第6話 故宿人身《ゆえに じんしんに やどりて》
その日の朝、一人の百姓が
その者は、人の通わぬ、道とは到底思えぬ木々の間、岩の影を、風のように駆け、
汗と埃の臭気が、汚れた衣服から沸き立っていました。
砥石から岩櫃まで一息に駆けたその『草』は五助と名乗りました。
頭を下げると同時に一通の書状、というよりは折りたたんだ紙切れを差し出したのです。
『水無月二日 本能寺にて
書いた者は、相当に慌てていたのでしょう。文字は乱れ、読み取るのに難儀しました。
内容は簡潔にして要領を得ません。
そのまま読めば、惟任日向という人物が本能寺で死んだかのように取れるかもしれません。
しかしそれは全くの逆でした。
本能寺で殺した。
不思議なもので、私はその意を汲み取った瞬間、奇妙な……安堵としかいい様のない感覚を覚えました。
まるで、そのことをずっと待ち続けていた「起こるべき事」がようやく起き、中々に決まらなかった事がとうとう決まった、といった、安堵の心地です。
「沼田へは?」
五助が父から、この事を矢沢頼綱大叔父へどのように知らせるべく命を受けているのか、確かめる必要がありました。それによって、私が取るべき行動が決まって参ります。
「速やかに、そっと、お知らせするように、と」
「では、沼田に
「は?」
「恐らくは、滝川様方にも織田
「『道』は、弁えておりますれば」
五助は
私のような若造よりも、余程に人に知られぬ――それはすなわち、滝川様の御陣営の人々、という意味ですが――手段を持っている、と言いたいのでしょう。
『草』には『草』の自負があるものです。
「こちらにて充分に休みました故、直ちに走り出しますれば、今日の内には沼田の御城内へ入り込めましょう」
立ち上がろうとする五助に私はなおも尋ねました。
「それで、今日の内に戻ってこれるか?」
「戻る……で、ございますか?」
「砥石の、父の所へ復命せねば成るまい」
五助の顔色が少々鈍りました。
私は何か言いたげな五助に喋る間を与えぬよう、素早く申しました。
「足の速い者を一人付けよう。大叔父殿の所にも繋ぎを残した方がよい。残るのは
言い終わらぬ内に、私は手を叩きました。
すぐに
五助はこの小娘を
「沼田の大叔父殿の家は諏訪の
垂氷が
「沼田の、あの鬼のお年寄りの所へ行くのですか?」
この娘は己に正直に過ぎます。私は
ところが驚いたことに、五助はこの言葉を聞いて笑ったのです。当然、声を上げてのことではありません。口の端を僅かに持ち上げ、目尻を僅かに押し下げただけではありましたが、それでも確かに笑ったのです。
五助は矢沢頼綱という人を知っており、且つ、垂氷が思うているのと同じような感情でその人物を見ているのでしょう。
私の目玉の裏側にも、件の酷い老人の顔が浮かびました。
私は苦笑を腹の底に押し込ました。
そして、出来うる限り厳しい顔つきで垂氷を睨み付けると、
「火急だ」
垂氷の顔色が変わりました。かなり驚いております。私の顔が相当に「恐ろしい」ものに見えたに相違ありません。
あるいは、私の顔が「鬼のような誰ぞ」に似ているように思えたのかも知れません。
雷にでも打たれたような勢いで平伏した垂氷は、
「かしこまりまして御座います」
などと、普段しないような丁寧な返答をしました。
こうして二人の、祖父と孫程に年の離れた、すこぶる優秀な『草』たちは、岩櫃の山城を飛び出して行ったのです。
私にしてみれば切り立つ崖でしかない場所も坂道と下り、どう見ても通り抜けられそうもない
