火車
折口信夫説で、引き込む人と関連。
ファクー(車にコ音がある。朝鮮語ではさう発音する)はいいか。
猫とされる。
南方熊楠はくすぐるの方言としてカシャグを上げる。資料を忘れてゐる。以下カシャボあるいはカシャンボの南方熊楠全集による資料。
南方全集 第二巻p313 火車坊の義か とする。「ウェルフ(エルフでいいらしい)」との近似性を上げる。カワウソに似るらしい。
p339 藤六といふをっさんが野良仕事をしてゐると、どこぞで「ほーい ほーい」といふ声がするので、「カシャンボ(河童にこのルビ)か はいはい騙されんぞ つうか遠いし」と思ってゐると、いきなり耳元で「アホ!!」といふものすごく巨大な声がし、彼は聴覚を失ったあと死んだといふ(とか調べてると多田克己先生が収録してたりするんだよ さう言ふものなんだよ)。
全集第四巻 p558 能登から紀伊にかけて分布してゐる。青い碁盤縞の着物を着、冬に森へ出没する七歳~八歳くらゐの可愛い子と説明される。夏は川に行ってゴウライ(カッパ)となるといふ。
全集第三巻 p18 エルフのごときものとして説明。幽霊に足のない話の他、デモーニッシュななんかが足跡を付ける話の延長で、なんぞ牛に唾液だと思はれる物がついてゐる家で、牛小屋の下へ灰を撒いておいたところ、出入り口から「水掻きのある水鳥のような」足跡が続き、牛へ行って帰っていくのがあった。あー「悪魔の類が爬虫類系の足をしているのは、恐竜に追いかけられた祖先のトラウマのフィードバックと思われる」とか書いてあった気がする(同p19)が無視する。
全集第八巻 p15 その東牟婁郡高田村の辺は平氏の落人がどうたらいふ所。木霊のやうなアレで、そのある旧家の近所の川へ石を投げるといふ。
p97 上記の村落合併反対の家の某家では、秋頃に川へ石が投げられる
p99~100 カシャンボは「ウマをかまう」とする。支那の馬絆やロシヤの馬を川へ沈める儀礼との関連を示唆(その辺の論考である石田英一郎「河童駒引考」の刊行は南方先生の死後1947年)。
p267「インドのカーシャパが亀だからカシャボも同様」説をあほであると言ふ。また、カシャンボは死体をこますとかの伝承がない旨を説き、河童と類似する魍魎のやうに死体の魄を食べるなどの特徴もカシャンボにはないと指摘する。
p376 冬、山にゐるのがカシャンボで、夏 川にゐるのが「ガウライ」とする。彼らは夏の土用の丑の日に川へ行き、冬の玄亥の日に山に入ると説明。