あっぱれなり」
などと持ち上げたものですから、悪い気はしなかったのでありましょう。
「ごこうめいなおにむさしどのにおほめいただき、いわまつまるはかほうものにございまする」
などと回らぬ舌で……少々正直すぎるきらいはありましたが……返答なさいました。
さすれば森殿はますます感心して、
「おお、なんと賢い子であろう」
楽しげに笑い、肯き、手を打って岩松丸殿を褒めちぎるのです。
子を褒められて嬉しくない親がおりましょうか。
義昌殿の青白い頬に赤みが差しました。ただし、ほんの一瞬のことです。
義昌殿が何か言おうと口を開き掛けたとき、森武蔵殿はすっくと立ち上がり、
「気に入った! 岩松丸殿を我が
言うが早いか、小さな岩松丸殿の体を抱きかかえたのです。
そして、森長可殿は童子を抱いたまま木曾義昌殿の傍らに進み、その真横にドカリと腰を下ろされました。
よく、「あっと言う間」などと申しますが、この時の義昌殿には「あ」の声を上げる暇すらありませんでした。
幼い嫡男が、退治するつもりの「鬼」の膝に抱きかかえられています。「鬼」はニコニコと笑っております。そればかりか、当の岩松丸殿も笑っておったのです。
森武蔵守長可という御仁は、その外見だけを見ますれば、それこそ十六の面そのものの美しいお顔立ちで、優しげな方であったと、私めも聞き及んでおります。
それ故、小さな子供には「鬼」には見えなかったのでありましょう。むしろ自分を褒めてくれた、頼もしい大人に思えたのやもも知れません。
森長可殿が本心岩松丸殿を買っておられたのか、あるいは、童子の器量など最初から眼中になかったのかは、私には計りかねます。されどこの時の森殿は、膝に抱いた岩松丸殿の
「岩松丸は
まるで自分の屋敷に居られるかのような口ぶりで、他人の家人に物を言い付けられたそうです。
この振る舞いに、流石に木曾義昌殿も腹を立てたものでありましょう。
「武蔵殿っ……」
何か言いかけたのですが、次の言葉が出せません。
森長可殿の膝の上で笑う愛児の首もとで何かが……鋭い鉄色の何かが、灯明の光を弾いたのを見た為でありました。
義昌殿は眼を森武蔵殿の顔へと移しました。
鬼は静かに笑っておりました。
「伊予殿は、証人として預けたお身内を武田四郎めに
この言葉に木曾昌義殿の心胆は凍り付いたことでしょう。
岩松丸が「証人」にされてしまった。差し出すつもりも、無論差し出したつもりもないのに、すでに「証人」として扱われている。岩松丸の
そのことに気が付かぬほど木曾伊予守義昌が……己が一族を守るために妻の実家を「裏切る」ことの出来たほどの男が、
義昌殿は震えました。薄闇の中だというのに、傍から見た者がはっきりと気付くほどであったそうです。
「母上……
歯の根の合わぬ口から、
「岩松丸が目出度い門出だ。酒を持て、肴を持て。さあ、誰ぞ踊れ、謡え!」
夜を徹しての宴会が開かれました。
死に物狂いの酒宴です。
木曾勢にとっては、まさしく
兵糧蔵が開けられ、食料と酒とが運び出されると、森殿配下の方々は
それでいて、その方々が心底楽しんでいるようには見えなかった、と云います。
森長可殿は終始にこやかに笑っておられたのですが、配下の方々、ことに兵卒足軽の者共は、ただ飯を喰い、ただ酒を呑むばかりで、さながら
眼前の食物を
観ていたのは、森殿と、そのご
ことに森武蔵殿は大層楽しんで居られるように見受けられました。手を打って、
「流石に
褒められれば、返礼しないわけには参りません。義昌殿が奥歯を噛みつつ、
「お褒めに与り……」
漸く形ばかりの返礼をしました。しかしその言葉尻も消えぬ間に、森武蔵殿は、
「しかし折角の舞い踊りも、こう暗くてはよう見えぬな」
何が「暗い」だ。今は真夜中だ。明るいはずが無いではないか。
