時折、書店から離れがたくなる。
どれも気になって、手に取らずにはいられないような、
本好きに与えられた、「恵みの時間」とも云うような。
そこで見つけた、星野智幸氏による"毒身"シリーズ。
あとがきにビリビリと痺れて購入してしまった。
他にも新刊で「文学」をタイトルに含んだ著作が
あり、流し読みをする。そこには
「文学」が、"現実"を描くものかについて、関心が寄せられていた。
そうか、
"現実”ね、と一人肯く。
星野氏の作品は間違いなく、氏の"現実"分析から生まれていて
そこが、たまらなく好いのである。と、それはそれとして
自身の感覚では、
"現実"も"幻想"も、千差万別どころか、
入り乱れて危ういようなのもあり、
何が、その人にとって"現実"であるかについては、
自覚すること自体が、困難なようにも思う。
なので、"現実"の描写如何で
文学とそれ以外の、
いわゆる諸形式を整理することができないのだ。
なので、諸々書くときの、
読者に対する向き合い方、作品世界への入り方、気分などなど
の違い位かな、と思いつつ、
1.俳句→「~だなぁ。」
2.和歌、詩→「~ではないのか?」、「あぁ~なのだ!」、
「かれこれ、云々」
3.ライトノベル?→「こういうのは、いかがですか?」、
「これも、ありでしょ?」
4.文学?→「私は、こう思う」、「私は、こう考える」
5.物語→「~という話だけど、どう思いますか?」、
「こういうこともあるんです」
6.叙事詩→「こんな驚くことがあった!」
7.ニュース→「~でした。」「~の可能性があります」
という、なんともいえない仮分類が生じた。
じっと見ていると、人間ってよくよく
色んな考え事をするんだぁと思う。
面白い。