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しびとがへり

そして 『ゾンビランドサガ』を見てない。

 魂魄この世にとどまりて、恨みはらさで置くべきか の魂魄関係がない秋津島でゾンビができる可能性。

 死体をぬこ様が跨ぐと、死人が生き返るといふ俗信は、江戸しぐさぢゃない筈。

 柳田國男『禁忌習俗事典』によれば、孕み女が死体のそばへ行くと死んだ人が一時蘇生するとか。さう言ふ人は白膠木の枝で叩くとまた死ぬさうである。

 卯の日重ね 葬式にできない日。田植えもタブーとされる。白川静説で、卯は「きる」の訓があるさうであるが、衣類を裁つのには卯の日を選ぶといふ「鵜の羽重ね」な地方もあると言ふ。

 吾峠呼世晴先生の「和服ドヴァンパイア」のそれはー、さう言ふわけで気が狂ったやうな大ヒットをかましたわけであるが、えーと(珠代様の前になんかゐたらしい)。

杉浦日向子『百日紅』の中での、「正月早々 目出度ぇ」ことになった人の所へ、生前の遺言でデスマスクを描いてもらふ約束をしてゐた北斎先生が行って書くと、彼は皮肉なことに起き上がり、画狂人北斎先生のミミックリーをする。北斎娘はその辺で「応為」と書かれたものはあるのだが、この作品に出てくる「アゴ」がない。ネタばらしはしてない。パパで師匠の授けた「アゴ」は確か史実に基づいてた筈なのだが、かう言ふ死人代り傳承はどうなのか不明。

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