知らせは、無事に届く。
私はその点では確信をし、安堵すらしました。
問題は……。
「父はどうする? 滝川様はどうなさる?」
木曾殿の所に居る源二郎と三十郎叔父はどうなるのか。厩橋に居る
そして私は、どうすべきなのか。
私は
どれ程の間もありません。
「この大事に、私ごときが直ぐに妙案を思い浮かぶようであれば、この世は楽すぎてつまらぬな」
私は独りごち、仰向けにゴロリと寝ころびました。
手足を大きく伸ばし、息を吐き尽くしました。
勝頼公が御自害なされたのが、弥生の十一日。
信長公御生害が水無月の二日。
滝川様が――つまり織田陣営が――関東・信濃を「領有」してから、三ヶ月ばかりです
そう。たったの三月です。
わずか三ヶ月ばかりで、占領した土地を治めきることが出来ましょうか。降将達が新しい領主を心底主人と認めることが出来ましょうか。
ことに、充分な「恩賞」を得られなかった者は……。
「北条殿は間違いなく動く」
北条の兵力は、武田征伐ではさして消耗しなかったはずです。大軍は動かされましたが、実際に戦闘することはほとんど無かったのですから。
余力は充分にある。
絶対的な君主の居なくなった織田勢が浮き足立っていると見れば、思惑通りであれば得られていた領地を「取り返す」為に行動を起こすに違いありません。
甲州を攻めるか、上野を攻めるか。あるいは信濃へ押し込むか。
甲州の押さえであった穴山
穴山様はどれ程の速さでお戻りに成られるだろうか。いや、無事に関西を抜け出せるかすら定かではない。
惟任日向様が織田遺臣をどのように取り扱うのか、さっぱり知れません。
例え惟任様が今まで同様、あるいは今まで以上に厚遇しようとお考えであったとしても、方々がそれを受け入れるとは限りません。
織田様の軍勢が「頭が変われば、素直に新しい頭に従う」ような集団であるとは到底思えないのです。
従わぬ者、裏切る者は、切り伏せる。
それが私の見た「織田の戦」です。
そんな「織田の戦」をする者達が、織田信長を裏切った男に、従うはずがない。
皆、それぞれに、主君の仇討ちを画策するに違いない。
各地に散っている織田の遺臣が、己の首級を狙っている……それが判っている筈の知恵者明智光秀は、一体どうするのか。
惟任日向守様もまた、織田の軍勢の一員です。
従わぬなら、切り伏せる。
その考えが染みついておられるのでしょう。
だから、織田信長をも切り倒し果せた。
しかし惟任日向守様は……明智光秀は織田信長ではありません。
魔王とまで呼ばれたあの奇妙な方と、同じやり方をしたとして、同じように大成しえないでしょう。
黄に永楽銭の旗の下に人々が吸い寄せられるように集まり結束したのと同様に、浅葱に桔梗の旗の下に集う人々が、果たしてどれ程いるのでしょうか。
たとえば、穴山様、徳川様です。このお二方が惟任様に従うとは、私には想像だにできませでした。
従わぬなら、切り捨てられる。
織田信長に倣った惟任光秀が、穴山様も徳川様も、全く無事で済ますことはありえない。
何か手を打つ筈です。何か手が打たれてしまう筈です。
おそらく、穴山梅雪は甲州に戻れない。
なれば、北条が攻め入るのは、やはり主の居ない甲州からということになりましょう。
そして甲州に残る武田の遺臣達も動くはずです。
恐らくは一揆勢となって北条に、そして織田の残党に戦いを挑むことでしょう。彼等が失った物を取り戻すために、です。
