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朝です。

電車に乗っています。

本当はこんなにはやい時間の電車でなくても間に合うのですが、

目覚ましよりも早く起きたので、

今日はいつもより早く家を出ました。


朝の電車は静かです。

それなりに人は乗っているのですが、

聞こえてくるのは、私のキーボードをタイプする音と、

電車の軋み、遠くの席で話す人の外国の言葉くらい。


土曜日の朝。静かな朝。

私以外の人々もまた、

仕事に向かうのかもしれません。

あるいは、昨日が終わらない人々もいるのかもしれません。

それでも、朝は束の間の慰み。


どうやら、私は朝が好きなようです。

そして春が、夏が好きなようです。

太陽によって心の状態が大きく左右される。

晴れた、暖かい日の、長い太陽が好きなのです。

日に焼けても、汗をかいても、好きなのです。


だから、今はいたって健康。

心身ともにすこぶる健康なのですが、

最近気づいたのは、

私は思考が健康ではないのです。


死を常に意識している。

いつか死ぬ私を前提に、私の意味を問う。

人との関係性を考える。

意味を評価する。価値をはかろうとする。

倫理や道徳について考える。

宗教や道徳の問題で、小説でよく描かれる問題、

それは、無垢である子供の、罪なき子供の苦しみについて。

世界で大きな戦争が起こっている今、

そうしたことを想像するのは容易く、

そこにある倫理的、道徳的矛盾を考えてみるのもまた容易いものの、

生きている日常との乖離や、現実性や想像力の欠如が、

さらなる思考を私に求めてきます。

善について、正しさについて、なすべきこと、あるべき姿。


となれば、思考は常にぎりぎりの、

答えのない問題へと繰り返し衝突します。

絶え間ない衝突。答えの出ない循環。ぐるぐるぐるぐる。


いつまでも同じ場所をぐるぐると回っていることになんの意味もない。

私たちは目の前の小さな問題を一つずつ解決していくしかない。

さらに大きな道徳的問題、人間の倫理的な問題を解決する力など、

そもそも私にはない。

だから、そんなことは考えなくてもいいし、考えるべきではないのだけれど、

常に考えてしまうし、

結局はそこが私の生と深く結びついているようにも思うのです。



私はおそらく、文学に救われました。

もちろん、小説の力だけで人の生き方がまるまる変わるなんてことはないと思います。

それでも私は、文学に、言葉に救われたといいたいです。

どの一冊、というのは難しいですが……

暗い底から見上げた小さな空に輝く、

小さな星のようなものだったのです。


私はきっと、そういうものが書きたいのでしょう。

誰かにとってのなにかになるもの。

一瞬でいい、ほんの束の間の安息でもいい、

今朝の清々しい空気のような、

誰かにとっての癒しを書きたいのだろう、と。



毎度まとまりのない文。


近況ノートはともかくとして、

これから小説や詩をアップするときは、

もう少し時間をかけて確認してからにしようと思います。

ここ数ヶ月の誤字誤変換があまりにひどい。

それにともない、今のところ半端のままになっている作品も一度閉じようかな、と考え中。

今、習作として書きたいと思っているものが一つあるので。

ゆっくり書いてアップしようかな。



と、その前に、まずは公募に送る作品。

次に、送ったけど結果の出なかった作品の掲載。

さらに、次に送る作品の準備。

このあたりもやっていかなければなりません。


あああ、すべきことがいっぱい。

でも、今日は手が動く。

動く時に書かないと。

まあ、とはいえこれから仕事なのですけれども……。

(しかも、上に挙げたものではなく、なぜか詩を書いているという……。






くそどうでもいいのですが、最近よくカラスに襲われます。

みなさん、おはようございます! よい一日を!!

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