①最近はめっきり、SNSを使う気にならなくなっている。
僕の思索は完成されているわけでないから、必然文章化する時には何段ものブラッシュアップをしたいという欲求が発生する、その結果文言に対しての取り扱いが慎重になって、結果SNSで発信しなくてもいいか、という結論に達してしまう。
もっと軽やかに考えればよいのだが、文章というかたまりには錘を下ろす重みが必要だという、どこから来たかわからない思想があって、何かを議論したり語る場合には短文ではなくかたまりが要求されるから、SNSのことばの、良く言えば簡便さに、悪く言えば安易さについていくことが辛くなってしまう。
これはことば単体ではなく思索それそのものにも現れ、最近目についてしまったもので言えば思いついたはしから口にするような知性だとか、よくも調べないうちの非難だとか、明らかな読解力不足から来るコミュニケーション上の齟齬だとか、うんざり、げんなりしたりする。
僕がtwitterをはじめた理由としては、ひとつにはまったく広報され得ない自作について、多少なりとも読者へアプローチすること、もうひとつには思索の一部を公開することによる、読者諸氏が読み解くためのヒント、手助けとしてである。
自分自身が気になった作家を調べて、そこで思想や考え方に触れられると面白く、読みをさらに深められるという経験から来たものだが、twitterでは語る行為が切り取られるし、無意味に論争化するリスクのほうが高いということもあるし、「語るべきこと」は作中で十分かな、という気持ちにもなりつつある。
……以上、もろもろ更新頻度下がりますよ、という言い訳。
個別に連絡いただく分には楽しく話せるのですけどね。
②1月13日
1月13日はTRFのSAMさんの誕生日だそうだ。僕も一番長く付き合ってきている日にもかかわらず知らなかった。
わかりやすく無粋な言い方をすれば、僕も1月13日生まれである。
僕の記憶にある同日生まれは、プロ野球選手では松原誠(大洋→巨人。名球会入りを果たしている)、鈴木健(西武→ヤクルト)、大塚晶文(近鉄等。第一回WBCの胴上げ投手)、ケビン・ミッチェル(ダイエーホークス等)が有名だ。大学で野球を続けていれば、あるいはプロ野球選手となる星の下に生まれていたのかもしれない(?)。
作家・文筆業では阿刀田高先生、涼元悠一先生。
阿刀田先生について語るとそれだけで1回分になってしまうので、ここは若かりし時に影響を受けた涼元先生の話を少ししたいと思う。
最初にお名前を意識したのは『涼元悠一のシナリオ作成技法』というハウツー本で、僕は高校時代にこれを読み込んでゲームシナリオの基礎を学んだ。当時完全に素人の自分としてはエンタメの見せ方を学び、今の骨子となっている――もっとも、これはよくも悪くもというところで、思想的には文学へ向かうべきものもエンタメ的見せ方を意識してしまう。そういう時はフラットに書きたいのだが。
その後例として解説にあった『AIR』『CLANNAD』に触れ、演出や文言の意図を腹に入れ、ゲームシナリオの見方をこじらせていき、大学卒業間近某ゲーム会社へちょっとだけ潜り込み――その後公募に向かっていくことになってしまう、のだが。
その話はまた、別のおはなしで。