軍勢を別けても小勢にならないほどの大規模な軍勢であれば、いくつもの小規模戦闘が同時に起きたとしても、対応することが出来るでしょう。当然、別けられたそれぞれの兵団にしかるべき統率者がいれば、の話ではありますが。
しかし兵を別けて使うことが出来ない程度の軍勢では、複数の敵の対処しきれなくなります。
今、織田信長という偉大な「頭」を失った織田の軍勢は、分断され、細切れになって、中規模な軍勢へと成り下がっているのです。
織田軍は一揆勢で手一杯の状態に追い込まれる。そこへ北条が攻め来れば、間違いなく崩される。
ならば、どうする。
私は手段を三つ思い付きました。
一つは、織田信長の死を
ただし、秘密は長く秘密のままにすることは出来ないでしょう。現に、信濃衆の私は真実を知ってしまっている。他の人々にも遅かれ早かれ知られることとなります。
秘密が秘密である間に北条を討ち果たすか、あるいは……何人かが速やかに惟任光秀を討ち取って、織田家総てを掌握し、織田信長と同等の統率力を発揮する……。
無理な話です。あの織田の大殿様と同じ事のできる者が、この世にいるはずがありません。
もちろん、惟任日向様が織田の遺臣団を全掌握するのも、無理でしょう。
なれば、二つ目の手段。
大事が知れ渡り、敵対する者が増える前に、
「撤収する」
速やかに残存兵力を集め、速やかに旧領へ撤退する。
あるいは、
「自分一人、尻をまくって逃げる」
城も領地も見捨て、何もかもかなぐり捨てて、家族や家臣を顧みることもなく、恥も外聞もなく、ただ己の命だけを抱きかかえて、一目散に逃げる。
巧くすれば命一つは助かるかも知れません。ただその後のことが問題となりましょう。
一族も家臣も失った「殿様」が、ただ一人生きて行けるものでしょうか。この世にただ一人放り出された「殿様」が、生きるため米を得ることが出来るのでしょうか。
私のような半端物ですら、美味い飯を炊く火加減を知らないのです。槍一筋、知行一筋に生きてきた「殿様」であれば、米を飯に化けさせる方法を知らないことだって有り得るでしょう。
自分一人の食い扶持を稼ぐ術を持っていたとして、そう易々と生きて行けるものではありません。
例えば本人が侍を捨てて帰農したつもりであっても、その「殿様」が「殿様」であったことを知るものから見れば、その者は「殿様」であり続けるのです。
密告するものがいるかも知れない。
疑心は暗鬼を生むと云います。
道を行くあの者は落人狩りかもしれない。あの物売りは敵対勢力の作細に違いない。
戦に負けた傷心の上に、怯えと猜疑とが塗り重なれば、屈強なもののふの「魂」とて、無事では済みますまい。
人の目を恐れ、身を隠し、一所に留まることも適わず、結局はまた身一つで逃げ出さねばならなくなります。
腕に自信の方であって、どこか別の勢力に出仕しようと考えたとしましょう。
勝負は時の運とも申します。ご本人が次は負けぬと胸張って言ったとしても、大負けに負けた上に、一族家臣を見捨てて逃げた「卑怯者」を雇おうなどという、心の広いお殿様は、そうそういないはずです。
逃げた「殿様」に相応以上の利用価値があるのなら、あるいは可能性が無いは申せませんが……。
「さて、逃げるというのは難しいものだな」
私は独り呟きました。
では、三つ目の手段を取るべきなのか……。
つまり、
「真っ向、戦う」
という手立てです。
この状況では、援軍は期待できません。従って手勢のみで戦を始めることになります。
では、策は?
