寝物語に『はてしない物語』を母が読んでくれた。
妹は章毎の扉絵を、私は話の続きが気になって仕方がなかった。
幼い記憶の中で、一番穏やかで幸福な時間だった。
ミヒャエル・エンデが自身の心に住んだのは、そのとき。
それからたしか、小学生の時に『ソフィーの世界』が流行り、
そのときは母親だけが読んでいたが、興味を持った私に、
"哲学"という世界があることを教えてくれた。
いまある世界に、「なぜ?」と問うこと。
すぐに誰かから"答え"を得られるわけでも、
まして、その返答に必ず納得できるわけでもない、疑問符の発信。
窮屈で、雁字搦めのその後の人生でも
心の自由をわずかに信じられたのは、哲学があったから。
大学で読み漁ったその分野の書籍は、どれも
どうしようもないほど難解だったけれど、頁を繰る度、
安心できた。
"哲学者"でいたい。
何をしていても、きっと自分は、その見えない部分を、
まだそこにない「空白」を見ようとしてしまうから。