• エッセイ・ノンフィクション
  • 創作論・評論

影と霊魂と他

エルナー・エステス『キリンのいる部屋』所収の『迷子の影』は、少女エッフィーさんの「影が無くなった」話。E・エステスの若い頃だか1940年代は、娘さんはクラスメイト同士とかでお互ひ「キャラメルの提供」をやってたらしい。でそのデフォとか暴力機構の補完について、少なくとも影の消失はソレをしえない脅威と書かれる。ヒロインのエッフィー・フィッツギボンズはアイリッシュな名前だけど、特に問題がない。エッフィーさんの影がどっかへ行ったと言ふのは吸血鬼に影がないとかと直結する霊魂のアレでいい筈なのだがその辺がアレ。

ホルヘ・ルイス=ボルヘスのアレで「鏡」と「影」があるらしい。支那での、鏡の向ふは黄帝によって征服され、我々のミミックリーをしてゐるが、いずれ魚を筆頭に抵抗がなされる、その際に出るものは雲南で「鏡の虎」と言はれるといふアレは、多分原典がある。

 「すべて翅があって群生するもので「四つ足」を持つものは穢れた生き物である」『レビ記』11:20

ペリュトンと江口夏実『出禁のモグラ』の霊魂観 人間の生き血で「神の恩寵を取り戻す」ペリュトンとなんぞ霊魂の炎を持つ仙人みたいなの。

 ドッペルゲンガーの関係のFetch。ワッフと呼ばれる何ぞは、
「お前何やっとるのよ!」
と言ったら消えた、といふ傳承がるといふ。あとCo Walker

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する