義昌殿は胸の奥底ではそのように思われたことでしょう。あるいはそれを思うほどの余裕は無かったかも知れませんが、あったとしても、それを口にするわけにはゆきません。
「……では明かりを増やしましょう」
暗いのならば、灯明、
ところが、森長可という
「床に
木曾のご家中の方が呼ばれるよりも早く、森の近従の方々が立ち上がりました。木曾方が何かを言うよりも早く、森方は動きました。
床板を割り、
この期に及びますれば、木曾義昌殿には悲鳴を上げる力も残っておられなかったようです。
森家のご家中の方々が件の囲炉裏の回りに集まって、酒を温め肴を
夜は更け、やがて明けました。
木曽福島が焼け落ちなかったのが不思議ではありますが、城内はまさに
木曾勢の方々は衣服も髪も乱れ、眼は濁り、顔色はくすみ、力なく立ちつくしています。
ことに、木曾義昌殿と申しませば、
森勢の方々は、
先頭には、名を
「いや伊予殿、
森武蔵殿が号令すると、軍勢は整った隊列のまま、打ち壊された門を潜り、堂々と木曽福島城を出立しました。
城内の方々も、また城外の方々も、誰一人その行軍を止めることが出来ません。
隊列の先頭に……鬼武蔵の
岩松丸殿の体には太い紐が打ち巻かれ、その先は、森武蔵殿の胴の背の
森武蔵守殿が川中島から「脱出」する道すがらの「出来事」を、多少なりとも小耳に挟んだ者であるなら、手出し口出しすればこの小さく新しい証人がどのような目に遭うか、すぐに察しが付くことでしょう。
かくて鬼の隊列は悠然と木曽路を進み、国境を越え美濃に入り、何事もなかったかのように金山のご城内へと消えていったのです。
まるで見てきたように、と、お笑いになりますか?
ご不審はごもっともです。私自身がこの出来事を見たわけではありません。
伝聞です。見てきた者達から聞いた話です。
すなわち、我が弟・源二郎と従兄弟伯父・三十郎頼康、そして、
「
盛清は
その武田が滅び、織田様が北信濃を押さえて後は、森長可が
盛清は大層小柄で、その上童顔でした。
丸顔の中にある目は垂れて、鼻は団子のようであり、その上、唇の端が上がってい、なんとも柔和そうに見えます。
少なくとも、鬼武蔵が証人達を戻す前に首と胴とに切り分たその様を、眉一つ動かさずに見ておられるような、非情で
「あそこで鬼殿に逆らったなら、それがしの一族が同じ目に遭ったでしょうから」
垂れ目を細めつつ、額の当たりを撫でました。
元々笑っているような顔立ちの男です。笑っているようだからといって、本心笑っているとは限りません。
「ご苦労でありました」
そう言う他に、掛ける言葉が思い付きませんでした。
「まあ、あの大騒ぎに乗じて、源二郎様を木曽福島から易々と落とすことができたわけでありますれば……。案外、伊予守殿は未だに真田の証人がいなくなっていることに気付いておられないかも知れませんな」
「まさか、木曾殿はそこまで
「どうでございましょうかなぁ。あの
盛清はしれっと重要なことを申しました。岩松丸殿……後に元服なさって、
「出浦殿が手を打たれましたか?」
一応
「それがし自身が何かしたのか、とお訊ねならば、否とお答えするより他ございませぬな。鬼殿とは木曾に辿り着くよりずっと以前、
『
……とまあ、その程度のことでございますが。御蔭で大層褒められまして。形見にと
と、ニッカリと笑った盛清は、その笑顔のまま、
「しかしまあ、あの鬼殿も、京の方の何とかいうお寺の『火事』で、ご
などと付け加えたものです。
何分顔つきが顔つきだけに、腹の底が
第一、奇妙ではありませんか。
「
私は思うたことを思うたままに言ってみました。
さすれば盛清めは、やはりしれっと申したのです。
「それがし、忍者にございますれば」
さても、当家にはおかしな……いや人並み外れて不思議な者達が集まってくるものです。我ながら感心します。
判っております。お手前は、己自身がおかしな者である故だ、と仰りたいのでありましょう?
