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そうぞうをするお楽しみ

4/10

深夜の公園の、誰もいない公園でこっそりと砂の城を作ること。
朝になれば誰かが作った巨大な砂の城ができていて、朝一番にやってきた親子連れがそれに気づき口をあんぐり開けて驚愕する様を想像するのは楽しいことだ。

梶井基次郎に言わせれば、それは爆弾を作るようなものなのかもしれない。
確かに、これは時限爆弾にとてもよく似ている。
朝になりこの砂場に火の光が照らされれば、闇の中でできあがった正体不明の者により作り出されたこの巨大な城は、太陽の日の光に照らされてその大いなる姿を世間に見せるのだ。

そんなことを思いながら砂場でいっしょうけんめいに砂の城を作る。
気分はすでに大作家だか大城主だかの気分だ。
そうでないとやっていられない。
ワンカップでもなんでもいい。八丈島だかの芋焼酎で気を大きくすることは、かつてこの世界に文明というものがなかったころ、人類が唯一文明的な姿でいられるために用いた偉大なる魔術と呼ばれる行為だった。
夜中になると洞穴の中で仲間と集まり、敵に襲撃されないよう火を焚いて、飲酒をして気を大きくする。気が触れたような仕草をしあるいは気が触れて、夜には夜の世界が広がっていることを三つ目の目でつぶさに見出して神の言葉として下々のものに伝え聞かせる。
飲酒によるトランスは、人が人と獣の重なる世界で唯一、人の中の人でいられるための手段だったのだ。
これは聖なる行為だ。
だからオレは酒を飲むのだ。
幼女は暴れるのだ。
なぜ暴れるのか? くだらないことを聞くな。酒が飲みたいからに決まってるだろう。

余は酒が飲みたいのだ。
だから、幼女を書くのだ。
これは景気づけの一筆なんだちくしょう。

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