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祠を壊す必然性

 小松左京『まめつま』
 祠は家の人ぢゃない人によって躊躇なく破壊される。代々祠を「拝む」一族と、祠の縁起と、婿殿の関係。

 幽霊とか何ぞを見るばあひ客観的な何かがゐる。アパートでありえん声で起きた主人公が「変な幻覚見たな」と思ってゐると大家さんから苦情が来るとか。藤子F不二雄『なくな!ゆうれい』では、ゆうれいはaある特定の人にしか見えず、bカエルの像へ憑依してゐる為、ゆうれい自身が石像を持って移動しなければならない。その為「石像の移動」は認知してゐる万民は、その石がなぜ動くのかが解らない。
「暴力機構補完の言訳」として祠が機能する可能性。

「なんか小金溜めた巡礼」
夢Q『骸骨の黒穂』のサンカに属する巡礼の人はお金ありさうなのである。
歩き巫女さんは結構儲けてたらしい。信濃巫を敢て「科野巫」とやってみるとか。
寮 勧進比丘尼で葬式仏教の葬儀を主宰する尼僧みたいなものでいいらしい。皮肉なことに祠の縁起が、舞台である土地で「おビー様と呼ばれる勧進比丘尼が江戸時代まで葬礼の人だった」エビデンスであると言ふのが。寮が檀家制に入るか不明だけど入っててとか。

 藤子F不二雄『なくな!ゆうれい』カエルはスピリチュアルなものだと言ふのは世界的なアレ。ゆうれいは、c犬と人間の体を操れはする。d昼でも出れる。

ゑびす舁き スキンヘッドとかでマナ・アーティファクトとしてタスクドさるぼぼとかを持ってる。名前、417とか九一(くいち)とか五十二(いそじ)とか十三(じふざうでいい筈)とかの数字名を本名にするか営業用の名前でよかったはずだけど襲ふか。「西宮567(にしのみやみろく)」はいい筈。
で彼が祠壊しちゃってどうたらの家へ依頼されてくる。で彼は、事情を調べるとかなりあれなのが判明するので、それをかいつまんで話して、霊障をアレして帰る。『九十九乱蔵』シリーズと江口夏実『出禁のモグラ』を比較し、肉弾野郎が祟られ体質である件と、スピリチュアルもふもふと、霊的なものの設定が、作者のジェンダーとかでなくてあそこ迄換骨奪胎の面目躍如になるやうな。

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