ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』に
三つの神秘の門の話が出てくる。
二番目は、一番目の、
三番目は、二番目の門を、通り抜けないと存在しない。
それは人生の試練や関門の例えであり、またこの物語世界には
それとして、本当に実在するのである。
はじめて読んだ時から、忘れられない部分なのだけれど
改めて読み返すと、目の前にそびえる『門』のとらえ方は
子どもの時より、大人になってからの方が
ひどく鮮明で、具体的なのに驚く。
幼い頃はそれこそ、日めくりカレンダーのような門が次々と、
蜃気楼のように現れては、消えていく感じだったのに
今は、見上げるほど大きな石柱の前に、嘆息を付いている始末。
何を乗り越えるべきなのか、答えはもうそこにあって
問題は、そこを通り抜けるだけの気力と、体力なのである。
一体、何個目の門なのか、数えてはこなかったけれども
目前にあるものを見れば、それなりと分かる。
次は「希望の門」である。
"見ない、聴かない" を選択しなくとも、
感じられる世界に、それが見出せるのならば
どんなにか穏やかに過ごせるだろう。
その先にある視界が、「これまで」を飲み込んでいく。
信じたいものを心から
信じ抜ける日々が、迎えられるように。