敵が来るのを待ち伏せるのが良いか、攻め手が寄せ来る前にこちらから仕掛けるが良いのか。
自軍が自領にあるならば、あるいは待ち伏せるのも良いでしょう。
勝手知ったる「我が家」の中に、事情を知らぬ敵を引き込んで戦うならば、地の利というものが働きます。
地の利があれば、例えこちらの兵力が相手の三割方であっても勝機を見つけることができる。
しかし――。
滝川様が関東にお越しになって僅か三月です。恐らくは、滝川様ご自身もまだ自領の地理に暗いはずです。
地の利も何もあったものではありません。このまま城に籠もり、待ち伏せをしたとして、ただの籠城する小勢に過ぎないのです。
ならば、「打って出る」より他にないでしょう。
それも出来るだけ迅速に、敵方にこちらの大事が漏れ伝わる前に、こちらが小勢と知られぬ間に、攻め掛けねばならぬ。
現状で、それが果たして可能なことなのか否か……。
「さて、戦うというのは難しいものだな」
私は寝返りを打ちました。肘を枕にして板張りの床に目を落とすと、磨き上げられた床板に一匹の若造の顔が写っておりました。
嫌な顔をした若造でした。瞼がぼってりと腫れ上がってい、目の下に黒々と隈ができているというのに、頬を紅潮させ、口元には薄笑いを浮かべています。
どこかで見た薄笑いでした。私はその腹黒そうな笑みに問いました。
「父上はどうなさいますか?」
床板は無言でした。返事するどころか足音一つ伝えてくれません。城内が静まりかえっていたのです。生きた人間が一人もいないような、恐ろしいほどの静けさでした。
御蔭で砥石から続く狭い山道を駆けて来る
お笑い召さるな。
戦場にあると、五感が研ぎ澄まされるのです。
彼方の敵陣で兵卒が進軍を開始したその足音が聞こえる程に、火縄に火が移されるその匂いが嗅ぎ取れる程に、入り乱れた兵達の中から名のある将のその顔を見いだせる程に、突き入れられた槍の穂先を紙一重でかわせる程に、
岩櫃の城はその時すでに、紛れもなく戦場だったのです。
孤立した、戦場の直中だったのです。
ですから、私は……私の高ぶった心は、その音を聞き取ったのです。
砥石からの伝令に違いありません。
五助を送り出した直ぐ後に砥石を出立したものでしょう。
その僅かなときの間に、
『父が、何かを、思い付いた』
に違いありませんでした。
私は身を起こしました。
口惜しくてならなかったからです。
私自身が幾ら考えを巡らせても思い付かなかった何かを、真田昌幸という男はあっと言う間に考え出した。
床を蹴るようにして立ち上がりました。
大声で
「誰ぞある!
襖の後から控えていた小者が駆け出す音がしました。
私は努めてゆっくりと歩き出しました。
歩いたつもりでしたが、あるいは小走りに、いえ、全力をもって走っていたのかも知れません。
館を出た私は
何処でどう着替えたものか、今となっては思い出すことも適いません。
ともかく、気がついたときには、兜を被り胴を着込めば、何時でも出陣できる居住まいになっていたのです。
私は引かれてきた馬の
果たして、急使はやって来たのです。
エラの張った四角い顔の真ん中に、小振りな目鼻と大きな口をギュッと一塊に放り投げたようなその顔は、よく見知ったものでありました。
譜代の家臣です。しかし普段であれば、早馬に乗せられて使い走りをするような男ではありません。それはつまり、それほど重要な使いであるという意味でありました。
「ああ、間に合うた!」
と、叫んだものです。その声は
土佐は馬から滑り降りると、よろめきながら私の足元に膝をついて、
「若におかれましては、暫しご自重を……」
荒く激しく息を吐きながら申しました。土佐は誰からの言伝であるとは申しませんでした。しかし、父の命であることは明白です。
「何故動くなと仰せか!」
私は、肩で息を吐く丸山土佐を怒鳴りつけました。
土佐に当たっても仕方のないことであるのは重々承知の上です。それに私は押さえた口調で言ったつもりでした。しかし口から出たのは、憤りや怒りや落胆に塗れた、怒声の様なものだったのです。言った自分が驚くほどの、酷い声でした。
土佐は声もなく、
それから幾度も
