• エッセイ・ノンフィクション
  • 創作論・評論

サイキック忍者でフォー

筒井功説関係をアレすると、日本語における何かスピリチュアルなものを指す語で、「母音+T、D音」があるらしい。なので、日吉神の使徒おさるはエテ公といふ聖なる語でも言はれる他、アレにも適用し得る。そのアレは皮革職人系の他に、南方熊楠によれば日照りが続くと、俵一俵で依頼を受け、牛頭を捧げて祈雨儀礼を行ったといふ。安倍晴明、NHKでも出とるな、陰陽師もそれだ説があったはずなのだが(彼らが具体的に特殊被差別民みを帯びるのは鎌倉時代以降)、明治時代にはあべのはれあきら様はオンバウと呼ばれる葬式関係の人と言ふことになってた筈。

 4は少なくとも屠畜儀礼を行ふ一族としてのアレを指したで良いらしい。21世紀になって、手の指を四本にしてはならない件に関し「手のかたわ関係」がどうたらと言はれるが、アメリカで、ありとあらゆるハンディキャップは個性と言はれるにも関らず手の障害に関しては異常に忌避される割にかのミッキーマウスは四本指で、どっちかっつうと握手する為に清潔な手をしてゐなければならないので手袋をしてゐる代表的健全な人間視され、してない人間の筈のドナルドダックの方が蔑視されてゐる。で確か同和関係の人が4本指は全然OKって言ってたと思ったんだけどなぁ。で言ひ変へとしての語の筈のヨツの方が忌避される語になると言ふお約束が発動する中、いけるかの語。

 その霊的な人で皮革関係の職業を指す語に「サジ」があった。母音とD音の方である「ウジ」もあるのだがこれはまぁダメとしてだ。柳田國男~折口信夫関係の「マナを召し取る」ものとしてのサジは、そのユリ・ゲラーのスプーン曲げが日本をさいこぱわぁの発動として制した時のアレは機能し得るか。にゃー。でも縄文時代の皮コソゲ石器を天狗の飯匙として拝んでをるのは偶然でいい筈。なんかスクレイパーに二種類あるなぁと思ってググったら「天狗の飯匙」はキノコの呼称でもあった。南方熊楠は「猫杓子」と言はれるキノコへの信仰を紹介してゐるけどこれもたまたまで関係はないよな。

 少林寺何とか飯匙 あー。

 エッちゃんつながりで大友克洋『童夢』大友克洋全集のそれでの作者談によれば、エスパーエッちゃんの名前は石ノ森章太郎『さるとびエッちゃん』からとったといふ。忍者ものがあって、忍びのいろいろがこっちで機動戦士ガンダムになった説をこっちで見てたら、忍術の方が超能力に体系を作ってた。東北の人なのでお祭りってふとイタコ(当然視覚障害者だ)がやってきてどうたらといふのを呼吸し、海外の文物を消化吸収しまくって、ミもフタもないジャパニーズを書いてフォロワーを獲得した人が、ナニの計画の元モルモットでそこから負け出た後失明する代りカリスマである超合法ロリとして台頭し、いろいろの果てにその計画を推し進め躍動するエラン・ヴィタルそのものを何とかする皴よりまくりのガキが出る『AKIRA』を書くのはいいとして、その大先生はそれを書く前に団地へお化け屋敷みを指摘し、『AKIRA』後、御大は、やくざ屋さんが立ち退きをやりに行くアパートの、佃煮になってゐる在日の人への対応に苦労してゐるとそこへ怪異が、といふ実写映画『ワールド・アパートメント・ホラー』を作ってゐる。集合住宅で怪異。デジモンアドベンチャーの傑作『ぼくらのウォーゲーム』のおまけのボレロが響くやつでのアレの舞台が集合住宅には違ひないのだが、うううううーむ。
そのエッちゃんもチョウさんも間に出てくるをばさんも、触媒を振はない。案としての、学習障害の人と子供を亡くしたおかんと「しゅらん」の人がチョウさんにオルグされると言ふのがあったさうであるが、後の『AKIRA』でも、メディウムとしてのケイさんはそのままあれしたりそれしたりするが、「もふもふしたもの」を付けると説得力帯びるでいい筈。東北つながりの『JOJOの奇妙な某』での、矢によるアレのやうに、射出物でのなんかも多分。チョウさん「石飛ばす」訳であるが。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する