まず初めに、僕が持つ俳句や短歌や川柳に関する知識はとても浅いです。俳句や短歌は学校で習う様なものしか知らないし、川柳に至っては何かの雑誌に投稿された「仕事の愚痴川柳」みたいなのしか読んだ事ありません。
ですが、それらを思い出してみると、なんか思う事があります。
——僕が良く知るアレに似ている。
そう感じました。
まず、俳句、短歌、川柳はどういうものなのかを分析してみましょう。
シンプルに書くと「独自のルールの中で人々に感動を与える詩」「又はコンテストなどで競い合う事もあるスポーツ」と云えるでしょう。
もうこの時点でアレ、です。
でももうちょっとだけ書かせて欲しい。
これらが持つ代表的な要素は、五 • 七 • 五、或いは五 • 七 • 五 • 七 • 七の様な「リズムで言葉を耳に心地よく聴かせる」という要素。ふふ。
内容は随筆をかなり簡略化させたものなんですが、「短い言葉の中に色んな意味を持たせて聴いた人にブッ刺す」という要素もあります。
このブッ刺すには二通りあり、「それを嗜む人には言葉選びやテクニックでわからせる」「嗜まない多くの人にもなんらかのイメージを与える」ってな感じ。
後者を具体的に書くと「俺はこういうモノを観た。だが敢えてこの言葉達をピックアップした理由があんたにわかるかい? あんたはこの句を読んでどう感じる?」じゃないですかね?
口が悪い?
すみません、僕が持つイメージに寄せてます。
んで、先程僕は「ルール」と書きましたが正確には「マナー」であります。
例えば季語。
俳句はこれを入れないと川柳になるとされますが、「季節を感じさせる説得力さえあれば何を使ってもオッケー」というモノ。
それが優れていれば「良い句」と評価され、伝わらなければ「良くない句」と評価されるだけであります。「悪い句」としない所がまた絶妙ですよね。
何日か前に僕は近況ノートでカマドウマというキモい虫の事を書きました。
実はアレが季語になっている句も存在します。教科書に載るレベルの句です。
まだ多くの家庭に竈門(昔のキッチン)があった時代、夏から初秋にかけてカマドウマはそこによく出没していたそうです。だからこそ季語に使える。
更にカマドウマは暑い地方では年がら年中観る事ができますが、寒冷地では上記した季節で活動するので、読む人が読めば一言で「どの地方で詠んだ句」なのかもわかっちゃいます。
まぁ昔は今よりも寒かったらしいので、家庭で観る代表的な夏虫だったのかも知れませんが。
要するに、かなり優れた季語、と云えるでしょう。
ちなみに、現代の僕らがそれを読み解くのにはかなりのインテリジェンスを要求されちゃうし、知らない人は「なんでカマドウマ?」ってなるでしょう。でも、もしその句を読んだならば「何か風情を感じる」こと請け合いです。
ね? やっぱりアレに似てるでしょう?
更にそういった優れた季語や、後はそう——枕詞も大元を辿れば似た様なもんですかね? そういうモノを後世の人が「引用して自分の句に組み込む」こともあります。
つまり、サンプリング、です。ふふふ。
季語以外のマナーだとさっき書いた「五 • 七 • 五、或いは五 • 七 • 五 • 七 • 七というリズムと文字数」です。これ、別に完璧に守らなきゃいけないわけでもなく字余りとか字足らずとか、後は文字数自体は合ってるけどリズムを絶妙に崩したりなど、それなりに自由です。
それがその句の個性だったり強みになったりするから面白い。普通に詠むよりも感動を与えやすくなったりします。
極端な例で云うと、僕の同級生。
彼は「スイカの 中身は 赤だよね!?」という極端に文字数の少ない俳句を詠みました。
僕のツボにハマりました。笑
皆んな真面目に俳句を作ってるのに、一人だけそんなメチャクチャな句を詠んだワケですから。
でも「ああ、確かに美味しいスイカは鮮やかに熟してるよなぁ」と夏を感じる事ができました。
そしてこの句がツボに入ったのは僕だけではなかった様で、なんとその句はちゃっかり「銅賞」を貰ってました。ズルいんですけど「詠んだもん勝ち」です。
見事に皆んなのバイブスをアゲる事に成功したのですから。
結論!
やっぱり俳句、短歌、川柳は、アレに似てる❣️
終わり。