とまあ一言紹介が35文字までだったので脚で35文字埋めたんだし、レビュー本文を脚一万文字で埋めても問題はないくらいには病的な作品である。おそらく作者は一万文字の脚の字に五千人の美脚美女を妄想しモリモリと湧き上がる執筆意欲を抑えられず寝食を忘れ執筆と脚フェチに耽り、タイツの脚に挟まれ窒息するように息絶えるのではなかろうか。その貌は、清々しいまでの笑顔であった。
一石楠耳、完。
いやここで倒れるな。剣脚商売を書き上げろ。このまま誘蛾灯のごとく引力を放ち、一石楠耳を倒すさらなる脚フェチが現れ、そしてそのものに倒されろ。倒した者が次の一石楠耳を名乗るのだ。こうして一石楠耳の名は脚フェチ文学の金字塔として後世まで語り継がれるのであった。
一石楠耳、完。
倒れるな一石。お前には二本の脚が、そして脳内に無限の脚があるではないか。立ち上がれ。大地を踏みしめ立つんだ。脳内の脚は一度に出すと健康に悪いし、感染者もちらほらと現れている。いいぞもっとやれ。健康に悪い?ああそう言ったさ。そのうえでもっとやれ。もう健康じゃない、病気ではないか。その症例が、この「剣脚商売」である。
一石楠耳、完。
あ、ごめん、特に死んでないのにリズムだけで完うさせちゃった。大丈夫大丈夫、死んだくらいじゃこの病気は治らない。夜な夜な一石家の墓から何本もの脚がにょきにょきと生えてきて新たな脚フェチがふらふらと迷い込むだろう。そしてその者が次の一石楠耳を名乗るのだ。こうして一石楠耳の名は脚フェチ文学の金字…あれ?これ前にも書いた気がするぞ?デジャヴか?
さ、そろそろ真面目に作品紹介をしないと、カクヨムの運営から怒られる。一石楠耳が。
「あの小説は厄介なレビューばかり集めて困る」
「もう脚フェチだけの小説サイト作ってそこに隔離しましょうか」
「脚読むでカクヨムって名前はどうでしょう?」
「いいね、それ!」
「賛成!」
って感じで無為に時間を過ごすことになる。
無為な時間の何が悪い。死ぬまでの暇つぶしやってんだ、馬鹿な考えも湧いてくるってもんだ。人間は考える脚だからな。む、いかん。脚の病気が感染したか。脚じゃない、脚だ。あれ?脚。あれ?脚。おかしい、脚にしか変換できないぞ。おい、この小説ウイルス仕込まれてないか?表示するとP脚Cに不具合が脚発生し脚て、勝手に脚脚脚って文字脚が脚入力脚さ脚脚脚脚れ脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚る脚脚脚脚。脚脚脚脚脚お脚脚脚脚脚脚脚脚い!脚脚脚脚脚脚や脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚め脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚ろ脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚脚!!!!
はっ!脚か!違う、夢か!
一石楠耳、完。
ごめん、もうリズムとか関係なく面白いから殺しちゃった。いいよね、サービスして脚って文字いっぱい出したんだし。こっちが口汚く罵ったつもりで「この脚フェチ作家!」「病人!」「猫の世話大変だね!」「前世は脚!」とか言っても、この人には全部褒め言葉に聞こえるから、みんなも好きなだけ脚フェチ罵倒大会を開催するといいと思うよ。多分言われれば言われるほど剣脚商売がなんかおかしなことになっていくから。
本当にそろそろ真面目に小説の内容に触れないと、駄文とはいえコレだけ長く垂れ流したものが削除されかねない。これどっかに保存しておこうかな。レビュー書いたことある人だとわかると思うんだけど、これ書いてる入力フォームのすぐ右に書いてあるのよね。
「不適切な投稿を控えてください」
「作者やユーザーへの誹謗中傷」
「小説と関係ない内容」
いやいやいやいや、待ってくれ、もしこのレビューが削除された時は、カクヨムの運営は剣脚商売の本編を読んでいないことの証明になる。ここまで多分だいたい千とちょっとくらいか?その文字数かけて書いてきたことは、作者への誹謗中傷でもなければ、小説と関係ない内容でもない。ま、レビューとして機能しているかどうかは疑わしいが。レビューってなんだ?小説の推薦か。推薦ねえ。
このレビューを読んで剣脚商売を読みたくなったという人がいたら、うん、まあ多分あんたにはこの小説向いてると思うよ。しかし剣脚商売本文を読まずにここまで読み進めてきたとしたら、ホントどういう気持ちだった?
「おっ、なんかレビューされてる小説があるな。えっ、10話もあるの?とりあえずレビューを読んでから読むかどうか決めてみるか」
なんて思ってここを開いて置いてある駄文がこれだよ。レビューのフリした馬鹿文章。それをここまで読むくらいだったらさっさと本文読んでおいで。
…。
読んできた?3月3日の時点で全10話。まあ2~3話くらいでもいいわ。読んできた?
