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砂漠の丘をのり越えれば、蜜の溢れる秘密の園がある

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太古の時代から、人は酒と共に生きてきた。
なぜそう言えるかと言うと、文化が発生するためには多くの人々が集まっていなければならないからだ。
多くの人々が集まるためには、彼らが口に入れるための穀物、水が必要になる。食と住環境があれば、人はそれをさらに溜め込みたいと思う。
そうして集まった富が一部の人々に独占され貧富の差と、権力というものが生まれる。ここで生まれたのが武力、僅差で宗教、そこからほんの少し遅れて、彼らの権威を周知し広め目に見える形で人々に公布するものが作られる。
金銀財宝の山や、彼らの出生を記した伝記、伝説、装飾、それらを遠くの民に伝えるための言葉。

この時人々を多弁にさせ、天地の神々の暴挙に怯え獣の襲来に明け暮れる人々に人というアイデンティティと束の間の万能感を抱かせるのが、神の水と呼ばれる酒である。
太古から古代、中世、近代、現代に至るまで酒は人々と共に生きてきた。

だから、人々のそれを知るためには、まずは酒に聞いてみよと、古代の偉人も言っていた。




酒は多弁である。あらゆることを知っている。
蒸留されたその一滴一滴に人の歴史が凝縮され、腐敗とは違う果物のような発酵臭が鼻腔を貫き、そこへ至った人々の歴史を思い出させてくれる。

麹と米を使った清酒、果物を発酵させた赤ワイン、小麦や大麦を使ったビール。
太古、町と呼ばれる場所ではどのように飲まれていたのだろうか。
中東や北アフリカでほぼ同時期に文明が起こり、それぞれが活発に貿易を繰り返し、人々が行き来し、絹、金銀、スパイス、珍しい貝殻の染織物、鉄器や美しい土器が船に載せられそれぞれの港を目指して往来を繰り返す。

まだ国が一つにまとめられておらず人々は、その都市に生まれ育った者として、その都市の人間として生きてその人生を全うして死ぬ。

戦争が起こればその都市として戦い、またある者は自らの居場所を求めてまだ見ぬ未開の地のオアシスや、遥か東方の砂の大帝国を目指して旅に出る。

朽ち果てた古い街道を、ラバに荷物を積んだ商人が進んでいけば、都市の管理が届かなくなるギリギリの場所の関所を一歩越えればそこは魔物と蛮族の跋扈する場所である。
命がけの旅になるだろうが、この旅を乗り越えれば巨大な富を手に入れられるのだ。

引退した商人から高い金を払って地図を買い取り、ぼろぼろになった羊皮紙の地図だけを見て今日以降の道の歩み方を考える。


酒は、彼ら冒険者をねぎらい、また迎え入れ、死んだ墓場に手向けられる物でもあるのだ。
旅人は、酒のあふれる園を探してこの不毛の大地を歩み続ける。

車輪の進みは遅くとも、その歩みは決して止まらない。

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