去る三月二十九日に、山本弘氏が六十八歳で亡くなったとのこと。なんだか近年、この年齢層の作家とかアーティストとかが次々に鬼籍入りしてるような気がする。七十代、八十代はむしろ元気ってイメージがあるんですが……いやまあ、順番を守れとかそういうことを言ってるんじゃないんですが……どうなってるんだろう? とにかく、ひたすらにご冥福をお祈りするのみです。
山本弘氏といえば、世間的にはまずSF作家と呼ばれる方なんですが、湾多自身が実際にその存在を知ったのは、TPRGに興味を持った時期にとりあえずの参考書として買った、ドラゴンノベルズのソード・ワールドRPGシリーズの作者として、ですね。その次が、どこかで読んだ「空想科学読本」の批判本。
山本氏のSF自体は、実のところあんまり読んでなくて、短編アンソロジーで何作か目にした程度。とはいえ、注目はしていたのです。確かSFマガジンの中での記事だったと思うんですが、とてもユニークな主張をなさっておいででした。いわく、「アンドロイドやAIが人間のように感情を持つとか愛を自覚するとか、あり得ない」「機械知性は機械知性の世界認識をするのだから、人間の似姿としてのキャラに描くのはいいかげん止めたほうがいい」(以上、湾多の記憶の中から解釈したのをかなりアバウトに再構築)。
正直、その頃の湾多は(実は今もそうなんですが)、ロボットが流すはずのない涙を流すとか、論理思考の果てに"愛"を認識したとかの、よろめきドラマのごときアニメだのドラマだのにちょっと辟易してましたんで、山本氏の主張に「そうそう、それだよそれっ」と食いついた記憶があります w。同時に、うん、この人の作品はこれからしっかりチェックしていかなきゃ、などと、深く意識に刻んだものでしたが――
すみません、結局氏の作品はその後ほとんど読めてません。本来なら、彼の機械知性に対するアプローチなど、具体的な作品を挙げて創作論にアップするとかやるべきなんでしょうけど……誰かやってくれないかな。追悼特集ってことで。
それにしても、繰り返しますけれど、六十代の有名どころがここ数年で急にバタバタ亡くなってるというのはどうしたことでしょう。……いや、説明はできるんですよ。小説にしろ、音楽にしろ、その他芸能人にしろ、高度成長期を経て急に層が厚くなって実力派が充実してきたのって、まさに今の六十代の人らが二十代で活躍してた時期でしたからね。その上の代よりはスター的存在の数が多いし、数が多ければ若死にする人も一定数出てくるし、ということで、早めに暇をもらった人達が河を渡っていってるんだろうな、と。
とはいえ、正直、これだけ葬式ラッシュが続くと、いささか戸惑いますね。影響力のあるアーティストが亡くなるということは、その分野の一つの時代が終わったことでもあるはずなんですが、なんだかそういう功績の再評価みたいな総括ができている気が全然しない……巷でも、自分自身も。
なんというか、新作が出なくなって消息を聞かなくなって、「ああ、そういえばあの作家さんはもういないんだった」で流して終わり、にしてしまってるような印象があります。
もっとも、著名人の訃報が相次いでるのは文芸分野に限らないし、世間的には一人一人のアーティストの足跡をしっかり辿って検証してその存在を惜しんで……などというルーティーンをこなしてる余裕がないのかも知れない。そういう意味では、慌しい時勢になってきたなあという気がしますね。
まあとにかくそういうわけで、何が言いたいかというと……あんまり追悼とかと必ずしも結びつかない話ですが……「お、この作家は!?」と思ったら、その気分のうちに一気に図書館なりに走って何冊も読んでいかないと、結局読まないことと同じなんだなと(当たり前ですが)。ぶっちゃけ、ここのノートでも「お悔やみ申し上げます」とか書いてるだけで、その後何もできないままで終わってるのがもう……何人目だっけ? w
作家さんの追悼とかだけじゃなくて、いろんな活動のあれこれでも、ほんとに時流についていけない気が最近はひしひしと。今現在が令和六年の四月ってことからして、信じられません。この際ちょっと、次元のエアポケットとかにこもって、溜めてる本とかWebタイトルとか原稿書きとか、ぱーっと処理してしまいたい気分なんですが……どこかにありませんかね、時間が止まってる扱いになってる閉鎖空間の通用口とか? まあでも、あったとしたら順番待ちがすごいんだろうな。あまり利用の意味がないぐらいに。