『広益体 妖怪普及史』の、折口信夫説評によれば、河童や妖怪に関心があった折口大先生は日本のスピリチュアル観を、元来タマ(丸っこいもので可視化可能)とかモノ(なんか抽象的なもの)と言はれてゐたのが祖霊といふ意味付けをされ、それのうち信仰の対象が神、恐れるものが妖怪とされるといふ経緯を持つとした後、ぢゃあ「おに」は一応具体的な形をとる以上「もの」ではなく、といって「かみ」ではない上に田舎の祭りで祝福を為し去るのが結構をるので妖怪ぢゃねえだらうと悩んでるらしい。
といふか、折口説で神道の方は南洋の土人が行ふ儀礼体系の最高峰に神道を位置づける上に、マナ的なものを指して祖霊、後に神様として崇められたとする折口霊魂観は、諸々の精霊が、アシェと呼ばれるマナ的なものの凝ってできた存在とするアフリカの信仰とシンクロする。Oh global
折口説では茨城童子の「腕がどうたら」傳承は「河童のもの」を持ってきたとする。『ベーオウルフ』傳承と完全に交流関係がないにも拘らず、水属性の巨人Thyrs、水の妖怪ニケラスと言はれるグレンデルがチート過ぎる英雄ベーオウルフに腕をもがれるが、Wikiによるとおかんぢゃない可能性があるグレンデルにといふ傳承に酷似してしまふ。
ほいでマルケス『百年の孤独』に出るロマ民族。何某かのオーヴァーテクノロジーを持ち、その辺をほっつき歩いてゐる。ジプシーといふ呼称の割に奇妙にまとも。いくつかのバリエーションがある。この作品は筒井康隆によれば大江健三郎と井上ひさしにも影響がみられる。吉里吉里人はいい感じ。どっちかつうと『族長の秋』を推す筒井が『百年の~』に影響を受けたと言ふ『虚航船団』では、怨念のスリカタ三姉妹の豫言と、鼬族がどこぞから遠島申し付けられた、と言ふのと、その皆さんはさう言ふ訳で、蒸気機関とかを何となく知ってゐるので、「ちゃんとした間隔」がある鉄道の線路ができる他、そこの技術しかない頃に「宇宙船」案が提出され、それに纏はる何かの為政者の無茶ぶりとそこに切れる技術者の葛藤と、それを表すアレについて嘆息する成敗の担当、と言ふのが見られる。マコンドよりクオールのが規模そのものはでかい。