仮想世界の広がりと、"現実"社会の衰弱化。
殊、日本ではそうなのだろうか。
生きている間に僕たちが認識する「世界」
玩具によって生み出される仮想と、そうではないものとを
峻別する"基準"とは、本当は何であろう。
そもそも"情報"とは何なのだ。
情報の多寡だけが、嘘と実(まこと)の世界を隔てるなら
なぜ僕たちはこんなにも、
うまく生きることができない?
常に、僕一人の頭を上回る「なにか」が存在するのが
"現実"だからか?
逆に仮想は、あくまで一人の頭の中に納まる小ささだと?
居心地のいい仮想世界とはきっと、
自分の理解できるものだけを、見ることのできる空間。
だから、これに憧れることは本来はひどく危険なことだと
訴えるには、
あまりに僕たちの現実は、酷いだろうか。
たったひとりで世界を見つめたとき
そこにあるのは、あまりに多くの"知らない"こと。
理由を知らない、
仕組みを知らない、
"共感"できない、
関係ない。
まだこの心に無いものを見つめる、そんな想像から
今ここにある"現実"の方を僕は
ほんの少しずつでも、創り変えて行きたいと思う。