どうも、坂神です。
先週の『ラブライブ・サンシャイン』を見直していると、思いのほか庶民感溢れる梨子ちゃんのパジャマ姿に興奮を抑え切れない今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
ピアノとか得意だしもっとお嬢様かと思ったら、桜内家はわりと普通っぽいご家庭ですよね……むしろ旅館経営してる千歌ちゃんの家の方がお金持ちなんじゃないだろうか。千歌ちゃんの部屋、なにげにメンバー複数で押し掛けてもスペースに余裕あるのって、かなり広くないですか?
と、いつものイントロはさておき。
最近は~……あんまり執筆の進捗状況がよろしくないですなあ。
ていうかプロットすら完成してないっていう。
だからって読書がはかどってるわけでもないんですがね(白目)。
まあ、やっぱりですね、カクヨムに投稿されてる小説、面白いやつが沢山あるじゃないですか?
そういうのを色々読んでると、新作の作業してても「ああ~なんかコレじゃ物足りないなあ~」と感じちゃって、そこで頓挫しちゃうんですね。
何か根本的なところで色々と良くない気がしてならないんだよなー。
■最近の読書■
○さがら総『さびしがりやのロリフェラトゥ』○
さて今週の本は、アニメ化もされたヒット作『変態王子と笑わない猫。』で有名なさがら先生のラノベ。
これも随分前に発売された本ですが、ずっと気になっててようやく読みました。
ざっくりした内容としては、現代ファンタジーというか、少し不思議系ストーリー……あるいは軽めの伝奇物というのが一番しっくり来るかも。
ちなみに「ロリフェラトゥ」というのは、察しの良い方ならピンと来るでしょうが、吸血鬼を表す「ノスフェラトゥ」とロリキャラのロリがミックスされた造語(本文中では「ロンリーなノスフェラトゥ」だから、という記述もありますが)。
そのタイトル通り、ロリロリとした可愛らしい吸血鬼ヒロインを巡る物語です。
で、わりと独特のテイストがある作品なのですが、最大の特徴は「一本のメインストーリーが複数のキャラクターの視点から語られる」という物語構造でしょう。
ミステリ小説でもしばしば叙述トリックなどに用いられる手法ではありますが、『ロリフェラトゥ』ではこのギミックを活かしながら「主観の違いは認識の違いである」ということをテーマにエピソードが綴られていきます。
同じ出来事でも、見ている人間が違えば、そこに抱く印象もまったく違っている。
それが物語上の妙味になっていて、色々と読み手として考えさせられるわけです。
立場や環境が違えば価値観は違うし、世の中は結局「みんな自分の見たものを、自分が見たい姿でしか認識しようとしない」なんてよく言いますけど、そういう食い違いが巧みに描写されているんですよね。
最初の章で登場したキャラを「ああ、この子はこういう人間なんだな」と思って読み進め、次の章で同じキャラを別視点の主人公として読むと「何だよ、こいつって実はこんなヤツだったのかよ!?」みたいな感じでビビらされたり(笑)。
そうした仕掛けが素晴らしいのです。
それにしても、異なる感性を認め合うこと、これは本当に難しい。
巨乳派と貧乳派、ニーソ派と黒タイツ派、セーラー派とブレザー派、ポニテ派とツインテ派、姉派と妹派、幼馴染派と委員長派、黒髪・金髪・銀髪・ピンク髪といった属性毎の対立は、きっと未来永劫果てなく続いていくのでしょう。
ああ、なぜ人は異なる性癖で争わねばならないのか。
むしろ私は、「強気で多少融通の利かない真面目そうな女の子が、突如異性から好きだと告白されて赤面狼狽する姿」の素晴らしさを全世界に広めたい!(ぇ)
などと、毎度ながら以上のような調子でお送りしましたが、前回の近況ノート以後、拙作をお読み頂き、レビューや評点をお寄せくださった皆様には、心から御礼申し上げます。
そう言えば、今って夏コミ真っ最中なんですよね。
カクヨムユーザーの皆さんの中にどれぐらい参加予定の方がおられるかはわからないのですが、もし有明に行かれるようでしたら是非楽しんできてください。
不参加だけど開催期間が終了したら、同人ショップで梨子ちゃんの薄い本を探してみようかなーと考えている坂神でした!