7/30
骸流しのアルバイトをしている。
骸流しとは、ただ死体を川に流すだけのことではない。
死体についた汚れを葦の茎を結って硬くしたタワシのような物で、丁寧に磨き上げてから川に流すのだ。
骸とは言葉通り、死体だ。
自分のところに運ばれる時はすでに死後数ヶ月経っている者が多いので、大体は皮膚の下の脂は蟲たちが食い尽くしていて、筋肉だった部分はほとんどボロ布のようになっている。
死体と言うととても生々しいものを想像するが、私が扱う死体は、死体ではなく人の形をした骨に紙のようなものと繊維がへばりついた物だ。
骸はどんな者にも平等だ。
骸は何も言わない。
骸は何も語らない。
骸の汚れとやらを綺麗に磨こうが磨かなかろうが、川に流してしまえば誰にも何も分からないし、とうぜん骸は何も文句を言わない。
この地方では、死と共に身についた汚れは死後の世界にもついていくと言う。
だから金持ちが死んだ時は皆が一生懸命死体を洗うし、金持ちの死体は毛が一本もないくらいに綺麗に磨かれているものだ。
私がここで磨いているのは、主に罪人や身分の相当低い人間の物だった。
川に流すと言うのだからよっぽど信心深いか墓もない連中のどちらかだ。
そして私は、この骸の山から一体一体を丁寧に抜き出して磨いていって、川に流すのだ。
死後は清らかな世へと導かれるように。
汚れがひとつもない清浄な身で、この世からあの世へと旅立てるよう。
一人ひとり、丁寧に磨いていく。
綺麗とはなんだろう。
太った者、痩せた者、男ならあれがあるし、女なら胸がある。
もぞもぞと蠢く蟲が肌の下にいるそれを見て、私はよくよく考えてみたのだった。
皮は一枚剥げば、その下に巣食う膿や蟲どもが陽の光に当てられて一斉に動き出す。
蛆虫どもを使者と共にあの世に連れて行かせるわけにはいかない。
必然的に私は、骸を丁寧に磨くようになった。
皮だったものや筋肉だったものも全部たわしでこそげ落として、綺麗にしていく。
すると不思議なことに、男も女も、子供も老人も、全員同じような姿格好になった。
この一体一体に生まれの物語があるのだろう。
骨の一つ一つにその物語が刻まれているようだ。
背骨の歪み。骨のかけら。足の形。一つ一つ見ると全員違うのだ。
違うからこそ、きっと生きている時は私の想像もつかない物語を歩んできたのだろう。
この川には、何十体もの骸を流してきた。
どのような生まれで、どのような物語を歩み、どのような結末を経ても、最後は皆この川に流されて沈んでいく。
川の流れは今も絶えない。
いつかは自分も。
そう思いながら、今日も私は骸を磨いている。