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るねさん's ノォト(15) みをうきくさの

 カタールからの映像、興味のある国についてはかなり見ていて、生活リズムがすっかり崩れきっている舞香峰です。本来、このノートも序章終了後に投稿すべきだったのですが、連夜の眠気には勝てませんでした。
 さて、懲りもせず新しいものを上げてしまいました。拙いものにもかかわらず、読んでくださる方々には感謝するばかりです。

 唐突ですが、『更級日記』の足柄山の情景が好きです。 
 作品自体はあまり好きとは言えません。夢見る文学少女の感情が、共感性羞恥に似た感覚を呼び起こすところがあり耐えきれません。ただ、少女時代の作者に鮮烈な印象と漂泊者の浪漫を抱かせたその場面は、わたしにも美しく激烈な印象を与えました。
 この場面を読んで以後、定住生活者とは異なる宇宙観(コスモロジー)を持つ人間を描いた作品や場面には、どことなく惹かれてしまいます。たとえばドーデーの『風車小屋だより』所収の一編「星」もまた、好きな作品です。
 
 宇宙観の違いというほどスケールの大きな話ではありませんが、幼い日々の経験から、わたしと弟の世界観はかなり違います。わたしは転勤族の子でした。何処に行っても余所者の視点でしかその土地を見ることができず、「地元」と呼べるような場所を持っていません。人間・友人関係も構築とリセットの繰り返しで、すぐに会えなくなるという諦観を持って人と接していました。高校生の時に両親は家をもち、そこが実家になりました。でも大学に進学するまでの三年弱しか住んでいないので「地元」感は薄いです。わたしにとっての地元は「親がいる場所」でしょうか。
 一方で、小学校の後半から大学まで実家から通っている弟は躊躇なくそこが地元だと言える、土地と結びついた地元を持つ人。これからも関係の続く「幼馴染」もいるような、「根付き慣れ親しんだ土地」が弟にとっての地元。
 きょうだいですが、地元観が全然違うし、そこから広がっていく世界の見え方もおそらく違うんだろうなって思います。どちらがいいのかはわかりませんが。
 
 結果、わたしがお伽噺を考えると、主人公は根無草(デラシネ)が真っ先に浮かんでしまいます。前作の主人公は、故国喪失者・亡命者という位置付けの根無草の少女でした。今作では放浪の青年詩人。作中時間は前作を遡ること百八十年ほど。前作のタイトルも冠している通り、時を隔てた前作との絡みも考えています。

 描きながら奏でた今章ノオトはロシアのロマ(ジプシー)歌曲『黒い瞳Очи чёрные』でした。
 
 最近、カクヨムコンの話題がTwitterのTLにも流れてきます。わたしには無縁の世界と思っています。でも、今みたいにたまにフラフラと書き散らすのではなく、コンテストなどをひとつの目標に、地に根をはるかのようにしっかりと継続的に活動することもまた大事なのかなと思うこともあります。一つの経験としてこそっと参加するくらいはありかもね。

 前作には、高校時代のわたしによる「原案」がありましたが、今回はありません。十年程経って、「2020年代初頭に考えたことを原案に再構成してみました」ってことができるくらい、今のわたしの中にしっかりと根付くことができるように、始めたばかりのこのお話を育てていきたいものです。07/12/2022

https://kakuyomu.jp/works/16817330648700768283/episodes/16817330648700790045

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