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subject ≠ 


カントが、敢えて埋めなかった「世界」と「私」の間を
現象学が取り持ち、

「私の知覚している世界しか存在しない(「私」=「世界」)」
から、いつしか

「私は、私の知覚する世界で生きているからこそ、私である」
という、頑強な主観主義が生まれた。

そうした世界には、本当の「例外」、
「特別」、「アクシデント」や「不幸」は、存在しない。

何故ならそれらは、世界の外から、ある日突然
もたらされるものではなく、
既に今ある世界の、織り込み済みの現象の一つに過ぎないからだ。

したがって、私に起こるどんな喜怒哀楽も、
「私」という世界の表象に過ぎず、
その生起の一つ一つには、意味がない。


確かに、こんな考え方ならば、「将来の不安」は不安にならず、
日々、己の身の振り方を悩み、
「新たなこと」を思考する必要もない。

けれどそれは、”楽しいこと” なのだろうか。
それこそが閉塞した「世界」であり、窒息しそうな「私」ではないのか。


僕は想う。

たとえ逆説的であっても
過酷かつ、不自由な「外」の概念を捨てては、忽ちに心が死んでしまう。

安易な等式で結べるものは、この世界にはあまり、多くは無い筈だ、と。

2件のコメント

  • 初めまして。紺藤香純と申します。
    「それでも、ケアをさせて頂きたい」について、誤解を生じさせてしまったようですね。
    レビューを拝読し、申し訳なく思います。


    介護業界がサービス業だというのは間違っていませんが、「様」付けは珍しくもありませんし、ピックアップされるほど奇異でもありません。
    飲食店やホテルと変わらないと思っています。

    >お客様に「どうお仕えするか」と形容できるような
    traditional, 保守的な立場の強さを感じた。

    オブラートに包まずに申し上げますが、「どうお仕えするか」を書いたつもりはありません。
    介護職はハウスキーパーとは異なります。
    訪問介護サービスに、掃除や食事の準備があるため、よく誤解されやすいです。
    例えば、糖尿病のおそれのあるのご利用者様が「ジュースを飲みたい」と仰っても、簡単には提供できません。ご要望に応えすれば、糖尿病のリスクを高めてしまうからです。
    その代わり、本人の嗜好を聞いて、無糖のお茶を提供したり、コーヒーにミルクを入れて提供します。
    体を動かすことができないかたが食事を食べるのを手伝ったり、車椅子を押したり、「その人らしさ」を損なわないように、且つ健康的な生活してもらうような手助けをさせて頂くことが主です。


    >『ケア』が、ひとつの美学に昇華しつつある

    この考え方は私の中にはないです。
    ただ、このように考えている介護関係者はいるかもしれません。
    介助をすることはケアのうちに入りますが、昔の歌を一緒に歌ったり、映画を見たり、家庭菜園をしたり、外気浴をしたり、花見をしたり、趣味やイベントを共有することもケアだと考えています。
    ケアは身近なものです。


    コンテスト応募作品で字数制限のあるため、言葉足らずで誤解を招いてしまったことは確かです。
    お伝えした方が良いと思いましたため、書き込みさせて頂きました。
  • 早速にメッセージをありがとうございます。
    正直、説明を戴けてとても安心しています。

    冒頭から読んでいて、お話の視点に立つ彼女、
    彼らにあびせられる台詞が、「何故こんなに?」と思うほど
    辛いものに感じたもので、
    レビューがそのような傾きになりました。

    何も言わずに、辞めて行かれる人もいる。
    どの業界もそうなのかもしれません。ただ、そうして残り
    今日も働き続けている方々のことが、とても心配になりました。

    仕事に前向きで、一生懸命で、決して悪意を抱いたり
    怠慢なわけでもない。
    それでも、その在り方がことごとく否定される場面。

    もし現実に、そんな場面を目にしたら、いたたまれない。
    でも、それは日常的に"よくある"光景として、気にするべきではないのでしょうか。
    不勉強で、申し訳ないです。
    夢見がちな性分のため、現実に広がっている
    様々な価値観を、きちんと知りたいのです。

    貴作に乗じての我儘であり恐縮です。
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