「安土の
誠にもって、適切な布陣と言わざるを得ません。
茂誠がそれこそ死にものぐるいで妻を救出するであろう事は、想像に難くありません。
それにつけても、父がどれ程矢沢父子を信頼していたか、これで判るというものです。事実、あの親子はその信頼に足る人物でありました。
私は口惜しくてなりませんでした。矢沢親子は父から信じられ、大任を預けられたというのに、
「では父上は、源三郎には何も任せられぬと仰せか?」
私は身を乗り出しておりました。独活の大木の上半身が、土佐の縮こまった体の上に差し出されている様を傍から見たならば、さながら壊れた傘のようであったことでしょう。
土佐はくたびれた顔をぐいと持ち上げました。細い眼をカッと開いて、口を真一文字に引き締めております。
私は思わず身を引き起こしました。
丸山土佐の顔の後に、真田昌幸の渋皮を張ったような顔が浮いて見えました。。
身構える私を見据え、土佐は大きく呼吸をしました。四角い顔の真ん中で、小鼻が大きく膨らみました。
「
言い終えると、土佐の小鼻はしゅるしゅると縮んでゆきました。
確かに私は厩橋の地理に明るうございました。あそこは私が育った場所です。私は、武藤喜兵衛が武田家を裏切らない証として差し出した嫡男ですから。
正直を申せば、あの頃の私は、地理と言えばあのあたりのこと知らないも同然でした。
それはともかくも、武田が滅し、甲州・上州・信濃が織田の支配下となってからの厩橋の城内にも、信濃衆が差し出した証人が留め置かれていました。当然、当家から出されていた証人もおります。
「於菊か……」
背筋に震えが来ました。
父は「於菊を取り戻せ」と言っている――。
私はそう判断しました。
差し出した証人を戻すということは、すなわち、父は織田家を見限る決心をした、ということです。
私は
総てを吐き出し、吐き出した以上の気を吸い込みました。
「暫しの自重との事であるが、どれ程の時を慎めと仰せだったか?」
心の臓は踊るのを止めませんでしたが、それでも私は、精一杯落ち着いたふりをして申しました。
丸山土佐守は小さな目玉を見開いて、
「矢沢右馬助様のご采配を確かめつつ」
「大叔父殿からの指示を待て、ではないのだな?」
「左様で」
土佐の口元に、僅かな笑みが浮かびました。
私自身も笑っていた気がします。
父が、ここから先は己自身で考えよ、と言っている――。そのことが恐ろしくてなりませんでした。
日が暮れ、夜が更けました。
こうなりますと、夜になったからといって眠れるものではありません。恥ずかしい話ではありますが、私は小具足姿のままで、引き伸べられた布団の上に
沼田の方からの知らせが来たのは、
垂氷はげっそりと疲れ果てた顔をしておりました。
「やっぱり沼田のお爺さんは、鬼でございますよ」
半べそをかきながら申したのは
歩き巫女の垂氷と山がつの五助が、沼田に矢沢頼綱を訪ねると、折悪しく滝川儀太夫益重様がご同席でありました。
これでは素直に用件を告げる訳には行きません。草たちは一芝居撃つことにしました。当然そのための示し合わせなどはできようもありません。
儀太夫様は甚だ顔色悪く、大きな体を縮こまらせておいでだったそうです。
五助は恐縮しきった風に額を地面にすりつけて、
「矢沢の殿様に有難い御札を頂戴できると聞いて、まくろけぇしてやって参りましやした。どうかオラをすけてやってくださいませ」
と申すのを聞いた滝川儀太夫様が、
「御札、とな?」
と、何故か垂氷に向かってお訊ねになりました。
垂氷は五助同様ひれ伏したまま、
「せんどな、この五助のおっしゃんのとこの一等上の
そう言って皺くちゃになった「
神籤は薄汚れた紙切れで、確かに何か書かれているのですが、それはミミズをどっぷり墨に浸して、それを紙の上に放って
「また酷い
矢沢の大叔父は眉間に皺を寄せてミミズを睨み付け、それを儀太夫殿にも示して見せました。
恐らくわざわざそうして見せたのでしょう。つまり、矢沢頼綱は滝川様に対して何も隠しておらず、真田家は織田家に対して二心を抱いていないということを、ごく自然な行いでわかっていただくために、です。