どうよこれ。このレビューっぽい駄文はだいたいにおいて正鵠を射ていると伝わったと思うんだ。小説が面白い。しかしそのビヨンドに見え隠れする一石楠耳が、いや見え隠れじゃねえな、この地の文、これ一石楠耳が活弁士として声を張り上げてるんだわ。他のレビュアーも言ってるけど、声に出して読みたい日本語だよ。はい一緒に声に出してみよう。さん、はい。
「その装い、実にガーリー!」
ガーリーさの欠片も感じさせない口調でガーリーと言われましても。あなた脳天からドクドク出血しながら「いやー危ないところだった」って言ってるようなもんだよ。あれ?この例えは違うな。
言葉の勢い。この小説からは言葉の勢いが迸っている。奔流だ。全力ダッシュだ。全力ダッシュをガチで決めるのに必要な力、そうそれは「脚力」だ。小説は筆力で書くなんて誰が決めた?脚力で書かれた小説があってもいいじゃないか。
あ、いや、あっていいかどうかは各々で決めてもらって構わないが、とりあえず脚力で書かれたと思われる小説がすでにここにある事実を受け止めよう。受け止めた後は捨てても構わない。この小説の中では、脚を中心に世界が回っている。いや、世界は脚だ。
脳内に無限に脚が生えてくる奇病の作家だ。脚力をこうやって定期的に発散させてやる必要があるのだ。そうしないと本業の猫の世話係と兼務している文筆業に差し障る。本業が文筆業ならこっちは分泌業だ。脳から脚の味がする汁をドバドバ分泌させてるんだ。脚の味ってどんな味?知らんよ。多分舐めたことがあるだろうから一石楠耳に聞いておくれ。
一石楠耳、完。
いや、そろそろ天丼出しても良い頃合いかなと思って書いてみただけ。
いや、この小説を一話書くごとに、一石楠耳が完うされていると言ってもいいだろう。そりゃもう完うされてる。完ってる。完べまくりだ。完ほまってる。完まかしい。もう何て読むのか書いてる自身もわかっていない。細かいことは良いんだよ。
そう、細かいことは良いんだ。
どこがどうガーリーなのか、そんな説明が必要か。千人が読めば千のガーリーがある。各々がガーリーを脳内に展開しろ、そういう命令なのだ。
脚にピッタリしたものを装着した美脚で斬れる理由がわからん?理由がわかって何の得がある?多分理由がわかった時はもう感染が完了してるぞ。それを得と思うかどうかは各人の判断に委ねよう。
とにかく一石楠耳は脚にピッタリしたものを装着した美脚が書きたいのだ。そしてそれらが脚光を浴び輝いている世界を書きたいのだ。いや、書いている。事実は脚色され、物語は脚本となる。ほら、虚構の世界はやっぱり脚なんだよ。脚力なんだよ。
そろそろ二千文字くらいかな。あと八千文字ほど脚の字を並べて、四千人の美脚美女を一石楠耳に見せてやってもいいが、その必要はあるまいよ。もう彼の世界は美脚で満ちている。ちょいちょい「俺に美脚が与えられるのはいつなんだ」とか言ってるけど、ありゃ嘘だ。もう何を見ても美脚に見えてることだろう。
そうでもなけりゃ、こんな小説書けねえ。健常者に書ける生半可な小説と思うなかれ。
さて、もし本編を読まずにここまで読んできた人がいるというなら、まあ犬にでも噛まれたと思ってくださいな。犬に噛まれた脚でこのインターネットを歩くのは大変でしょう。傷が癒えるまで、ここで読んで行くといい。剣脚商売を。
というか本編を読まずによくここまで読もうって気になったね。その時間を使って剣脚商売を読めばよかったのに。こんな駄文と違って脚力みなぎるダッシュでズバッと一気に読ませてくれるよ。
活字の高速道路だ。活字のアイスバーンだ。タイヤにはチェーンを、そして脚にはストッキングを。安全運転で脚長町を駆け抜けて下さい。ほんと、駆け抜ける気がなくても、気が付いたら駆け抜けてるよ。読者にまで脚力が賦与される、いやこれも感染と言うべきだろうか。
とにかく剣脚商売を楽しまれたし。最初にこの小説を「病」と呼んだ私も、あなたがこの脚をケレンで煮しめたかの如き小説を楽しむことを期待している。
一石楠耳、完。
ねえ、もう、勘弁してくだせえよ。
バカは休み休み言えってな言葉がありますが、この物語はいっぺんも休む暇なくずっとバカなもんで、バカな状態が普通になっちまうんでさあ。
もう、オイラどっちがバカなのかわかんなくなっちゃったよ。
しかしこのとんでもねえ世界観をきっちり描くテンポと勢いというのはもう、さらにとんでもねえ。
読んでるだけで頭の中に活弁士が出てくるってえ寸法よ。
そして特筆すべきはやはりそのセンスあふれるネーミング!
やれ雑魚場レギンだ、やれ歯牙直哉我だ、またもやどうにかなっちまいそうなくらい頭に残っちまう。
各話のラストに次回予告が入るのも親切すぎて涙が出てくらあ。
おっ、そろそろ追手の脚音がちかづいてきたようで。脚がつく前にひと脚はやくあっしは失礼いたしやす。
真っ先に思ったのは、「この著者、頭おかしい(ほめ言葉)」だった。
独特のリズム感と間合いでもってして舞台を作り出し、読者を世界へ引きずり込む。
そして、バトルへ流れ込むや否や、飛び交う超理論。
まったくもって尋常ならざる理論を、読者が考える間を与えずに畳みかけ、物語内の常識を刷り込ませるという力技。
思わず一度は「なるほど…」などと納得してしまう。
そして一息ついてから「そんなわけあるか!」と突っ込んでしまう。
完全に著者の思うツボだ。
そんな雰囲気の中で、魅力的な登場人物が次々に現れるのは著者の嗜好のなせる業なのだろう。
いや、登場人物について多くを語らぬスタイルが、読者に好き勝手想像させるからこそさらに魅力的に映るのかもしれない。
しかし、履物についてはこれでもかと強調するあたりが、やはり業なのだろう。
ストーリーがどのように着地するのか、非常に楽しみである。