ですが昨晩、まさかの寝落ち。
昨日帰宅してから「さあ描くぞ」という時に話好きの知人から電話がありました。
最初、無視しました。
ですがその後のLINEで、
〝家の電気ついてるの見たんだけど〟
と送られて来ました。
観念して電話に出ると予想通りの長電話。
しかもくだらない話をぐだぐだと。
結果、電話しながら僕は意識を失っておりました。その間に観た夢は「覚えてません」。
なんつって。
目が覚めてから急いで描いた為、四章はかなり短くなったとさ。
それでも、考えていた結末は描いたので、望む人が居たならば描き足すかもしれません。
と、いう事で無事完結!
お疲れ様でした!
https://kakuyomu.jp/works/16817330657239944466 デスゲームというモノを調べていた時に僕は「なぜ流行ったのだろう」と思いました。
正確には「なぜ流行るのだろう」ですが。いつの時代にもそれらしき創作物は一定数存在します。
んで、僕はそれをどう解釈したのか。
なんだと思います?
書いた方が良いですかね?
書きます。それは——。
世の中皆平等に「一寸先は闇」であり、「皆それを怖がっている」からです。
自分の行く末もわからなければ、他人の行く末もわからない。だからこそ怖い、のです。
例えば多くの人は「安定」を求めますよね。
安定してお金を稼ぎたい。だから「確実に稼げます!」なんて言葉にうっかり騙される。騙されない人達もそれはそれで「そんな調子の良いことあるわけない」と、それをやると「どうなるかわからないから」否定します。
両者とも、未来を怖がっております。
慎重な人と、僕の様な楽天家も比べてみましょう。
慎重な人は「何が起こるかわからないからなるべく確率の高そうな物事を選ぼう」みたいな事を考えたり「わざと悪い状況を想定しそれを比べ、マシな方を選択する」的な感じだと思います。
楽天的な人はどうなのか。「わからない事を考えても無駄無駄。なんとかなるさ」と怖い未来を見ない様にしたり「結局何をやってもなる様にしかならないから」と、確実でわかりやすい未来だけを想像して開き直ったりします。
ちなみに物事をデータで予測するタイプの人は慎重な人と楽天的な人の両方の特性を持ってます。「わかりやすくて想像しやすい未来を増やそう」という考え方ですね。
上の例ではわかりにくい人の為に、WEB小説で語りましょう。
どんな作品が読まれやすいか、には読者の方々の「無言の本音」が表れてます。
長いタイトルに「あらすじを端的に書いてある」作品、僕が言うまでもなく読まれやすいですよね。タイトルだけで未来を予測しやすいので、そうじゃない作品と比べて「怖くない」のです。
タイトルが短くても作品の説明欄で「世界観、設定、登場人物、物語中盤までの内容が事細かく書かれてる作品」も読まれやすいです。
初めに感じたイメージを裏切られたり、改めざるを得ない状況が少ないので。
「今こういう作品を読みたい!」のニーズに応える為にその様な感じになっていると考えます。
「今こういう作品を読みたいけど、この作品はどうなんだろう」という不安を極力削る、という事ですね。
エピソードタイトルが一話一話についてる作品や章立てがきちんとされている作品も「盛り上がる部分はどこなのか」「この話はどういう内容なのか」を想像しやすくしてあります。
タグも同じ。
「美少女」というタグがついてればそりゃあ美少女が出てくるだろうし「異能バトル」というタグがついてれば「異能力を持った人達が戦う未来」を想像しやすかったりします。
世の中、あらゆるモノが簡略化されてます。昔は難しかった事でも「誰にでもできそうなノウハウ」が氾濫してたりします。或いは「カテゴリーそのものがちょっと頑張れば誰にでもできる簡単なモノ」に変化していたり。
これは美容師をやっていた時に感じていた事なんですが、流行する髪型がだんだんシンプルでカンタンになっていました。
昔はちゃんとブローしたりスタイリングしないと良い感じに見えない髪型も多かったし、シンプルにばつん、と切った髪型でも技量のある人が切らないと内に入らないでハネたり、前や後ろに毛髪が流れすぎたり、みたいな髪型が多かった様に感じます。
ぶっちゃけ今流行ってる髪型は素人でも練習すれば切れるし、ちゃんと切られてなくてもコテとかアイロンを使って自分で簡単に再現できます。
話がだいぶ逸れました。
簡単なモノとは、結果が予測しやすいモノ。
予測しにくい、わかりにくいモノは、多くの人に避けられるのです。
ですが、敢えて怖いモノを見たがる人達がいます。それが、ホラー好き。
ゾンビが出てくる映画では当たり前なんですけど人間がゾンビに食べられます。後は「安全地帯では人間同士で争う」みたいなのも多いです。
どちらも簡単で想像しやすい未来なんですけど、「怖い結果が確約されている」ので、皆んなそれを観たいのですね。
デスゲームも、「デスゲーム」という言葉の中に「デス」という言葉が含まれます。「誰か死ぬ」という事が約束されています。
だからホラーが流行るのでしょう。
でもそれって「怖い」ですか?
登場人物達に起こる「怖い未来」に納得した上で観ているモノって怖くないんですよね。僕的に。脳汁が出ません。
グロとかに耐性がある人もそうなのでは?
データとして「人間の血や内臓が露出しているのは、人間の内部が見えているだけ」という事実を知ってしまっている為、ただ当たり前のモノを見ているだけなのです。
ただし、自分がそういう状況になると話は別。
手足を欠損とかすると、生きにくい未来が待っています。「そんな事ないよ。それでも幸せな人はいる」なんて言われても、「そんな事は起きてみないとわからない」ので、凄く怖かったりします。
連続殺人犯、みたいな人も同じかも。
例えば大量殺人をする人は、「自分の能力を誇示したい人」が多いです。少ない時間でどれだけできるか、的な。後は感情を爆発させたい人とかも。
連続殺人はちょっと違うんですね。
ところで皆さんの中に「自分の考えてる事がわからない人」はいますでしょうか。あ、言語化できるかできないかは関係なくて、漠然としたモノで構いません。
いない、ですよね。
じゃあ他人の考えてる事がわかる人、どれだけいるのでしょう。
大抵の人は「わかってるつもり」なんですけど、本当にそうであるか「わからないという事実」を無視できない人達もいます。
でも、自分と他人、には必ず共通するモノがあります。「人間である事」です。
他人の死を見る事で「人間が死ぬ生き物」である事を実感して間接的に「自分の死」も想像できます。
後は「自分は傷つくと血が出る。他人も傷つくと血が出る。自分も他人も同じだ」と安心する人もいるかもしれません。
「自分は否定されると苦しい」から「他人の命を否定する」と、「自分と他人が同じになる」みたいな実感を持つ人もいるのかも。
考えればキリがありませんが、要するに、「皆んなわからないモノ」が怖いのだと考えます。
それを作品にしてみました。
だからエピソードタイトルを振っていません。
タイトルも短い。
構成も、意味がわからない感じにしました。
読んだ人がどう感じるか。
不快感。
それに尽きると思います。
もしそれ以外を感じて貰えたならば、僕はとってもゾクゾクします❣️
終わり。