東京や神奈川でも、蛍の見れる場所があるそうです。
何年前だったか、横浜のこども自然公園で恋人と蛍を見ました。
ほんの数年前のつもりで書いてみたものの、
よくよく考えてみると8年近く前のことで、
これまた時の流れの早いことはやいこと……。
人は闇を恐れます。
ゆえに、光を求めます。
見えないというのは、とても怖いから。
夜というのは、不安になるから。
そうして世界は光でいっぱいになったわけです。
なのになぜか、暗い場所に、あわい光を求めて出向くのです。
不思議。
来月、たくさん有給を取りました。
契約が切れるかもしれないので、
今使える有給をフルで使い切りました。
そのため、たくさん時間があるのです。
淡い光、探しに行こうかなと思案中。
星を見に行きたいのです。
プラネタリウムなどにはしばしば行くものの、
夜の星をしばらく見ていないのです。
最後に見たのはコロナの初期、
在宅勤務に切り替わって、生活リズムが乱れ、
なぜか毎日2時とか3時に起きていたころがありました。
その頃に何度か近所を徘徊して、
公園に寝そべって空を見た記憶があります。
早朝の星空は季節の星とはかなりずれているので、
とても不思議な感覚でした。
そうしてしばらくじっと見ていると、
確かに星が動いている(地球が回っている)のを感じました。
そうしてはじめて星を見るようになったのはいつだろう。
思い返してみると、小学生の頃だったように思います。
私は不良少年でした。
家にほとんど誰もいなかったので、
夜の七時や八時に帰ることも珍しくありませんでした。
時には親に家を追い出され、
近所の公園のベンチでひとり、
10時頃まで座っていることもありました。
(今の時代じゃ考えられないことですね……。
そんな時に、理科で習った星を空に探しました。
ない。じっと探す。じっと見つめる。
そのうち、建物の影から星があらわれる。
確かについさっきまでそこに星などなかったはずなのに、
いつのまにかひょっこり顔を出す。
一時間、二時間。そうして夜の公園で、ひとり。
今思うと、夜に星を探すあの時間は、
私にとってかけがえのないものでした。
静かに、テレビやゲームから離れ、本もなければ友達もいない。
観想的生活を小学生にして実践していたのかもな、とか。大袈裟ですが。
今宵も街は明るく、光に満ちみちています。
星もなければ蛍もいません。騒々しい。
誰もいない静かな暗闇のなかで、ただ思索に耽る。
私に限らず、そうした時間がきっと、人には必要なのでしょうね。
疲れた。今日はぐっすり眠れそうです。おやすみなさい。
更新
『余白。言葉。なにを埋めようとしているのか。』
https://kakuyomu.jp/works/16817330651692273760/episodes/16817330657143284822