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エゴの長槍を暗闇の世界に突き刺す(有効射程距離1万キロ)

ドン・キホーテはスペインの郷士だ。
ドン・キホーテは紙の物語を読みふけり、物語を読むために土地を売って、土地を売った金で物語を買って暮らしてきた。
ドン・キホーテは気が狂う。物語を読み、土地を売って物語を買いあさり、読んでいるうちに自分が本当に物語の中の住人になれると勘違いしたのだ。
そうしてドン・キホーテは自ら騎士となり、騎士を名乗り、騎士の資格もないのに騎士の慣例に習って世の不遇を正す遍歴の騎士をまねて、風車の怪物に槍を構えて突撃していった。
有名な話だけれど、わたしはそれ以外の逸話を知らない。


自分がいちばん表現したいものはなんだろう。
気が散りやすく、一つのことを深掘りするのがひどく億劫だ。
私には伝えたいことがある。
あるはずなのに、それを語ろうとするとひどく饒舌になって、脇道にそれ、回り道をし、遠回りを目指して、途中でいつも迷子になってしまう。
この歳になって言葉の迷子になるなどひどく恥ずかしいことだが、私はそれを何十年と繰り返してきた。それが、私の世界だ。

ごちゃごちゃとした地図を描き、カンバスの上に油絵の具で重ね描きをするように自らの道筋を立てて、遠い道筋に人差し指を立てて目印をつけておけば迷わないだろう。
そう思って地図を書き連ねると、気がついたら不恰好なリンゴの絵ができていた。そんな日常が周りにある。
木々が風に煽られ、太陽が雲に陰り川に水が飛び跳ねる。それだけでも私の地図は塗り替えられた。
遠くを走るドン・キホーテとサンチョが羨ましいと思えるくらいだ。

地図をひと抱え、山盛りにみっつ。それらをカゴごと一切合切をカバンに詰めて持ち運ぶ姿は滑稽そのものだろう。歩けもしない地図をいつか歩くかもしれないからと思って、整理もせずに常に持ち運びするのはバカのすることだ。
そう思いながら、今日も私は自分に呆れて憂鬱になる。

ドン・キホーテ一号が道を歩ききり、ドン・キホーテ二号が別に現れて道を駆け抜けてゆく。
三号、四号、どんどん後から続いていく。
私はまだこんなところをうろついている。
いい加減うんざりしているんだ。

そんな苛立ちを内に秘めて悶々としているうちに、五号。眉間にしわを寄せて上目遣いで馬上を見ているうちに六号と七号。
白線を越えようか越えまいか考えているうちに八、九、十、、、
他人の長槍はどんどん風車に突き刺されていく。

自分が表現したいもの。
自分がいちばん、声を大にして叫びたいこと。わかっているはずなのに、わからない。
そんなことを思っているうちに、十一、十二、十三。。。
ドン・キホーテはかけてゆく。

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