儀太夫殿は紙切れと大叔父の顔をチラチラと見比べると、
「それでご老体、この娘は何と申した?」
垂氷めは、内心「しめた」と小躍りしたと申します。わざわざ酷く
大叔父殿はからからと笑って、
「過日このノノウが
「事情は解った。ではその先だ。それがしには、この娘めがご老体を神の化身のように申したと聞こえたぞ?」
「なに、当矢沢家は諏訪の神氏の
「そうか、ご老体は諏訪神氏か……」
滝川儀太夫様は細い息を
「困り果て、
ように見えたそうです。ですから儀太夫様が大叔父に、
「では儂もご老体にご祈祷を願おうか……」
と力なく仰せになったのを見ても、何の不思議も感じなかったというのです。
すると大叔父は喜色満面、
「では
大いに笑ったのです。
「怒る鬼より笑う鬼の方が恐ろしゅうございます」
垂氷は力なく申しました。
「たっぷり
矢沢頼綱は、垂氷が舞い
「これを、城下に住まう諏訪大社の氏子に配って歩け」
垂氷に持たせたのです。
「そう言われれば、『これこそ草やノノウが待ち望むような密書の類に違いない』と思いますでしょう? ところが、でございますよ!」
垂氷は紙切れを一枚差し出しました。
質のよい真っ白な細長い紙でした。上半分に、四字絶句のような文字の列が書かれております。
腑に落ちる、というのはこのことです。
「
大叔父は時に狩猟もするであろう山がつに「
何の間違いもありません。しかし垂氷にはこの真っ当な御札が気にくわなかった様子です。
「ええ、本当に本当の御札でございますよ。透かしても、水に浸しても、火にかざしても、細かい端々まで目を皿にして眺め回しても、なんのお指図も書かれていない!」
今にも泣きそうな声音で申しました。
そもそも鹿食之免とは、諏訪大社が猟師を始めとする氏子達に出す形式的な「狩猟許可書」です。
殺生を禁ずる仏教の教えに従えば、獣を狩ってそれを食することは大罪にほかならない。しかし、
「前世の因縁で宿業の尽きた獣たちは、今放してやっても生きながらえない。それ故、人間の身に宿す、つまり食べてやることによって、人と同化させ、人として成仏させてやるのだ」
と理由を付けて、神仏の名において正しいこととして許しをあたえる。
それが鹿食之免です。
神罰仏罰を恐れ、来世の幸福を願いながら、現世で生きることもまた願う、そんな人々の心に、僅かな安堵を与えるための
私は大叔父が
私たち武家の者は、多くの敵兵を殺し、あるいは兵ではない人々からも血を流させ、それを「
私は泣きそうになりました。
件の文言の下に、
祈願 家内安全
などと書き加えられていたものですから、なおさらです。
私は洟をすすり、目頭に水気を溜め、それが
これを見て垂氷は、
「ああ、若様がわたしの為に泣いてくださった」
などと申したものでした。
私は否定する気持ちが起きませんでした。涙を堪えながら、別のことを考えていたからです。
「それで、残りの『護符』は他のノノウや草の者達に配って歩いたのだな?」
「はい、やれと言われれば、やらねばなりませんから」
垂氷もグズグズと
「居場所が分かっていて、近場に居る者に直接渡して、少々遠い者にも回してくれるように頼みました。あ、紙屋の萬屋さんにも届けるように手配しましたよ」
少々自慢げに申しました。
「ああ、萬屋に繋ぎを付ければ、関東にいる信濃者の殆どに繋ぎが付くのと同じ事だな」
「気が利きますでしょう?」
「ああ、礼を言う」
私は瞼を閉じました。水溜まりが堪えきれず溢れ、ひとしずくが
「若様?」
垂氷は少々驚いたような声を上げました。
「大叔父殿は、家内安全を祈願すると書いた。願うというは、今は安全ではないということだ。そうであろう?」
「え……? あっ、はい」
垂氷の声には濃い不安の色がありました。
「事は、
私は持ち上げていた顔を元の正面向きへ戻しました。目は明けていたのですが、垂氷の顔も、部屋の壁も、見えた覚えがありません。
別の、遠い、幻か現か判らぬ、深い闇のようなモノ、あるいは赤い炎の様なモノが見えていた気がします。
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