政治の話で「自由」の言葉が出てくると、
いったい誰の自由なのだろうと、そんな疑問が頭をかすめる。
けれど、個人の「自由」の話なら、いろいろと思うことが出来る。
”偏見の無い”
"誰も傷つけない"
"価値中立的な"
そんな"巧い"言葉が一人歩きをしても
本当に肝心なのは、その実態だ。
誰もが納得できる「価値」が何なのか
"答え"を断じることが出来なくとも
望みの数だけ、多様な価値を認めることを
「ゆるす」ことができたなら、
終わりの無い価値論争から、私は"自由"でいられる。
これは、一つの"自由主義"なのだろうと思う。
だからこそ、この"主義"にも反対論者が存在する。
両者の間にある溝の深さは、いったいどれだけだろう?
分からない暗がりを、常に光で満たす必要はあるのか?
一つの意見が形になるとき、同時に他の意見も生まれる。
その生起が面白い。
願わくば日々、昨日とは違う光景が見たいものである。