こんにちは。
前作とはだいぶ雰囲気の違うものをつらつらと書いてしまいました。
一番近いかなとエッセイに登録しましたが、似非(えせ)ですね。
趣味に興じる一日をダラダラと書き散らしただけ。文学的情緒のかけらもない、こんなものを公開してごめんさない。
一か月書かないとなんかうずうずしちゃって、ジャンルの幅を広げようと勢いで書いてしまいました。
前作のような御伽話は描き続けていきたくて、同じ世界観のお話を温めています。
前作は中世ラテン語世界・古北欧語世界をベースにしました。今度はそこに古英語世界も混ぜてみたいなぁと、古英詩翻訳に挑戦中。でも独学なので、納得が行くほど理解を深められていません。
でも、楽しい。
カクヨムさんを利用したきっかけは、もちろん内面世界の整理・表現が第一義ですが、もう一つ、「知りたい・学びたい」の原動力が欲しかったのもあります。
上の古英詩のように、わたしは実社会では「全く役に立たないこと」ばかりに興味を持ってしまいます。他人との話の糸口にすらならないことばかり。
ファスト教養や倍速試聴なんて言葉が生まれてしまう時代に生きていて、一面でそれも理解できるけど、なんか違うと思えて、わたしは時流に乗れない。
お仕事上の、またはお仕事に応用できそうなことの勉強は当然する。でもスキルアップを目的とする学びは味気ないと思ってしまう、わたしはそんな残念な人。なのに重い仕事もやたらと降ってきて、学ぶことはたくさん。でもわたしは、要領だけはよかったりする。飲み込みが早いって言ってもらえるけど、周囲と比べて自分は必死さが薄いと感じていました。プライベートでも自分磨き・スキルアップに余念のない方々もいるのに……あなたも、もっと「役に立つこと」を学びなさいと自分に言い聞かせても、しない。
だから「わたしには向上心が足りない」と自己否定ばかりの日々。
いつしか、興味の赴くまま「役に立たないこと」ばかりに関心を持つ自分を恥じるようになっていました。マルク・ブロックが「お父さん、歴史はなんの役に立つの」と問われ返答に窮したように、「もう学生でもないのに、そんなこと勉強してなんの役に立つの」と自問しては落ち込みました。
※Marc Bloch:Apologie pour l'histoire ou Métier d'historien, 1941
だから少し理屈っぽいかもしれないけれど、趣味の文章綴りに活用するという名目で「役に立たないこと」を学ぶのが楽しい。
そんなだから、たまに通知で来る「ロイヤルティプログラム」とか「カクヨムコン」とか、実はよく分かっていません。わたしは学ぶ口実が出来た上に、書いたものを公開する場を頂けているだけで十分。
結果、Twitterに流れてくる「選考に落ちた、次は頑張る」「※※PV突破」みたいな呟きを見ては、「やっぱりわたしには向上心が足りない」なんて思っちゃうわけですが(笑)
描きながら口ずさんだ今話ノオトは「みんなのうた」CD集で好きだった國府田マリ子さんの『雨のちスペシャル』。上の方から「俺はリアルタイムで見た」と謎のマウントをとられました。なんか悔しい。
ネガティブなことばかり考え続けたけれど、笑い話にするくらいには、自分を肯定的に捉えられるようにはなっている気がします。でなきゃ、自分を題材にエッセイ(似非だけど)なんて書けないですから。 13/11/2002
https://kakuyomu.jp/works/16817330648700061646/episodes/16817330648700135507 写真は、今回出てきた「絶望」の瞬間。