「彼女は沈黙した。というのは、人が声にだしてしゃべるというのは、さまざまな自分(二千以上もあるかもしれない)が、分裂を意識してお互い話しあおうとするからなので、相互伝達が成り立つと沈黙するのである」
(『オーランド―』ちくま文庫版第8刷277頁、ヴァージニア・ウルフ著、杉山洋子訳、筑摩書房)
人生をエンターテイメントとして描くこと。この作品を読まなければ、その面白さをついぞ知ることも無かった。
なんという話なのだ(!)冒頭では予想も、はるか期待さえしていない展開に見舞われる、主人公。400年という長い時を駆け抜ける一冊でありながら、この軽やかさはどこから?
ファンタジーの鉄則を持ち出すなら、まるで説教じみた筋書き、教訓らしきものが見当たらないことだろうか。
そんなものは時代の制約の中にしか存在しない、とばかりに、悠久の時を過ごす主人公は、日々を ありのまま、”感じて” 書き、思索する。それによって生まれる無数の自分は、”話す”ことによって、やがて一つの器に納まり、沈黙という臨界点を迎える。
まさに『書く』という人間の衝動を描いた作品かもしれない。場面の転換にかかる描写一つをとっても、こんな描き方があるのだと、面白くて仕方がない。
けれどそれは構造的な面白さではなく、まるでふわふわとして掴みどころのないものだから、いざ読み返すと、なんだか「さっきと違う」感じを受ける。
一瞬に与える印象、それは、はじまりからおわりまでの話の流れに逆らっては、見えなくなるもの。読み終えれば、まるで通り過ぎた春風のように、潤沢な余韻を残してくれる。
書くことへの熱意、”話すこと”への欲求。
何でもないことほど、いざ声にだして話そうとすると身がすくむ。そんな口下手な自分にとっても、その感情は知っているようで知らない、清新な色と、香りのする世界に通じていたのだ。