しかしながら、人並み外れた所がどこかになければ、当世生きてゆくことは難しい……そうは思われませぬか?
森武蔵守殿にしてもそうです。人並み外れた非道の力があったからこそ、あの方はあの時生き残ることができたのです。
それが先の
上回る「人並み外れた事柄」は何も武力とは限りません。
知恵、胆力、忍耐、あるいは時節、機運。
人知を越えたところにあるからこそ、「人並み外れた」力、なのではありますまいか。
さておき。
あの時私は、出浦盛清から木曽の方で起きた大変な騒ぎ――というか森武蔵という
前田慶次郎利卓という仁です。
件の厩の宴から日を数えますと半月ばかりの時が流れておりました。
たった半月です。その半月の間に色々なことが起き過ぎました。
「慶次郎殿に詫び状の一つも書いておらなんだ」
何の接ぎ穂もなく突然に零しましたが、盛清は平然として答えました。
「慶次郎様と申されるは、滝川様ご家中の前田宗兵衛様のことでありますな」
「ご存知置きか?」
「お噂はかねがね。武勇の点では、件の鬼殿に引けを取らないと」
「雷名轟く、か。さて今頃どうして居られるものか?」
私はあくまでも何気なく呟いたつもりでした。すると盛清はにこやかに見える顔で、恐ろしげなことを申したのです。
「さて、早ければもう北條勢と
「五、六万か」
圧倒的絶望的な兵数でありました。しかしそれを聞いた私の口からは、
「北条殿は大した地力のあることですなぁ」
などという、どこか他人事であるかのような言葉が漏れたものでした。
他人事であったのは、間近に迫っているであろうその戦に、参じよ、という命令が下っていないためでありました。
この時なお、我ら信濃衆にはあくまでも「織田上総介様御生害」を秘匿なさっている滝川様でなのです。味方である筈の北條方が攻め入ってくる理由を明かさないのであれば、我らの兵力を動員するのも憚れる、ということだったのでしょうか。
理由はどうであれ、信濃衆は動きません。信濃領内に居られる滝川勢も動けません。例えば、小諸に居られる
沼田にいる矢沢の大叔父からも正規非正規問わず繋ぎがないところをからすると、信濃に近い場所にいる滝川勢も動かない様子です。
いえ、むしろ、動くに動けないとというのが正しいところやも知れません。
と、申しますのも、実のところ信濃側にはまだまだ織田勢に反発する者が、僅かながらではありますが、いないでもなかったのです。動き出しそうな者達を睨み付けておく必要がありました。
あるいは動き出したところを背後を突かれるようなことがあるやもしれません。
沼田の滝川儀太夫殿は軽々に動くことが出来ないのです。
ともかく、我らが出ぬのであれば、すぐに動かせるのは近場においでのお手勢と、実際に北條に攻め込まれた上野にいる者、即ち、有無もなく直ぐさま戦わざるを得ない者達のみとなります。
その兵数は、
「多く見積もって、上州武州勢が間違いなく従って二万弱。少なければ、お手勢だけの五千余、といったところでしょうか」
私は息を吐きました。やはり他人事のような口ぶりになっておりました。それに答える盛清の口ぶりもまた、他人事のようでありました。
「分が悪うございますな。数も数ですが、それよりも、勢いのこともありますから」
絶対的な君主が逆賊に
「お手勢の殆どを動かしておられるならば、今頃ご支配下の城々、ことさら上州の城々などはさぞ手薄になっておりましょう」
先の二つは無意識に他人事のように申したのですが、この度の言葉は意識して他人事のように言いました。
「厩橋には確か左近将監様がご猶子の彦次郎
盛清も相変わらず他人事のように重要な機密に当たるであろう事を答えてみせました。
いや、他人事どころか、まるで人をけしかけるかのような口ぶりであるようにさえ聞こえたものです。
「厩橋、ですか……」
「はい、厩橋にございます」
出浦盛清との話しは、そこで終いになりました。
私がその場から……つまり、岩櫃城から離れなければならなかった為です。
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